ビッグ・スター「セプテンバー・ガールズ」

「セプテンバー・ガール」はアメリカはメンフィス出身のロックバンド、ビッグ・スターが1974年にリリースしたアルバム「ラジオ・シティ」からシングルカットされた楽曲で、後にパワーポップの名曲として知られるようになるのだが、当時はアルバムと同様にまったくヒットしなかった。

「愛していたよ、そう、でも気にしないで」というようなことが歌われているこの楽曲は、おそらくはいわゆる失恋ソングのようなものなのだが、それではどうして「セプテンバー・ガールズ」と複数形なのかとか、「ガールズ」の綴りがなぜに「Girls」ではなく「Gurls」なのかとか、歌詞に登場する「ディセンバー・ボーイズ」とは一体、誰のことなのかなど、けして単純明快なわけでもない。

しかし、音楽的にはこういったタイプの音楽、つまりパワーポップと呼ばれる甘酸っぱいメロディーがパワフルな演奏にのせて歌われているような楽曲を好んで聴いている音楽リスナーならば、すぐに気に入るであろう即効性の魅力に満ち溢れている。

このバンドが最初に活動していた1970年代に批評家からは大絶賛されながらもほとんど売れなかった理由としては、レーベルの流通についての問題など不運なものもいろいろとあるのだが、活動を休止してしばらくした後に、インディーロック的なアーティストやリスナーたちによって再発見されたようなところがある。

たとえばポール・ウェスターバーグ率いるアメリカのオルタナティブロックバンド、リプレイスメンツが1987年にリリースしたアルバム「プリーズド・トゥ・ミート・ミー」には「アレックス・チルトン」という楽曲が収録されているのだが、このタイトルはビッグ・スターの中心メンバーで「セプテンバー・ガールズ」を作詞・作曲したアレックス・チルトンのことを歌った楽曲である。

アレックス・チルトンはロックバンド、ボックス・トップスのボーカリストとして1967年に「あの娘のレター」で全米シングルチャートの1位に輝いたりもしていたのだが、後に脱退することになった。ブラッド・スウェット&ティアーズへの加入を打診されたりもしたのだが、よりアーティスティックな活動を求め、以前からの知り合いであったクリス・ベルとサイモン&ガーファンクルのようなデュオをやらないかと持ちかけた。

クリス・ベルはこれを断るのだが、当時やっていたロックバンド、アイスウォーターの演奏にアレックス・チルトンを招待した結果、メンバーとして加入し、バンド名をビッグ・スターとすることになった。

1991年の秋、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」が大ヒットして、オルタナティブロックがメインストリームに侵食しようとしていた頃、スコットランドのインディーロックバンド、ティーンエイジ・ファンクラブのアルバム「バンドワゴネスク」も大きな注目をあつめていた。イギリスでは90年代に最も勢いがあったインディーレーベル、クリエイションからリリースされていたのだが、アメリカではニルヴァーナ「ネヴァーマインド」と同じゲフィンから出ていた。

甘酸っぱいメロディーとパワフルな演奏というまさにパワーポップ的な魅力も感じられるアルバムだったのだが、シンセポップやニューウェイブ全盛の時代に青春時代を送った世代のリスナーにとっては、とても新鮮に感じられた。

この頃、ビッグ・スターの過去のアルバムがライコディスクからCDでリリースされたりもして、新しいリスナーを獲得していった。アレックス・チルトンと共にバンドのメインソングライターであったクリス・ベルは途中で脱退した後に交通事故ですでに亡くなっていたのだが、アレックス・チルトンとオリジナルメンバーのジョディ・スティーヴンスにザ・ポウジーズのジョン・オウアとケン・ストリングフェロウを加え、1993年にビッグ・スターが再結成された。

それを機にイギリスの音楽週刊誌「メロディ・メイカー」で記事が組まれ、ライターが選んだビッグ・スターの楽曲ベスト10も掲載されていたのだが、10位にはなぜかティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」に収録された「ディセンバー」が選ばれていた。

ティーンエイジ・ファンクラブがそれぐらいビッグ・スターの影響を受けているということをイギリス人らしいユーモアセンスで表現したものだと思われるのだが、その年にティーンエイジ・ファンクラブがリリースしたアルバム「サーティーン」もまた、ビッグ・スターの曲名にちなんだものであった。

個人的にその記事を読んで本格的にビッグ・スターについて興味がわいて、CDを買おうと思ったのだが、渋谷の宇田川町にあったFRISCOというCDショップに行くと、ビッグ・スターのアルバム「#レコード」「ラジオ・シティ」の2タイトルを1枚のCDにまとめたとても便利なものが売られていたので、PECカードですぐに買って帰ったのだった。

当時、わりと好んで聴いていたタイプの音楽の典型例のようなものが次から次へとスピーカーから流れてきて、こんなにも良いものをどうしていままで知らなかったのだろうと強く感じたことをよく覚えている。特に「セプテンバー・ガールズ」には衝撃を受け、甘いボーカルや美しいコーラスを含め、聴けば聴くほど好きになっていき、もしかするとこういったタイプの楽曲としては完璧なのではないかと判断するに至ったのである。

それ以降、ある時期まで史上最も好きな楽曲はビッグ・スターの「セプテンバー・ガールズ」だと何の躊躇もなく答えていたレベルである。

それはそうとして、ビッグ・スタートいうバンド名や「#1レコード」「ラジオ・シティ」といったアルバムタイトルが当時、商業的にはまったく成功していなかったこのバンドのことを思うとなかなか味わい深いのだが、その志はひじょうに高く、後にそれに相応しい評価も得るのであった。

とはいえ、このバンド名はメンバーが音楽制作の合間に食料を調達したりしに行っていたスーパーマーケットの名称に由来していて、バンドのロゴもかなり大胆にインスパイアされたものになっている。

ちなみに「セプテンバー・ガールズ」というタイトルについてだが、当時、アレックス・チルトンは複数の女性と交際をする傾向にあり、そのうち元妻を含む3名が9月生まれだったことに由来しているといわれている。そして、アレックス・チルトンの誕生日は12月28日なので、「ディセンバー・ボーイズ」というのもなぜ複数形なのかはさておき、そういうことなのだろう。

というわけで、「セプテンバー・ガールズ」というのは9月生まれの女の子たちについて歌った曲ということになるわけで、9月を舞台にしているわけでは特にはないわけだが、それでもやはり9月に聴くのが最も正しいような気が少しはするのであった。

バングルスが「マニック・マンデー」「エジプシャン」といったヒット曲も収録した1986年のアルバム「シルバー・スクリーンの妖精」でこの曲をカバーしているのだが、「9月の少女」という邦題がつけられている。