The 25 essential K-pop songs: part.1
韓国のポップミュージックのことをK-POPと呼びようになったのはおそらく1990年代後半ぐらいだったといわれ、しかもどうやら日本のポップミュージックを指すJ-POPという語に倣って日本でそう呼びはじめたのではないかといわれたりもしている。それ以前には確かコリアンポップなどと呼ばれていたような記憶がある。
それで後にK-POPと呼ばれるようなタイプの音楽はいつ頃からあったのかという話になると、1991年結成のソテジワアイドゥルなのではないかというのが定説になっている。もちろんそれまでにも韓国のポップミュージックというのは存在していたわけであり、その一部は日本でもわりとよく知られていたわけだが、たとえばチョー・ヨンピルや羅勲児(ナフナ)など演歌や歌謡曲的なテイストが強かったように感じられる。
K-POPの源流とされる音楽の特徴は西洋のポップミュージック、特にアメリカのヒップホップやニュージャックスウィングなどからの影響が感じられるところであり、それにはやはり1988年のソウルオリンピックを前にした民主化が要因となっているような気もする。
それはそうとして、いまや国際的にもエキサイティングなポップミュージックの1ジャンルとしてすっかり認知された感もあるK-POPだが、今回はその歴史からこれは特に重要なのではないかと思われる楽曲を25曲厳選して、ほぼリリース順に並べていくことによって、その軌跡をなんとなくたどれるような感じにもしていきたいと思う。
Seotaiji and Boys, ‘I Know’ (1992)
K-POPの源流になったともいわれるソテジワアイドゥルである。ソテジは中心メンバーの名前であって、グループ名はソテジと仲間たちというような意味なので英語で表記するとSeotaiji and Boysになる。
テレビのオーディション番組に出演し、この曲を披露するものの審査員からは酷評され番組史上最低得点を叩きだすという状態だったのだが、これを見ていた若者たちは大いに熱狂し、売れまくったのみならず、影響を受けた人たちも次々とデビューするなど、韓国におけるポップミュージックの様相をすっかり変えてしまったともいえる。
メンバーのヤン・ヒョンソクは後に韓国アイドル4大芸能事務所の1つ、YGエンターテインメントを立ち上げ、BIGBANGなどを世に送り出すことになる。
H.O.T., ‘Candy’ (1996)
韓国の芸能事務所、SMエンタテインメントが送りだした最初のアイドルグループで、とにかくとても人気があった。音楽的にはヒップホップを取り入れ、ダンスをしながら歌うK-POPグループのひな型ともいえるスタイルを世に広めたようなところもある。
グループ名は「High-five Of Terenagers」の略であり、若い世代の感覚を代表するようなイメージで売り出され、それが大成功していたように思える。
ファンがひじょうに熱狂的であり、度々騒動を起こしたことなどでも知られる。イメージカラーである白い風船などを持って応援するのが恒例だったが、他のグループもそれぞれイメージカラーを応援グッズに取り入れるなどするようになっていった。
S.E.S., ‘(‘Cause) I’m Your Girl’ (1997)
韓国のポップミュージック界で最初に成功した女性アイドルグループであり、グループ名はメンバーの頭文字から取ったものである。
アメリカのTLCや日本のSPEEDに対しての韓国からの回答とでもいうような、R&Bテイストの音楽性が特徴である。H.O.T.と同じくSMエンタテインメントに所属していて、日本でもデビューしたのだが、まだそれほどノウハウが確立していなかったことなどもあり、いま一つ盛り上がらずに終わった。
BoA, ‘No.1’ (2001)
SMエンタテインメントのオーディションを受ける兄についていったところ、スカウトされたことがきっかけでデビューを果たした。当初から世界進出を視野に入れていたようで、デビュー前に日本語や英語も習得したという。
その甲斐あってか韓国のみならず日本でもオリコンで1位になったり「NHK紅白歌合戦」に出場するなどトップアーティスト並みの成功をおさめた。
韓国のラジオ番組で8週連続1位を記録したこの曲のミュージックビデオは日本の映像作家、竹石渉によって東京で撮影されていて、東京タワーや渋谷のQFRONTなども登場する。HMVも渋谷のあの場所にまだあって懐かしい。
Wonder Girls, ‘Tell Me’ (2007)
