邦楽ポップス名曲のあゆみ 第2回(1965-1967)

フリフリ/田辺昭知とザ・スパイダース (1965)

堺正章、井上順も在籍していたザ・スパイダーズはグループ・サウンズのバンドとして知られているが、初期にはよりブリティッシュ・ビート的な音楽性であった。メンバーのかまやつひろしが作詞・作曲したこの曲は、当時、大流行していたモンキーダンスで踊るのに適したイカしたナンバーである。アルバム「ザ・スパイダース・アルバムNo.1」には「フリ・フリ’66」のタイトルで収録されているが、サザンオールスターズは後にこの曲とはまったく別に「フリフリ’65」という曲をヒットさせている。

お嫁においで/加山雄三(1966)

映画「若大将」シリーズで大人気だった加山雄三の、ハワイアンテイストなヒット曲である。2015年にはラッパーのPUNPEEをフィーチャーした「お嫁においで2015」をリリースするが、夏フェスで共演時には若者の文化をリスペクトするベテラン像が、若い音楽ファンからも概ね好評であった。作曲者の弾厚作は、加山雄三のペンネームである。

想い出の渚/ザ・ワイルドワンズ(1966)

ザ・ワイルドワンズのデビュー・シングルで、グループ・サウンズブームを代表するサマー・チューンである。1978年にザ・ハンダースが「ハンダースの想い出の渚」として、様々な有名人のものまねをフィーチャーしたカバーバージョンをリリースしている。

ブルー・シャトウ/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1967)

グループ・サウンズ・ブームを代表する大ヒット曲で、第9回日本レコード大賞まで受賞してしまった。しかし、元々はブリティッシュ・ロック的な音楽であったグループ・サウンズではあったが、この曲のようにまるで歌謡曲のようなメロディーのものもひじょうに増えてきていて、しかもそれが売れてしまうことに対しての批判もあったのだという。「森と(トンカツ)泉に(ニンニク)かこ(コンニャク)まれて(天ぷら)」などと、歌詞のフレーズの後に食べもの名前を入れる遊びが流行るほどヒットしていたようだ。

シーサイド・バウンド/ザ・タイガース (1967)

ザ・タイガースの2枚目のシングルで、その人気を決定づけたヒット曲として知られる。「踊りに行こうよ 青い海のもとへ」「でっかい太陽が恋の女神なのさ」といったフレーズも印象的な、夏に若さがほとばしるご機嫌なナンバーである。

真赤な太陽/美空ひばり(1967)

グループ・サウンズ・ブームがひじょうに盛り上がっていたこともあり、歌謡界の大御所、美空ひばりまでもが、「ブルー・シャトウ」を大ヒットさせたジャッキー吉川とブルー・コメッツをバックに、グループ・サウンド的なこの曲をリリースした。天才少女歌手としてデビューした美空ひばりもこの頃にはすでに30歳になっていたが、この新しいイメージを大衆は支持して大ヒットとなった。

好きさ好きさ好きさ/ザ・カーナビーツ (1967)

グループ・サウンズ人気が大衆に広まっていくにつれて、歌謡曲のようなメロディーのものも増えていったのだが、ザ・カーナビーツはロンドンのカーナビー・ストリートからバンド名を取っているだけあって、ブリティッシュ・ロック的であった。デビュー・シングルとなったこの曲はゾンビーズのカバーであり、ボーカルでドラムスのアイ高野がスティックを突き出し、「お前のすべてを」と歌うところで、女性ファンたちは熱狂したという。

朝まで待てない/ザ・モップス(1967)

ザ・モップスはやはりグループ・サウンズのバンドとして知られていたのだが、サイケデリック・ロック的でもあるそのサウンドは、後の世代の人たちからもひじょうに高く評価されることになった。

トンネル天国/ザ・ダイナマイツ(1967)

ザ・ダイナマイツもまたグループ・サウンズのバンドだが、山口冨士夫がメンバーだったことでも知られる。デビュー・シングルとなったこの曲はオリコン週間シングルランキングで最高73位、その後はヒットが続かなかったが、その音楽性の高さや独特なポップ感覚によってカルト的な人気がある。明石家さんまも以前にこの曲のことを、テレビで話題にしていたらしい。

帰って来たヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダーズ(1967)

ザ・フォーク・クルセダーズは加藤和彦を中心に関西のアンダーグラウンドシーンで活動していたのだが、解散記念に自主制作で出したアルバムに入っていたこの曲がラジオでよくかかるようになり、再結成し、プロデビューすることになった。コミックソングでありながらその音楽性はひじょうに高く、テープの早回しを用いたボーカルが最も印象的ではあるのだが、エンディングではお経とビートルズ「ハード・デイズ・ナイト」と「エリーゼのために」が入り混じるなど、聴きごたえがある。