邦楽ポップス名曲のあゆみ 第9回(1977)

しあわせ未満/太田裕美 (1977)

太田裕美の7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。当時、日本国民の生活水準は向上する傾向にあり、意識としては豊かさが志向されていたように思えるのだが、この曲はアパートに住み「部屋代のノックに怯える」カップルがテーマになっていてとても良い。男性の立場から歌われていて、「はにかみやさん ぼくの心の荒ら屋に住む君が哀しい」というフレーズも切なくてグッとくる。

マイピュアレディ/尾崎亜美 (1977)

「ああ 気持ちが動いてる たった今 恋をしそう」というフレーズが印象的な資生堂化粧品のCMソングで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。尾崎亜美にとっては、これが3枚目のシングルであった。

雨やどり/さだまさし (1977)

さだまさしのソロ・アーティストとしては2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。雨やどりをしている時に出会った男性に恋をして、偶然に再会、家族に紹介、結婚するまでのストーリーがコミカルに描写されている。当時の日本において確実に存在していたメルヘンな気分を好む人たちに大いに受けていて、実況録音されたシングル盤では会場の笑い声も含め、そういった感覚をヴィヴィッドに追体験することができる。

シンプル・ラブ/大橋純子&美乃家セントラル・ステイション (1977)

ソロ・アーティストとしてすでにレコード・デビューして久しかったが、これが大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義でリリースされた最初のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高44位を記録した。抜群の歌唱力とシティ・ポップ的な洗練されたサウンドが絶妙にマッチした、とても良い曲である。

気まぐれヴィーナス/桜田淳子 (1977)

「去年のトマトは青くて固かったわ だけど如何 もう今年は甘いでしょう」という歌詞を、去年のトマトなんて今年には腐っているに決まっているだろう、責任者出てこい、とぼやき漫才の人生幸朗がネタにするほど流行って、オリコン週間シングルランキングでは最高7位であった。夏を予感させる楽しげな気分と、「プピルピププピルア」というよく分からないフレーズもとても良い。

勝手にしやがれ/沢田研二 (1977)

昭和歌謡と呼ばれる曲の中でも特に有名な沢田研二の19枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本有線大賞のいずれもにおいて大賞を受賞した。歌謡ポップスではあるがロックなフィーリングがあり、帽子を投げ飛ばすアクションは子供が真似をして親に怒られたりもしていた。タイトルはジャン=ポール=ベルモント主演のフランス映画から取られていて、セックス・ピストルズのアルバムはこの約5ヶ月後の発売である。

こぬか雨/伊藤銀次 (1977)

伊藤銀次がごまのはえ時代につくった曲をベースに山下達郎と共作され、シュガー・ベイブのレパートリーでもあったが、レコード化はされなかった。そして、伊藤銀次が歌詞を書き直して、アルバム「デッドリィ・ドライブ」とシングル「風になれるなら」のB面に収録された。しっとりとしたシティ・ポップの名曲なのだが、実は欧陽菲菲「雨の御堂筋」にも影響されているというのがとても良い。お笑いコンビ、フットボールアワーの後藤輝基もカバーしている。

哀愁トゥナイト/桑名正博 (1977)

ロック・バンド、ファニー・カンパニーのボーカリストであった桑名正博のソロ・デビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高99位を記録した。つまり、それほど大きくはヒットしていないのだが、松本隆、筒美京平の黄金コンビによるディスコ歌謡的でありながらロックなフィーリングも感じられる、とても良い曲である。当時、プロ野球のナイター中継の後のラジオ番組でよくかかっていて、カッコいいなと感じていたので、もっとヒットしていると思っていた。

渚のシンドバッド/ピンク・レディー (1977)

