邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:450-441

450. MUGO・ん…色っぽい/工藤静香(1988)

フジテレビで平日の夕方5時から放送されていたバラエティー番組「夕やけニャンニャン」に出演していたおニャン子クラブで、女子大生ブームを巻き起こした「オールナイトフジ」の女子高生版から派生していたのだが、実際には女子高生ばかりではなく、すでに事務所に所属しているタレントなどもいたようである。

番組のオープニングテーマは当初、チェッカーズ「あの娘とスキャンダル」だったのだが、おニャン子クラブクラブの人気が加熱し、レコードデビューを果たすと、そのデビュー・シングルである「セーラー服を脱がさないで」が使われるようになった。発売を記念するイベントが池袋のサンシャインシティ噴水広場で予定されていたのだが、想定を大きく超える人数があつまり、混乱を避けるため、やむを得ず中止せざるをえないような状況であった。

その後、グループや派生ユニットやソロ・デビュー組などが次々と新曲をリリースし、ヒットチャートを席巻するような事態となるのだが、これによって多くの楽曲の作詞を行っていた秋元康は天才的なヒットメーカーとしても知られていくようになる。

工藤静香は1986年5月におニャン子クラブクラブに加入して、会員番号は38番だったのだが、それ以前にセブンティーン・クラブというアイドルグループで活動していて、エスビー食品から発売されていた「鈴木くん」「佐藤くん」という名前のスナック菓子のCMソングなども歌っていたはずである。

1987年には生稲晃子、斉藤満喜子とのユニット、うしろ髪ひかれ隊のメンバーとしてに続いて、「禁断のテレパシー」でソロ・アーティストとしてのデビューも果たす。「夕やけニャンニャン」が最終回を迎える頃のことである。「急に呼び出された夜のプールバーで」などの歌詞も秋元康によるものだが、当時、トム・クルーズが出演した映画「ハスラー2」の影響で、プールバーは日本の若者にとって最もトレンディーなスポットの1つとなっていた。

この曲は工藤静香にとって5枚目のシングルにあたり、オリコン週間シングルランキングのみならず、「ザ・ベストテン」でもついに初めて1位に輝いた大ヒット曲で、カネボウ化粧品のテレビCMでも使われていた。タイトルはややトリッキーだが、広告のキャッチコピーが「ん、色っぽい」であり、作詞をした中島みゆきにはあらかじめこのフレーズをタイトルや歌詞に入れるように要請されていたためにこうなったようだ。

工藤静香はおニャン子クラブ加入をきっかけにブレイクしたアイドルではあるが、「夕やけニャンニャン」終了後により人気者となった稀有な例であり、80年代後半の4大女性アイドルといえば、工藤静香、中山美穂、南野陽子、浅香唯という感じであった。1989年の夏にローソン調布柴崎店に入荷したアイドルうちわも、この4人のものであった。この曲については。80年代後半的な打ち込み感覚と歌謡ポップス的な良い意味での下世話さが絶妙にマッチしていてとても良い。

449. GET CRAZY!/プリンセス・プリンセス(1988)

プリンセス・プリンセスといえば1989年、つまり平成最初のオリコン年間シングルランキングにおいて、「Diamonds(ダイアモンド)」「世界でいちばん熱い夏」で1位、2位独占という記録があまりにもすごいのだが、ここに至るまでにはわりと苦労もしていた。元々はTDKレコードが主催するオーディションがきっかけで結成され、赤坂小町のバンド名でデビューするものの、芸能界的な仕事に辟易するなどして事務所を移籍、ジュリアン・ママを経てプリンセス・プリンセスに改名するのだが、名づけ親はムーンライダーズの岡田徹である。

それで、この曲は「Diamonds(ダイアモンド)」「世界でいちばん暑い夏」が売れまくる前の年にシングルとしてリリースされているのだが、オリコン週間シングルランキングで最高13位とすでにまあまあ売れている。三上博史や麻生祐未、それから工藤静香なども出演していたトレンディドラマ「君が嘘をついた」の主題歌としても使われていて、ロックが市民権を得てきていたことを象徴するようでもある。しかも、この曲はトレンディドラマに寄せていったというよりは、むしろ後の大ヒット曲よりもむしろロック的であるところがとても良い。

