ピクシーズ「ドリトル」【CLASSIC ALBUMS】

ピクシーズの2作目のアルバム「ドリトル」はポップミュージック史上最も重要なアルバムのうちの1つと見なされる場合も少なくはないような気もするのだが、それはアルバム「ネヴァーマインド」の大ヒットによってオルタナティブロックのメインストリーム化というかたちでポップミュージック界のトレンドをすっかり変えてしまったニルヴァーナのカート・コバーンにあまりにも大きな影響をあたえたことなどによるものだと思われる。

カート・コバーンはピクシーズの音楽を聴いたときにこのバンドのメンバーになりたいと強く願ったし、もしそれが叶わないとするならば、ピクシーズのカバーバンドをやろうとさえ思ったという。そして、ポップミュージック史上最も重要な楽曲なのではないかといわれることもある「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」については、ソングライター本人でありながらほとんどピクシーズのまるパクリである、というようなことまでいっていたりする。

それで、このピクシーズなのだが、マサチューセッツ大学アマースト校で同級生だったブラック・フランシスとジョーイ・サンティアゴが一緒に音楽をつくりはじめたのがそのはじまりであり、ちゃんとメンバーを募集しようとなったときに、ピーター・ポール&マリーとハスカー・ドゥのどちらも好きな人という条件に応募してきたのがキム・ディールであった。しかし、実はこの時点では演奏もできなかったしベースギターを持ってすらいなかったという説もあったりはする。

それからドラマーとしてキム・ディールの妹のケリーが加入するという話もあったりはしたのだが、結局はデイヴィッド・ラヴァリングが加入して4人組になる。デモテープを制作したところ、イギリスでコクトー・ツインズなど耽美的なニューウェイブのレコードを出しているイメージが強かった4ADレーベルと契約することになり、ミニアルバムの「カモン・ピルグリム」に続いてスティーヴ・アルビニをプロデューサーに迎えたデビューアルバム「サーファー・ローザ」をリリースする。

それほどヒットしたわけではなかったのだが、そのユニークな音楽性が批評家からは高く評価され、当時のイギリスの3大音楽週刊紙のうち「メロディ・メイカー」と「サウンズ」で年間ベストアルバムに選ばれたりしていた。ちなみにもう1紙の「NME」がこの年の1位に選んだのはパブリック・エナミー「パブリック・エナミーⅡ」で、「サーファー・ローザ」は10位であった。

そして、2作目のアルバムとなる「ドリトル」ではプロデューサーにエコー&ザ・バニーメンなどを手がけたギル・ノートンを起用したことによって、サウンドがもっと聴きやすくなった。

最大の特徴でニルヴァーナにも大きな影響をあたえたといわれがちなのが、「ラウド・クァイエット・ラウド」という再結成時に制作されたドキュメンタリー映画のタイトルにもなった、サウンドの強弱の落差を効果的に利用する手法である。

1曲目に収録された「ディベイサー」はピクシーズの代表曲の1つとして見なされることもあるのだが、一旦解散した後にベストアルバムがリリースされた1997年までシングルカットされることがなかった。

キム・ディールのクールなベースのフレーズではじまり、インディーロック的なイントロが数小節続いた後で、ブラック・フランシス目玉を切り裂く映画を見たのだが、それをあなたに知ってもらいたいというようなことをシャウト気味に歌う。

この映画というのはルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによって1928年に制作され、翌年に公開された「アンダルシアの犬」なのだが、シュールレアリスティックな名作として芸術的に評価が高いこの作品に特に意味はないということが、楽曲のテーマにはなっているようで、タイトルがあえて微妙に間違えられたまま何度も歌われたりもしている。

タイトルの「ディベイサー」は「価値を下げる人」というような意味で、これもまたブラック・フランシスによって何度も歌われるのだが、キム・ディールのガールズポップ的なコーラスが追いかけることによって、絶妙なポップ感覚をかもしだすことに成功している。

3曲目に収録された「ウェイブ・オブ・ミューティレイション」はブラック・フランシスが読んだ、仕事で失敗したことが原因で家族で車に乗ったまま海に突っ込み、一家心中をした日本のサラリーマンについての記事にインスパイアされている。また、ビーチ・ボーイズのアルバム「20/20」に収録された「ネヴァー・ラーン・ノット・トゥ・ラヴ」の元になったチャールズ・マンソン「シーズ・トゥ・イグジスト」にも言及していて、いずれにしても死のイメージが反映された楽曲となっている。

「ヒア・カムズ・ユア・マン」はピクシーズの楽曲の中でも特にポップでキャッチーな印象が強いが、ブラック・フランシスが14歳か15歳ぐらいの頃に書いた曲らしく、デビュー前のデモテープには収録していたのだが、「カモン・ピルグリム」にも「サーファー・ローザ」にも入れていなかった。