ピンク・レディーの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは「S.O.S.」「カルメン’77」に続き、3曲連続で1位に輝いた。サーフィンブームのトレンドも取り入れた健全なセクシー路線で、大いに受けまくった。翌年にデビューしたサザンオールスターズのデビュー・シングル「勝手にシンドバッド」は沢田研二「勝手にしやがれ」とこの曲の一部を組み合わせたものであることは有名だが、それ以前にザ・ドリフターズの志村けんがコントでやっていた。

暑中お見舞い申し上げます/キャンディーズ (1977)

キャンディーズの14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。ご陽気なサマーソングで、「パラソルにつかまり あなたの街まで飛べそうです」などと滅茶苦茶なことが歌われている。この曲によって暑中お見舞いという言葉を知った小学生もいたので、教育上も良かったのかもしれない。

気絶するほど悩ましい/Char (1977)

Charの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。世良公則、原田真二と共にロック御三家などとも呼ばれ、アイドル的な人気もあった。一方、男子は「うまく行く恋なんて恋じゃない」というような、この曲の不機嫌なカッコよさのようなものにシビれてもいた。

イミテイション・ゴールド/山口百恵 (1977)

山口百恵の18枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。阿木燿子・宇崎竜童コンビによる大人の女路線で、明らかに性愛を感じさせる表現にいたいけな少年はドキドキさせられたりもする。夏の海水浴場で売店のラジオから流れていた記憶がよみがえる。

都会/大貫妙子 (1977)

ジャパニーズ・シティ・ポップ・ブームの象徴のようなアルバム「SUNSHOWER」は大貫妙子にとって、ソロ・アーティストとして2作目にあたり、名曲として知られるこの曲も収録している。「値打ちのない華やかさに包まれ」などと、都会のことがわりと冷ややかに見られていて、「その日暮らしは止めて 家へ帰ろう」と歌われる。音楽的にはスティーヴィー・ワンダーに影響されているという。

愛のメモリー/松崎しげる (1977)

松崎しげるの15枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。スペインのマジョルカ音楽祭に参加するためにつくられた「愛の微笑み」という曲がベースになっている。ドラマティックな曲調や松崎しげるのダイナミックなパフォーマンスなどが評価され、音楽祭では最優秀歌唱賞を受賞するが、日本ではあまり話題にならなかったという。熱心な売り込みの末、山口百恵と三浦友和が共演するグリコアーモンドチョコレートのCMに使われると一気に注目をあつめ、歌詞の一部を変えた「愛のメモリー」としてリリースされることになった。個人的には旭川の平和通買物公園で毎年行われる北海道音楽大行進というイベントに、行進曲としてアレンジされたこの曲で参加したことが思い出される。

九月の雨/太田裕美 (1977)

「車のワイパー 透かして見てた 都会にうず巻くイリュミネーション」というわけで、この曲もまたシティな感覚を秋の雨を舞台装置として表現したものである。夏が終わり、秋から冬へと向かっていく不安げな嫌な感じを切なさとしてすくい上げ、透き通ったボーカルでつつみ込むようでもある。

ウォンテッド(指名手配)/ピンク・レディー

すでに超人気者であったピンク・レディーが、その存在を国民的ともいえるレベルにまで大きくした印象もある大ヒット曲で、オリコン週間シングルランキングでは12週連続1位を記録した。心を奪った犯人を指名手配して捕まえるということが歌われているのだが、わりと強めにはじまったと思いきや、コミカルな声色のようなところや切なげなパートもあったりと、情報量が多くかなり楽しめる。

わかれうた/中島みゆき (1977)

「途に倒れてだれかの名を 呼び続けたことがありますか」というユニークな歌が、ラジオからよく流れていた。フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」でもこの曲を歌ったらしく、オリコン週間シングルランキングで1位に輝く大ヒットとなった、中島みゆきの5枚目のシングルである。歌謡ポップス的な派手さとはほぼ正反対なこの曲の大ヒットは、ニューミュージックのメインストリーム化を印象づけるようでもあった。

アン・ドゥ・トロワ/キャンディーズ (1977)

