邦楽ポップス名曲のあゆみ 第7回(1975)

私鉄沿線/野口五郎 (1975)

野口五郎の15枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは前作「甘い生活」に続き、2曲連続で1位に輝いた。当時、北海道苫前郡苫前町の小学2年生にはこの曲のタイトルの「私鉄沿線」というのがどういう意味なのかさっぱり分からなかったのだが、なんとなく都会的でカッコいいとは感じていた。「悲しみに心とざしていたら 花屋の花も変りました」という歌詞は、所ジョージ「西武沿線」でもパクられていた。いまやすっかり世田谷のイメージが定着した所ジョージだが、デビュー当時は所沢出身であることを強調していた。それはそうとして、野口五郎はこの年の4月から日本テレビ系ではじまるバラエティ番組「カックラキン大放送!!」でコミカルな役割でも才能を発揮し、子供たちにも人気があった。2008年にモーニング娘。の亀井絵里と光井愛佳が歌った「春 ビューティフル エブリデイ」の「準急停まるあなたの駅」というフレーズに、この曲からの影響を少し感じたりもした。

しらけちまうぜ/小坂忠 (1975)

小坂忠の4作目のアルバムでシティ・ポップの名盤としても知られる「HORO」のB面1曲目に収録され、シングルでもリリースされた。恋人との別れ際における男の強がりを描いた松本隆の歌詞が心に沁みる(「涙は苦手だよ 泣いたらもとのもくあみ しらけちまうぜ」)。90年代に東京スカパラダイスオーケストラと小沢健二にカバーされるなどして、「渋谷系」世代のリスナーにもかなり知られるようになった。

22才の別れ/風 (1975)

かぐや姫のメンバーであった伊勢正三が大久保一久と結成したフォーク・デュオ、風のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルで1位に輝いた。かぐや姫時代からのレパートリーで、すでにかなり人気があったようだ。1984年にテレビドラマ「昨日、悲別で」のエンディングテーマとしてかぐや姫のバージョンが使われ、新しい世代のリスナーにも広まっていった。

ゴロワーズを吸ったことがあるかい/かまやつひろし (1975)

かまやつひろしのシングル「我が良き友よ」のB面に収録されていた曲で、90年代以降、レア・グルーヴ的に評価されるようになる。とはいえ、「我が良き友よ」は吉田拓郎の作詞・作曲でオリコン週間シングルランキングで1位に輝いた大ヒット曲だったため、レコードそのものがレア(稀少)というだけではないと思われる。かまやつひろしは60年代からロカビリー歌手やザ・スパイダースのメンバーとして活動し、フォークソング的でもある「我が良き友よ」は自身のイメージにはそれほどそぐわない楽曲だったが、その分、B面のこの曲では趣味性を追求したという。たまたま来日していたタワー・オブ・タワーが参加していることでも知られる。

年下の男の子/キャンディーズ (1975)

ラン、スー、ミキの3人組アイドル・グループ、キャンディーズの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。これが初のトップ10シングルで、「NHK紅白歌合戦」にもこの曲で初出場した。カントリー調のサウンドに乗せて「年下の男の子」の特徴(「真赤な林檎を頬ばる」「ネイビーブルーのTシャツ」など)を歌ったコミカルな歌詞が大いに受けた。

砂の女/鈴木茂 (1975)

元はっぴいえんどのギタリストでもあった鈴木茂のソロ・デビュー・アルバムで、これもまたシティ・ポップの名盤として知られる「BAND WAGON」の1曲目に収録された曲である。サンフランシスコでライブを見たジョージ・ハリソン「マイ・スウィート・ロード」にも影響を受けているという。作詞は松本隆で、「じょうだんは やめてくれ」というフレーズがとにかく印象に残る。

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド (1975)

ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。当初は「カッコマン・ブギ」のB面としてリリースされたが、有線放送で人気が出たことから、途中でA面とB面が逆になった。セリフを中心とした構成はアメリカのトーキング・ブルースにインスパイアされたものだという。「アンタ あの娘の何なのさ!」のフレーズは大いに流行ったが、「そりゃもう大騒ぎ」も印象的であった。

DOWN TOWN/シュガー・ベイブ (1975)

山下達郎、大貫妙子らが所属していたバンド、シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」に収録され、シングルでもリリースされた。元々は山下達郎と伊藤銀次がキングトーンズの15周年記念アルバムに提供することをイメージしてつくられたらしい。当時それほどヒットしたという記録はなく、日本の一般大衆的な音楽リスナーにどれほど知られていたのか個人的には定かでないのだが、80年代にフジテレビ系のバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマとして使われていたEPOの曲が、実は山下達郎が昔やっていたバンドの曲のカバーらしい、という経緯で知ったような気がする。

裏切りの街角/甲斐バンド (1975)

甲斐バンドの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。「九州最後のスーパースター」というキャッチコピーでデビューした甲斐バンドのこれが初のヒット曲となり、細川たかし、岩崎宏美らと共に日本有線大賞の優秀新人賞も受賞した。ザ・キンクス的なブリティッシュ・ロックのテイストを感じさせながら歌謡曲的でもあるという、実に味わい深いヒット曲である。