448. Dang Dang 気になる/中村由真(1989)

中村由真は1980年代後半にデビューしたアイドルで、大西結花、浅香唯と風間三姉妹役で出演したテレビドラマ「スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇」などで知られる。この曲はVAPレコードに移籍してから最初に発売されたシングルで、中村由真にとっては9枚目となる。テレビアニメ「美味しんぼ」のオープニングテーマに使われ、オリコン週間シングルランキングで最高17位のスマッシュヒットを記録した。

「美味しんぼ」は1983年から「ビッグコミックスピリッツ」に連載されていたコミックであり、料理やグルメがテーマになっていた。1988年にテレビアニメ化されたのだが、当時はバブル景気やいわゆる「純愛」ブームの真っ只中であった。林哲司が作曲したこの曲にはナチュラルにシティ・ポップ的な気分が感じられ、2010年代以降のシティ・ポップ・リバイバルでも再評価されることになった。

「ワープロをほら 叩いてた指先が 愛というキーに触れたまま止まってる」というようなことが、トレンディーなサウンドにのせて歌われるのだが、この頃にはまだワープロことワードプロセッサーが最新のトレンドアイテムでもあったわけである。

447. CANDY GIRL/hitomi (1995)

hitomiの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高15位を記録した。この曲がリリースされた1995年といえば、ポップ・ミュージック批評的にはいわゆる「渋谷系」的な音楽が好意的に取り上げられがちな印象があるが、一般大衆的に最もポピュラーだったのは小室哲哉によって生み出されたヒット曲の数々であろう。

この曲もそのうちの1つであり、マイルドにニュージャックスウィング的でもあるサウンドは、「渋谷系」的にトリミングされる以前のボリュームゾーン的な「渋谷」のストリート感覚を思い起こさせてくれる。「私の元気にかなうやつなんていないわ」「私は世界中でたった一人前向きだよ」というようなフレーズが印象的な歌詞はhitomi自身によるものであり、職業作詞家やJ-POPのシンガー・ソングライターとはひと味違ったヴィヴィッドな言語感覚もなかなか魅力的である。

446. さよならMusic/Negicco(2013)

Negiccoのシングル「ときめきのヘッドライナー」にカップリング曲として収録され、後にライブのセットリストには欠かせない人気曲となった。2017年にベスト・アルバム「Negicco 2011~2017 -BEST- 2」がリリースされた際にもファンの投票によって、シングル表題曲や新曲や初音源化曲以外では唯一、収録されることになった。

シングル表題曲の「ときめきのヘッドライナー」はNONA REEVESの西寺郷太による楽曲で、オリコン週間シングルランキングでは最高20位を記録した。Negiccoは2003年に新潟でデビューしたアイドルグループであり、地元の熱心なファンで会社員でもあるconnieはわりと初期から楽曲を提供し続けていた。2011年にタワーレコードが立ち上げたアイドル専門レーベル、T-Palette Recordsと契約した後は、有名アーティストからの提供曲をシングル表題曲とするケースが増え、connieによる楽曲はカップリング曲として収録されがちであった。

この曲はconnieによって書かれているが、表題曲の作者である西寺郷太にリスペクトを込めて、NONA REEVESの人気曲「LOVE TOGETHER」などに対するオマージュになっているところもある。アイドルというのは刹那的な存在でもあり、どんなに熱心に応援していたとしても、いつか急に引退や卒業をしてしまう可能性もある。この曲の歌詞には、connie自身のそのような体験が反映しているともいわれている。「出会えたのは偶然の運命 無駄なことなんてないね」「出会いはそう別れの始まり 残された日々の意味を」「君に会えてよかった」といったフレーズにグッとくる。

ライブでは終盤にパフォーマンスされることが多く、「嬉しすぎて最高 だから余計に終わりを考えてしまう」というところもより深い意味を持って響きがちである。英語のように聴こえるのだが、実は強引な当て字的な日本語詞であったり、「Oh! 新潟 超いいな アイドルとかだナァ」というようなよく分からないようでいて、実はしっかりと意味が分かりすぎる歌詞もまたとても良い。この翌年にNegiccoはシングル「光のシュプール」によって、オリコン週間シングルランキングで念願のトップ10入りを初めて果たすのだが、それがconnieによる楽曲であったというのもとても良い。