ブラック・フランシスはこの曲があまりにもキャッチーすぎるので、本来ならば「ドリトル」にも収録したくはなかったのだが、プロデューサーであるギル・ノートンの強い要望によって収録することになったようである。

こんなにもポップで明るい曲なのだが、ブラック・フランシスによると列車を無賃乗車したりして移動していた失業者などがカリフォルニアの地震で死んでしまったことについて歌ったものだという。

「ボックスカーが外で待っている」という歌詞ではじまるのだが、この「ボックスカー」というのは北米で貨物を運ぶために使われる密閉式の鉄道車両のことをいうようであり、ブラック・フランシスはR.E.M.のデビューEP「クロニック・タウン」に収録された「カーニヴァル・オブ・ソーツ(ボックスカーズ)」でこの単語を知って以来、とても気に入っていたのであった。

2009年のロマンティックコメディ映画「(500)日のサマー」では主人公とヒロインとがザ・スミス「ゼア・イズ・ア・ライト」がきっかけで仲よくなるのだが、会社のカラオケ大会のようなものではヒロインがナンシー・シナトラ「シュガー・タウンは恋の町」を歌っていたのに対し、主人公がこの曲を選曲していたのが印象的であった。

全米モダンロックトラックスチャートで最高3位を記録し、ピクシーズの知名度を上げるきっかけとなった楽曲である。

「モンキー・ゴーン・トゥ・ヘブン」は「ドリトル」からのリードシングルとしてリリースされていた楽曲で、全米モダンロックトラックスチャートで最高5位を記録している。

当時のアメリカの特にオルタナティブロック系のバンドやアーティストになると、アルバムのセールスを伸ばすためにあえてシングルをリリースしないというということをわりと行いがちで、ラジオ局にはプロモーション用のシングルを送ったりはしていたので、オンエアされたそれらを聴いて、リスナーにアルバムを買ってもらおうという感じだったのではないかと考えられる。

そうなると当時の全米シングルチャートは現在とは違って、フィジカルのシングルの売上がひじょうに重要だったため、これにはランクインしてこないということになる。それで当時のヒットの規模感というのをなかなか測りかねたりもするのだが、ちなみに「ドリトル」の全米アルバムチャートでの最高位が98位なので、それほどものすごく売れたわけではないのだろうというような気もする。

それでも、当時においてはこういったタイプの音楽のレコードとしてはかなり売れた方だということになっていたようである。ちなみにイギリスのヒットチャートを見てみることにすると、「モンキー・ゴーン・トゥ・ヘブン」が全英シングルチャートで最高60位、「ヒア・カムズ・ユア・マン」が同じく最高54位なのだが、「ドリトル」は全英アルバムチャートで初登場8位と普通に上位にランクインしている。

それはそうとして、この「モンキー・ゴーン・トゥ・ヘブン」なのだが、人間が生存していくことによっていかに環境を破壊してしまっているか、というような社会的な問題が取り扱われている。しかし、シンプルにメッセージソングなのかというと、そういった感じもそれほどしなくて、なかなか絶妙に微妙だということができる。

「クラキティ・ジョーンズ」はブラック・フランシスが学生時代に留学先のプエルトリコで出会った変人でサイコでゲイのルームメイトについて歌われ、ドラマーのデヴィッド・ロヴァリングが歌う「ラ・ラ・ラブ・ユー」はシンプルなラブソングに擬態したカジュアルに悪趣味なセックスジョークである。

15曲収録で約39分、ユニークなアイデアに満ち溢れたインディーロック的な楽曲が次から次へと繰り出されるうちに、いつの間にか聴き終えているのだが、プロデューサーからは曲が短すぎるのでもっと長くしろといわれたりしたのを、レコードショップまで連れていって、やはり1曲ずつがそれほど長くはないバディ・ホリーのベストアルバムを見せつけて説得したりもしたのだという。

ピクシーズの音楽はそれほど万人に広く受け入れられるかというと、そうではないようなところもあるため、たとえもっと売り方を工夫したところで、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」のような一般大衆的なブレイクを果たすことはなかったと思うのだが、もしもピクシーズが存在していなかったとするならば、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」も生まれず、オルタナティブロックがメインストリーム化することもなかったのではないか、というようなことはなんとなく想像できたりはする。

ちなみにニルヴァーナのデビューアルバム「ブリーチ」は「ドリトル」 の約2ヶ月後にあたる1989年6月15日にリリースされていて、「ネヴァーマインド」までにはさらに時間を要するわけだが、その間にはソニック・ユースのメジャー契約と「GOO」のリリースがあったりもする。

それはそうとして「ドリトル」は純粋にとても良いロックのレコードなので、これからもいろいろな人たちに聴かれていくといいと思う。