誘われてフラメンコ/郷ひろみ (1975)

郷ひろみの13枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。あの中性的でアブナいボーカルでいきなり「アンアンアアア、アンアアンアン」などと繰り返し歌われるので、「真夏の匂いは 危険がいっぱい」という歌詞にも説得力が生まれる。ポップスの快楽と中毒性に満ち溢れた素晴らしい楽曲である。

ロマンス/岩崎宏美 (1975)

岩崎宏美の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。当時のアイドル歌手の中でも特に歌唱力があり、楽曲もひじょうに良いことから、いわゆる「楽曲派」アイドル的な印象もあるのだが、それは初期の筒美京平作品が特に飛び抜けて優れていたことによるところが大きい。当時、流行していたディスコ・ポップの要素を歌謡曲に取り入れ、いわゆるディスコ歌謡という実験における大成功作としてもエポックメイキングな楽曲だといえる。この次のシングルとなった「センチメンタル」もとても良く、続けてオリコン週間シングルランキング1位に輝いた。

「いちご白書」をもう一度/バンバン (1975)

ばんばひろふみと高山弘によるフォーク・デュオ、バンバンが5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。学生運動について曲を書きたいと思っていた荒井由実の元に、ばんばひろふみから楽曲提供のオファーがあり、この曲が完成したのだという。タイトルと歌詞ににある「いちご白書」は学生運動をテーマにしたアメリカ映画で、ジョニ・ミッチェル「サークル・ゲーム」が主題歌であった。

時の過ぎゆくままに/沢田研二 (1975)

沢田研二の14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは5週連続1位の大ヒットを記録した。沢田研二自身が主演したテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌であり、バーで歌う歌手だが男娼という裏の顔もあり、実は三億円事件の真犯人でもあるというダークな役柄を反映し、「堕ちてゆくのも しあわせだよと」というフレーズも印象的なバラードになっている。

あの日にかえりたい/荒井由実 (1975)

荒井由実の6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。テレビドラマ「家庭の秘密」の主題歌として、別バージョンが使われていた。「四畳半フォーク」的ではなく、「中産階級サウンド」「有閑階級サウンド」などと自称するタイプの荒井由実の音楽はユーミン・ブランド(翌年にリリースされ、オリコン週間アルバムランキングで1位に輝くベスト・アルバムのタイトルである)として、生活水準が上昇気流に乗っていた当時の日本国民の気分にフィットしていたような気がする。1980年には「卒業写真」をB面にしたシングルが再発され、新たな世代のリスナーにもアピールしていく。

なごり雪/イルカ (1975)

フォークシンガー、イルカの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位のヒットを記録した。元々は伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲として1974年のアルバム「三階建の詩」に収録されていた曲のカバー・バージョンである。春の別れをテーマにしたセンチメンタルな楽曲は、スタンダードとして親しまれることになった。歌詞には「東京で見る雪はこれで最後ね」というフレーズが出てくるが、実際には伊勢正三の故郷である大分県の津久見駅をモチーフに書かれているという。

眠れぬ夜/オフコース (1975)

オフコースのアルバム「ワインの匂い」からシングル・カットされ、オリコン週間シングルランキングで最高48位を記録した。当時のアーティスト名表記は「オフコース」ではなく「オフ・コース」、メンバーは小田和正と鈴木康博の2名のみであった。ニューミュージックブーム後の1980年に西城秀樹によるカバー・バージョンがヒットして、オフコースの初期の名曲としてより広く知られるようにもなった。

木綿のハンカチーフ/太田裕美 (1975)

太田裕美の4枚目のシングルで、作詞の松本隆、作曲の筒美京平といういずれも大御所にとっても代表曲とされる場合が多いが、オリコン週間シングルランキングでは意外にも最高2位止まりであった。地方に残る女性と都会の絵の具に染まって変わっていく恋人との関係性をストーリー仕立てで描いた歌詞と、太田裕美の透き通ったボーカルが素晴らしい、日本歌謡ポップス史に残るこれぞ名曲といわれがちであり、カバー・バージョンも数多くリリースされている。

およげ!たいやきくん/子門真人 (1975)

フジテレビ系の子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」で使用されていた曲だが、450万枚以上を売り上げ、日本で史上最も売れたシングルとして知られている。たい焼き屋から飛び出し、海に逃げ込んだたい焼きが、束の間の自由を満喫するのだが、結局は釣られて食べられてしまうという内容である。あまりにヒットしたため原因が分析されたりもして、サラリーマンの悲哀のようなものと重なるところが受けたのではないか、などといわれてもいた。番組で当初、流れていたバージョンは生田敬太郎によって歌われていたのだが、権利関係の事情などがあり、途中から子門真人のバージョンにかわったという。西麻布にあるたい焼き屋、浪花家総本店はこの曲の歌詞ではなく、アニメキャラクターのモデルである。まったくの余談だが、この店はたい焼きだけではなく昔ながらの焼きそばもかなりおいしかった記憶がある。オリコン週間シングルランキングでは11週連続1位を記録し、太田裕美「木綿のハンカチーフ」が2位止まりだったのも、この曲が売れすぎていたためである。