JYPエンターテインメントからデビューした女性アイドルグループで、当初からメンバーの事故や脱退など苦難を経験するが80年代のディスコヒットであるStacey Q「Two of Heart」をサンプリングしたこの楽曲がレトロ風味のサウンドや印象的な振り付けも受けて大ヒットし、国民的人気グループとして認知されるようになった。
また、アメリカ進出にも本格的に取り組み、後にシングル「Nobody」が全米シングルチャートで最高位76位と韓国のアーティストとしては初のランクインを果たしてもいる。
BIGBANG, ‘HARU HARU’ (2008)
YGエンターテインメント所属で日本でもひじょうに人気がある男性グループである。「日本レコード大賞」で最優秀新人賞や特別賞を受賞したり、ドームツアーを何年も連続して行ったりもしていた。
代表曲の1つとして知られるこの楽曲はメンバーのG-DRAGONと日本のアーティスト、DAISHI DANCEとの共作であり、従来のヒップホップ的な音楽性に加え情緒的なピアノの演奏やオーケストラなども効果的に用いているところが高く評価されがちである。
東方神起, ‘MIROTIC’ (2008)
アイドルブームも下火になっていた頃にSMエンターテインメントからデビューした東方神起は、全員がメインボーカルを取ることができるグループとして活動を開始し、大人気を得ることになった。
日本でもひじょうに人気が高く「呪文-MIROTIC-」のタイトルでリリースされたこの楽曲は、オリコン週間シングルで4作目となる1位に輝いている。
韓国では歌詞が扇情的すぎると有害指定がされたりもしたのだが、それに対しては時代遅れすぎるというような批判が一般的だったようである。
少女時代, ‘Gee’ (2009)
SMエンタテインメントの練習生から選抜されたメンバーによって結成されたガールズグループで、韓国のみならず日本でも大ブレイクし、KARAなどと共にK-POPブームを巻き起こした。当時の日本のCDショップはAKB48グループとジャニーズ系アイドルとK-POPとの三つ巴という様相を呈していたような気もする。
ポップでキュートというアイドル的な魅力もありながら、パフォーマンススキルも高く楽曲も良いということで、日本のアイドルには見向きもしないようなタイプのリスナーたちをも巻き込んでのブームだったような印象がある。
SUPER JUNIOR, ‘Sorry, Sorry’ (2009)
音楽のみならずバラエティやMCなど多方面にわたる活動が特徴で、一般大衆的にもひじょうに人気が高い。SMエンタテインメントの後輩にあたる少女時代は当初、女性版SUPER JUNIORとして構想されたグループだともいわれる。
それまでにリリースしていた楽曲に比べ、より洗練されたダンスミュージック色が濃く、チャートアクションもひじょうに好調であった。
Brown Eyed Girls, ‘Abracadabra’ (2009)
デビュー当時は顔出しをしていなかったり音楽的にはヒップホップソウル的だったりもしたのだが、次第にEDM寄りとなりヒットを連発していった。
そして、セクシー路線にシフトしたこの楽曲では新たな魅力でアピールし、腰を揺らす振り付けも小生意気ダンスなどと呼ばれ話題になったりもした。
KARA, ‘Mr.’ (2009)
当初はプロモーションがいまひとつ結果に結びつかなかったり早くもメンバーの脱退があったりとなかなかうまくいっていなかったのだが、新生KARAになってからはキュートでポップなイメージを前面に押し出し、ブレイクを果たした。
この楽曲では健康的にセクシーなヒップダンスも大いに話題となり、韓国のみならず日本でも大人気となり、少女時代と共にK-POPブームを盛り上げることになった。
SHINee, ‘Lucifer’ (2010)
SMエンタテイメント所属のトレンド感がひじょうに高い男性アイドルグループで、メンバーの徴兵による活動休止などもありながら根強い人気があり、日本では東京ドーム公演を何度も行ったりもしている。
この楽曲はエッジの効いたシンセサウンドが印象的なエレクトロニックダンスポップで、ファンのみならず音楽ライターなどからもわりと高く評価されがちである。
IU, ‘Good Day’ (2010)
韓国では国民的ともいえる絶大な人気を誇るシンガーのIUで、ずっと人気があるわけだが、2011年の年間1位にも輝いたこの曲は特に代表曲といえるような気がする。
K-POPのトレンド感とはそれほど関係がなく、常にとても良い歌を歌っているという感じなのだが、アジア的な情緒と西洋的なポップミュージックとの組み合わせの良いところが出まくっているように思える。
日本におけるデビューシングルでもあり、日本語の歌詞で歌われたバージョンがオリコン週間シングルランキングで最高6位を記録している。