ヴェルヴェット・アンダーグラウンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ(The Velvet Underground and Nico)」【CLASSIC ALBUMS】

「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」は1967年3月12日にリリースされたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビューアルバムで、タイトルの通りドイツ出身のシンガーソングライターで女優であるニコもレコーディングに参加している。

当時あまり売れなかったのだが影響はひじょうに大きく、ポップミュージック史を語る上で欠かすことができない作品として知られるが、これをうまく表現した例として、ブライアン・イーノによる当時このレコードを買った人たちは少なかったかもしれないのだが、買った人たちの全員がバンドを組んだと思うというような発言がある。

その真偽はともかくとして今日オルタナティブとかインディーといったワードではじまるジャンルに分類されるすべてのポップミュージックや、パンクロックやニューウェイヴなどですら、このアルバムの影響を受けているというか、このアルバムがなければ存在していないかまったく違うものになっていたのではないか、ということはできる。

そんなすごいアルバムがどうして当時ほとんど売れなかったのかというと、トレンドに合っていなかったというかむしろ反しているようなところもあったのと、メディアにもあまり好意的に取り上げられなかったからということが挙げられる。

時期的にはビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がリリースされ、「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれる愛と平和の夏が訪れ、ロックミュージックがまるでそのサウンドトラックのように聴かれがちな少し前のことで、このアルバムが歌っていた内容といえばドラッグの服用や性的倒錯についてである。ラジオではかからずレコード店からもストックするのを断られる場合があったのだという。

歌詞はルー・リードによって書かれていたのだが、ウィリアム・S・バロウズやアレン・ギンズバーグといったビートニクスやヒューバート・セルビー・ジュニア「ブルックリン最終出口」といった文学作品に傾倒していて、そういった世界とポップミュージックを結びつけてみるとかなり良いのではないかというような構想があったようである。

イギリスはウェールズ出身のジョン・ケイルは現代音楽を学ぶためニューヨークに渡り、そこで作曲家のラ・モンテ・ヤングに出会うのだが、その影響を受けたミニマルミュージック作品をつくったりしているうちにルー・リードと出会って意気投合し、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成することになる。

ルー・リードは商業的なポップミュージックをつくって売るなどはすでにしていたのだが、実は本当にやりたい音楽はこれではないのだ、というようなことをジョン・ケイルに告白し、そこから一緒に曲をつくるようになっていった。それから他のメンバーが入ったり抜けたりもして、やがて固定されていくのだが、そのうちグリニッジ・ヴィレッジのカフェで行っていたライブがポップアーティストであるアンディ・ウォーホルの目にとまって、彼が主催するマルチメディアイベント「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」に出演するようになる。

それでアルバムをつくろうという話になるのだが、アンディ・ウォーホルはその制作をバックアップする条件として、ニコの参加を打診することになる。バンドとしてはアルバムを出したかったので、ニコの参加についてはもしかすると不服だったのではないかという説もあったりはするのだが、とにかくその線でつくっていくことになる。

レコーディングが終わった後でアセテート盤がつくられて、いくつかのレーベルに売り込みが行われるのだが反応は芳しくなく、いろいろと断られた挙句にヴァーヴ・レコードから発売されることになった。

プロデューサーにはアンディ・ウォーホルがクレジットされているのだが、音楽的には特に何もやっていなくて、ただ実はそれがとても良かったのではないか、という意見もあったりはする。それで、現実的にはボブ・ディランの作品などを手がけたトム・ウィルソンの貢献が大きかったのではないかといわれる。

アルバムを仕上げるにあたって、やはり何か足りないのではないかという話になって、最後にアルバムの1曲目に収録された「日曜の朝」がレコーディングされた。当初はニコがリードボーカルをとる想定でつくられた曲だったようだが、結局はルー・リードが歌ってニコはコーラスで参加した。

このアルバムは発売当初は売れなかったものの、その後、時を経て名盤としての評価が確立し、80年代半ばあたりにはロック名盤ガイド的な雑誌の特集や書籍では必ず取り上げられるレベルにはなっていた。そこではやたらと難解であるとか前衛的で時代を先取っていたというような説明と共に紹介されていた。

当時はインターネットもまだないので手軽に試聴することもできず、ラジオでもヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽はおそらくまったくといっていいほどかかってはいなかったので、そういった活字の情報から内容を想像するしかなかった。それで、かなりハードルが高いのではないかとビビッてはいたのだが、掲載されていたバナナのイラストが描かれたジャケットはなんだか持っていたくなるような気分にさせてくれた。

それで、いまこの文章を書いている当人は大学に入学したばかりの1986年の春、しかも「日曜の朝」にこのアルバムを小田急相模原駅と直結した小田急OXに入っていたレコード店で購入したのであった。帰宅してどんなに恐ろしいアルバムなのかと緊張しながら針を落とし、スピーカーから聴こえてきたのがA面の1曲目に収録されていた「日曜の朝」で、そのあまりのポップさに脱力した。そして、その数分後にはすっかり気に入っていたのであった。

いやこれは普通にとても良い曲であり、なんならちょっとお洒落なのではないかとさえ思えたのだが、それはすでにこのアルバムが強く影響をあたえ、変えてしまった時代においてだったからかもしれない。

その後は「僕は待ち人」「毛皮のヴィーナス」「オール・トゥモロウズ・パーティー」「ヘロイン」など、ポップミュージック史に残る名曲がたくさん収録されているのだが、確かにコンテンポラリーなポップミュージックとはかなり違った音楽性なのだが、80年代のインディーロックに慣れ親しんだ状態においては、すんなりと受け入れることができたというか、60年代の作品にもかかわらずまったく古さを感じさせないな、というような気分にはなっていた。

それでもアルバムの最後に収録された「ヨーロピアン・サン」の次第にカオスな展開になっていく様には度肝を抜かれ、1曲目のポップさからここに至るまでの振り幅とそれでも一貫したポップ感覚が通底している感じがとても良いと思ったのであった。

それで、歴史的名盤というのはリリース当時のインパクトはもちろん時の経過と共に持ちえなくなるものではあるのだが、このアルバムの場合は普通にとても良いポップアルバムであるのと同時に、あらゆるオルタナティブであったりインディー的な音楽のルーツ的なものとしても現役感が感じられてとても良い。

ジャケットのバナナのイラストのジャケットはアンディ・ウォーホルによるものであり、しっかりサインも入っている。バンド名やアルバムタイトルはどこにも記載されていないのにである。それで、初回盤はこのバナナの部分がシールになっていて、(ゆっくり)剥がすと肌色のバナナが出てくるようになっていた。80年代に再発された日本盤の一部でもこのシールは再現されていたということなのだが、小田急OXのレコード店で買ったのがどうだったかは覚えていない。

ポップミュージックの歴史的名盤を教養として聴くようなムーブメントはもはや廃れて久しく、それでもまったく問題はないというかむしろ健全なのではないかとすら思えるのだが、オルタナティブとかインディーとかいうようなタイプの音楽を好むようなタイプの人たちは聴いてみてもわりと楽しめるのではないかというような気はする。