この曲はアイドルの刹那性のようなものを歌ってもいるのだが、Negiccoはメンバー全員が結婚をした後もアイドルグループとしての活動を継続し、2023年には結成20周年を迎える。

445. 俺は絶対テクニシャン/ビートたけし(1981)

漫才ブームは1980年に大きな盛り上がりを見せ、特に人気があったコンビとして、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方のりおなどがいて、横山やすし・西川きよし、オール阪神・巨人、星セント・ルイスなども同じ演芸番組に出演していることがあった。フジテレビ系の「THE MANZAI」は少し前まで中高年などが主に楽しむものだった漫才というエンターテインメントを、若者向けにショーアップしたものであった。

そのようなブームの真っ只中に、1981年の元旦にはザ・ぼんちがシングル「恋のぼんちシート」でレコードデビューを果たし、オリコン週間シングルランキングで最高2位の大ヒットを記録した。同じ日にニッポン放送でツービートのビートたけしがパーソナリティーを務める「ビートたけしのオールナイトニッポン」が放送を開始し、1980年に発生した神奈川金属バット両親殺害事件をモチーフにしたとも取れるコーナーを放送するなどして、いきなり問題視されたりもしていた。この番組ではザ・ぼんち「恋のぼんちシート」がイギリスのグループ、ダーツ「ダディ・クール」のパクりなのではないかということを告発したりもするのだが、作曲者の近田春夫があっさりと認めるなどしたため、それほど盛り上がらずに終わった。

他の人気漫才コンビもほとんどがレコードを出していたような気がするのだが、大ヒットしたのは「恋のぼんちシート」ぐらいだったような気がする。ツービートはA面にビートたけし「俺は絶対テクニシャン」、B面にビートきよし「茅場町の女」を収録したシングルをリリースするのだが、オリコン週間シングルでの最高位は77位であった。ビートたけしは「俺は絶対テクニシャン」を「ザ・ベストテン」にランクインさせるための様々なキャンペーン案を「オールナイトニッポン」で話し、その中には街でビートたけしを見かけた場合、「有線」と声をかけてくれたら10円玉をあげるので、それで有線放送にリクエストをするように、というようなものもあったような気がする。

ビートきよし「茅場町の女」がムード歌謡的な楽曲だったのに対し、「俺は絶対テクニシャン」は現在でいうところのテクノ歌謡である。作詞は来生えつこで、作曲が遠藤賢司である。「ピコピコ パコパコ スコスコ キンキン」という怪しげな女声コーラスではじまるこの曲の歌詞は基本的に下ネタであるのだが、テクノブームや当時、社会問題となった愛人バンクの「夕ぐれ族」、吉行淳之介やヘンリー・ミラーといった文学ネタまでが取り上げられていて、なかなか味わい深い。後にテクノ歌謡の名曲として再発見され、電気グルーヴの石野卓球によってカバーされたりもした。

444. マラッカ/PANTA & HAL(1979)

PANTAは1970年代に政治的に過激な歌詞やパフォーマンスなどで知られ、レコードが発売禁止や放送禁止にされがちだったロックバンド、頭脳警察を解散した後、ソロ活動を経てPANTA & HALを結成した。「マラッカ」はその最初のアルバムであり、ムーンライダースの鈴木慶一もかかわっている。

アルバムの1曲目に収録されたこの曲はサンバを取り入れた、開放的でありながら熱い疾走感がみなぎる新感覚のロックチューンであり、「いま 赤道直下 マラッカ」というフレーズと共に盛り上がらずにはいられない。

個人的には好きでよく読んでいた橋本治の本で名前を見かけがちなアーティストとして認識してもいたのだが、ニュー・ウェイヴ的な「レーザー・ショック」がトヨタ自動車のCMに使われたり、ナチスドイツによる迫害活動をテーマにした1987年のアルバム「クリスタル・ナハト」が高評価を得たり、メッセージ性の強いアイドルグループ、制服向上委員会のロックミュージカルで音楽監督を務めるなど、表面的なヒットチャートの記録以上の功績を日本のポップ・ミュージック史に残しているといえる。

