洋楽ロック&ポップス名曲1001:Pre-1950s
Cab Calloway & His Orchestra, ‘Minnie the Moocher’
アメリカのミュージシャン、キャブ・キャロウェイとビッグバンドオーケストラによって1931年に初めてレコーディングされた楽曲で、ジャズのレコードで初めて100万枚を売り上げたともいわれる。
フランキー・”ハーフパイント”・ジャクソンが1927年につくった「ウィリー・ザ・ムーチャー」にインスパイアされたと思われるこの楽曲は、「ミニー・ザ・ムーチャー」と呼ばれる女性の物語について歌っていて、歌詞には性的な内容やドラッグについての言及も含まれるが、その多くが当時の一般リスナーには理解できないスラングだったために検閲されることもなく、広く親しまれたという。
観客とのコールアンドレスポンスが特徴であり、独特なスキャットからキャブ・キャロウェイには「ハイ・デ・ハイ・デ・ハイ・マン」というニックネームがあたえられたりもした。
1980年のコメディ映画「ブルース・ブラザーズ」において、当時73歳のキャブ・キャロウェイがこの曲を演奏するシーンは、アレサ・フランクリン「シンク」などと並んでひじょうに印象深い。
サザンオールスターズの1981年のアルバム「ステレオ太陽族」に収録された「我らパープー仲間」にもこの曲からの影響が感じられる(「M-1グランプリ2024」で準優勝した漫才コンビ、ヤーレンズの旧コンビ名はパープーズでこの曲のタイトルに由来しているが、現コンビ名も1998年のアルバム「さくら」に収録された「YARLEN SHUFFLE〜子羊達のレクイエム」から取られている)。
Robert Johnson, ‘Crossroad Blues’
アメリカのブルースアーティスト、ロバート・ジョンソンによってレコーディングされ、その翌年に初めてリリースされた楽曲であり、デルタブルースのクラシックとして知られる。
この曲のテーマになっている十字路でロバート・ジョンソンは音楽的才能を得るのと引き換えに悪魔に魂を売ったとされる伝説が有名だが、実際にこの曲においては暗闇が迫る十字路の不安な感じなどが歌われていて、悪魔についての言及は一切されていない。
アコースティックのスライドギターとボーカルのみによる録音だが、後に多くのアーティストによってエレクトリックギターでカバーされることになる。
特にエリック・クラプトンが所属していたロックバンド、クリームの1968年のアルバム「クリームの素晴らしき世界」に「クロスロード」のタイトルで収録されたブルースロック的なカバーバージョンは有名である。
Billie Holiday, ‘Strange Fruit’
ビリー・ホリデイの歌唱で有名になった人種差別を告発するプロテストソングで、邦題は「奇妙な果実」である。
タイトルの「奇妙な果実」とはリンチされ殺害された死体が木に吊り下げられている様を表現したもので、その写真を見てショックを受けたユダヤ人教師、エイベル・ミーアポルが書いた詩がベースになっている。
ビリー・ホリデイがナイトクラブでこの曲を歌うようになると、大きな反響を得たのだが、所属レーベルのコロムビアはその内容から当初は発売を拒んでいたという。
Judy Garland, ‘Over the Rainbow’
1939年に初めて公開されたミュージカル映画「オズの魔法使」の劇中で主人公のドロシーを演じたジュディ・ガーランドが歌った楽曲である。
当時、14歳のジュディ・ガーランドが歌うにはあまりにも大人びているのではないかという意見もあり、すでに撮影されていた歌唱シーンはあやうくカットされそうになっていたのだが、プロデューサーのアーサー・フリードが強く反対し、そのまま残されることになった。
スタンダードナンバーとして広く親しまれることになるのだが、ジュディ・ガーランドがバイセクシャルであったことから、LGBTQ+アンセムとしても知られるようになっていった。
Bing Crosby, ‘White Christmas’
1942年のアメリカ映画「スイング・ホテル」の挿入歌としてリリースされ、大ヒットして以降はクリスマスの定番曲として知られるようになった。ビング・クロスビーのバージョンがオリジナルだが、その後、フランク・シナトラをはじめ様々なアーティストによってカバーされている。
雪が降りしきる古風なクリスマスの情景を懐かしむこの曲は、当時、第二次世界大戦下にあった大衆の心を癒し、それが大ヒットの要因だったのではないかともいわれる。日本でもこの曲はクリスマスのスタンダードソングとしてよく知られているが、広まったのは終戦後のことだったようだ。
Woody Guthrie, ‘This Land Is Your Land’
アメリカのフォークシンガー、ウディ・ガスリーによって1944年にレコーディングされた楽曲である。
当初はアーヴィング・バーリン「ゴッド・ブレス・アメリカ」に対する批評的なパロディソングとしてつくられ、メロディーはカーター・ファミリー「ホエン・ザ・ワールド・オン・ファイア」をベースにしている。
様々なアーティストによってカバーされる過程において、労働者階級も富裕層と同じ権利を持つべきであるという主張を歌ったプロテストソングとして知られるようになっていった。
Hank Williams, ‘I’m So Lonesome I Could Cry’
アメリカのカントリーシンガー、ハンク・ウィリアムスによって1949年にレコーディングされた楽曲で、邦題は「泣きたいほどの淋しさだ」である。
胸が張り裂けるような悲しみを表現したこの楽曲は、ハンク・ウィリアムス自身の妻との波乱に満ちた関係性を反映しているといわれるが、MGMレコードの今後のリリース予定にあった他の曲のタイトルにもインスパイアされている。
きわめて個人的な感情を吐露したこの楽曲のスタイルはきわめてシンガーソングライター的だともいうことができるが、当時としてはわりと画期的だったようである。
様々なアーティストによってカバーされているのだが、特にB.J.トーマスによるバージョンは1966年に全米シングルチャートで最高8位のヒットを記録している。