「普通の女の子に戻りたい!!」という有名な言葉と共に発表されたキャンディーズの解散には、ピンク・レディー派の男子も悲しい気持ちにさせられたものである。その後にリリースされたのがこのシングルで、「人は誰でも一度だけすべてを燃やす夜がくる」というようなフレーズも含め、そういったセンチメンタルな気分を高めるような楽曲であった。オリコン週間シングルランキングでは、最高7位を記録した。作曲は吉田拓郎である。

冬の稲妻/アリス (1977)

ニューミュージックブームで、特に男子に人気があった印象が強いのがアリスである。「あなたは稲妻のように 私の心を引き裂いた」、そして、ラジオの深夜放送を聴いている時によく流れていたモーリスギターのCM、「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」が思い出される。当時の凡庸な小学生男子が、初めてロックを感じたバンドだったかもしれない。オリコン週間シングルランキングでは最高8位を記録した。ちなみにニューミュージックという言葉はいつの間にか広まっていたが、歌謡曲や演歌を除く日本のポップ・ミュージックのかなり広範囲をそう呼んでいたような気がする。

てぃーんず ぶるーす/原田真二 (1977)

原田真二はデビューから3ヶ月連続でシングルをリリースしたことで話題になっていたが、その愛くるしいルックスと洋楽的なセンス溢れる楽曲にもかなりのインパクトがあり、学生時代の松田聖子がファンだったというのもうなずける。これはそのデビュー・シングルで、吉田拓郎との共同プロデュースで作詞は松本隆、作曲は原田真二自身による。オリコン週間シングルランキングでは最高6位を記録した。

迷い道/渡辺真知子 (1977)

「現在・過去・未来 あの人に逢ったなら わたしはいつまでも待ってると誰か伝えて」という印象的なフレーズが、ラジオから流れてきた。デビュー・シングルにして、自身による作詞・作曲、しかもオリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。自分でつくった曲を歌うシンガー・ソングライターの存在がクローズアップされ、職業作家がつくった曲を歌う歌手よりもすごいのではないかというようななんとなくのイメージが、ニューミュージックブームにつながってもいったような気がする。とはいえ、ニューミュージックのアーティストが必ず自作の曲を歌っていたかというと、必ずしもそうではなかったわけだが。

しあわせ芝居/桜田淳子 (1977)

人気アイドルとして歌謡ポップス的な楽曲を歌ってはヒットさせていた桜田淳子にとっては、新境地ともいえるシングルであった。なんといっても、中島みゆきが作詞・作曲をした切ないバラードである。しかし、これが見事にハマり、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。アイドルという稼業にもある意味、「しあわせ芝居」的なところがあるというわけで、桜田淳子自身もかなり共感して歌っていたという。これもまた、ニューミュージックのメインストリーム化を象徴するようなヒット曲だろうか。

ハイサイおじさん/喜納昌吉&チャンプルーズ (1977)

志村けんの有名なギャグ「変なおじさん」はこの曲をベースにしているともいわれているのだが、喜納昌吉によって1969年にはすでにレコーディングされていて、沖縄ではよく知られていたという。1977年11月にアルバム「喜納昌吉&チャンプルーズ」が発売されるに際して、矢野誠によってロック調にアレンジされたバージョンが収録されて、全国区的な知名度を獲得していったという。

UFO/ピンク・レディー (1977)

ピンク・レディーの6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは10週連続1位、翌年には日本レコード大賞の大賞を受賞している。宇宙的なイメージをモチーフにした設定は、当時の気分に絶妙にマッチしていた。映画やアニメ、テレビゲームにカップ焼そばまで、SF的なものが時代のトレンドになっていく。この曲のレコードにも未来的な電子音が入っていたりして、なかなか良かった。インパクトが強い振り付けも、いろいろなタイプの人たちに真似された。まさに国民的なヒット曲だった記憶がある。