443. Lifetime Respect/三木道三(2001)

レゲエアーティスト、三木道山の実に21枚目のシングルであり、オリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングで9位の大ヒットを記録した。「一生一緒にいてくれや」のフレーズを、当時、ほとんどの日本国民が耳にして、記憶もしているのではないかと思われる。レゲエを取り入れた日本のポップ・ソングとしてはおそらく初のオリコンNO.1ヒットだったのではないかと思うのだが、あまりにもメジャーに売れすぎたことや、文化系的ではないことなどによって、ポップ・ミュージック批評的にはそれほど高く評価されていないような気もする。

エヴァーグリーンなラヴソングとしても最高であり、「お前がもしもボケた時も 俺が最後まで介護するで心配ないぞ」ということまでが歌われているのだが、「限りある人生にいっぱい楽しい時間をお前と生きたい」例の1つとして、「一緒に料理したり 映画見たり」と同列に「愛のあるSEXに精ェだしたり」という歌詞があることによって、年齢制限がかけられていることがあるらしい。実に由々しくもしょうもない事態であり、「愛のあるSEXに精ェだしたり」というようなことは人生にとってひじょうに大切なことであるということは、むしろ正しく教育されるべきであろう。

442. モンキー・マジック/ゴダイゴ(1978)

ゴダイゴの8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録した。ミッキー吉野などによって1970年代半ばに結成され、プログレッシヴ・ロック的な音楽やCMソングなどをいろいろやっていたのだが、1978年に堺正章、夏目雅子、西田敏行などが出演したテレビドラマ「西遊記」の音楽を手がけたことにより大ブレイクし、ニューミュージックが盛り上がっていたことも相まって、国民的な人気バンドとなった。

「西遊記」のエンディングテーマであった「ガンダーラ」がまずはヒットしたのだが、続いてオープニングテーマであったこの「モンキー・マジック」も英語詞であったにもかかわらず、大いに売れた。その後、ユニセフ国際児童年の協賛曲「ビューティフル・ネーム」や、アニメーション映画「銀河鉄道999」のテーマソングなどもヒットさせた。

イントロで「アチャー!」などとシャウトされるところも印象的であり、1990年にはスチャダラパー「スチャダラパーのテーマ PT.2」でもサンプリングされていた。

441. 銃爪(ひきがね)/世良公則&ツイスト(1978)

「昭和40年男」という雑誌があり、2020年12月号の特集は「日本ロック元年」であった。日本のロックの元祖ははっぴいえんどであるとか、いやそれはいわゆるはっぴいえんど史観であって、実際にはまったくそうではない、などと議論されがちな気がしなくもないのだが、「昭和40年男」のメインターゲットであろう世代の一般大衆にとっては、この雑誌が取り上げている1978年がロック元年ということでも、それほど違和感はない。ポップ・ミュージックをテレビなどをメインに受容していた人たちにとって、ということである。

なぜなら、「ザ・ベストテン」などテレビの歌番組にロックバンドやアーティストたちがたくさん出演しはじめたのがこの年だったからである。世良公則&ツイストはポプコンことヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得したことがきっかけでデビューしたロックバンドで、3枚目のシングルにあたるこの曲は、オリコン週間シングルランキングで初の1位に輝いていた。「ザ・ベストテン」では10週連続1位を記録し、これは1981年に寺尾聰「ルビーの指環」に抜かれるまで、番組の最高記録であった。

世良公則のワイルドなボーカルとアクションがなんといっても最大の魅力なのだが、ロックバンドがゴールデンタイムのテレビで躍動している様にも、当時はひじょうにインパクトがあった。歌詞がセクシーな大人の世界をなんとなく感じさせてくれるところも、当時の小学生にとっては何だか刺激的でとても良かった。

ニューミュージック全盛の時代にはアイドルポップスがやや時代遅れなようにも感じられ、かつて新御三家と呼ばれた野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹にかわって、ロック御三家はChar、原田真二、世良公則だったのだが、数年後には御三家的な存在が田原俊彦、野村義男、近藤真彦のたのきんトリオになっていて、再びアイドルの時代が到来していた。