セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ!!」【CLASSIC ALBUMS】

セックス・ピストルズのアルバム「勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols)」は1977年10月28日にリリースされ、全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。2位から4位にはブレッド、クリフ・リチャード、ダイアナ・ロス&シュープリームスのベストアルバムが並び、デヴィッド・ボウイ「英雄夢語り(ヒーローズ)」、フリートウッド・マック「噂」といったポップミュージック史に残る名盤や、パンクロックではストラングラーズ「ノー・モア・ヒーローズ」も10位以内にランクインしている。全英シングル・チャートではABBA「きらめきの序曲」が1位であった。アメリカでは1977年11月11日にリリースされ、全米アルバム・チャートでの最高位は106位であった。

セックス・ピストルズはロンドンのキングスロードで「SEX」というブティックを経営していたマルコム・マクラレンが、店の客であったスティーヴ・ジョーンズとポール・クックのバンドに、店員であったグレン・マトロックとオーディションに応募してきたジョニー・ロットンを加えて結成させたパンクロックバンドで、1976年には大手レコード会社のEMIと契約するものの、出演したテレビ番組で司会者に挑発されて放送禁止用語を連発したことなどが問題になって間もなく破棄され、巨額の違約金を手に入れることになった。この時点でデビューシングル「アナーキー・イン・ザ・UK」をすでにリリースしていて、全英シングル・チャートでは最高38位を記録していた。

ロックミュージックが1950年代に誕生した頃は、プリミティヴな初期衝動や肉体性のようなものが特徴だったのだが、時を経るにつれ商業化、肥大化していき、70年代半ばあたりにはプログレッシヴロックや産業ロックと呼ばれる音楽などが主流となっていた。パンクロックの盛り上がりにはそのような状況に対してのアンチテーゼ的な意味合いがあった、などといわれがちである。セックス・ピストルズの楽曲において、ソングライティングにも深くかかわっていたベーシストのグレン・マトロックがジョニー・ロットンとの不仲などで脱退し、代わってシド・ヴィシャスが加入することになる。グレン・マトロックが脱退せざるをえなくなった原因は、ビートルズが好きだったからである、というようなことが報じられがちでもあった。シド・ヴィシャスはジョニー・ロットンと仲がよく、ヴィジュアル的なインパクトや存在感もひじょうにあったのだが、演奏のレベルがそれほど高くはなかったため、レコードにはほとんど収録されていない。

EMIとの契約が破棄されたセックス・ピストルズは次にA&Mレコードと契約するのだが、メンバーが社内で暴れまくったりいろいろ風当たりが強くなってきたことなどもあり、どうやら手に負えなそうだと判断されて、こちらも間もなく破棄されることになった。そして、またしても違約金を手に入れることになるのだが、このあたりについては映画「ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル」などでおもしろおかしく取り上げられている。「ノー・フューチャー」という以前からある曲を次のシングルとしてリリースしようとするのだが、エリザベス女王在位25周年祝典のタイミングに合わせ、イギリス国歌と同じ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」というタイトルに変えた。

当時のイギリスは不況の真っ只中であり、ストライキがしょっちゅう起こっていた。それによって出されたゴミが回収されず、路上に放置されたままというような状況もあった。一般庶民のフラストレーションが溜まりまくっている時期に行われるエリザベス女王在位25周年記念祝典に対して、分かりやすく抵抗する姿勢が明らかであった。祝典の当日にテムズ川に浮かべたボートの上でゲリラライブを行い、マネージャーらが警察に捕まったことなども大きな話題になった。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のレコードはA&Mレコーズによって少しはプレスされていたのだが、契約が破棄されたため、ヴァージン・レコーズから発売されることになった。シングルは売れまくり、実際には全英シングル・チャートで1位だったのではないかといわれているのだが、何らかの力が働いたことにより、ロッド・スチュワート「もう話したい」に次ぐ最高2位に終わったという説が有力である。ジョニー・ロットンとポール・クックが右翼に襲われ、負傷するということもあった。

この後、セックス・ピストルズは「プリティ・ヴェイカント」が全英シングル・チャートで最高6位、「さらばベルリンの陽」が最高8位とヒットが続き、それまでのすべてのシングルをも収録したアルバム「勝手にしやがれ!!」がリリースされるに至った。英語のタイトルに入っている「Bollocks」という単語が男性器の一部も意味することなどから、レコード店のディスプレイさえ規制されたり、その他いろいろな逆風もあったようなのだが、それでも全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いたのであった。

セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ!!」がリリースされた1977年、日本では沢田研二の「勝手にしやがれ」というシングルが大ヒットして、レコード大賞も受賞していた。かぶっていた帽子をブーメランのように投げるアクションが子供たちにも受けて、家で真似をしては親に怒られたりもしていた。個人的には当時、小学校の高学年であり、ラジオなども自分の部屋で主体的に聴くようになっていたため、日本の流行歌だけではなく洋楽のヒット曲も意識するようになった。それで、ABBA「ダンシング・クイーン」などはリアルタイムで聴いていた記憶がはっきりあるのだが、セックス・ピストルズについては聴いた記憶がないし、存在も知らなかったと思う。リアルタイムで聴こうと思えば聴けたはずなのだが、実際には聴いていないという絶妙に微妙な感覚である。

そのうち中学生になったり80年代が訪れたりすると、ロックについて書かれた雑誌の記事や本なども読むようになっていく。それで、セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ!!」というアルバムがいかに衝撃的で過激だったのかということについて、知識としてはなんとなく把握するようになった。しかし、現在のようにインターネットでいろいろな音楽に簡単にアクセスできるような時代ではなく、実際にはまだ聴いたことがない状態であった。とにかく衝撃的で過激なのだというイメージばかりが広がっていった。そのうち、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが脱退後にジョン・ライドンとしてずっとやっているPILことパブリック・イメージ・リミテッドのことを「ロッキング・オン」や「渋谷陽一のサウンドストリート」などで知るようになる。「宝島」にもロングインタヴューが載っていたりした。1983年の来日公演はライブアルバムや映像作品として発売もされていた。サウンドも斬新だしジョン・ライドンのユニークなボーカルがとても良く、セックス・ピストルズも聴いたことがないのに「ラヴ・ソング」の12インチシングルを買った。

六本木WAVEがオープンした1983年11月に高校の修学旅行があり、メインは京都や奈良だったのだが、最終日に数時間だけある東京での自由行動だけがとにかく楽しみすぎた。それでも京都では新京極とかいうところを、地元や他校のツッパリ的な人と目が合ったりしないように細心の注意を払いながら歩いた。ロックファッションの店があったので入って、パブリック・イメージ・リミテッドと聴いたこともないのにセックス・ピストルズのロゴマークが印刷された缶バッジを買った。ちなみにこの年の初夏にはセックス・ピストルズのマネージャーだったマルコム・マクラレンのソロアルバム「俺がマルコムだ!」を「ミュージック・マガジン」の中村とうようのレヴューを信用して買って、かなり気に入っていた。それでも、セックス・ピストルズは聴いたことがなかった。

最終日の東京での自由行動ではオープンしてから数日しか経っていなかったはずの六本木WAVEに行って、カルチャー・クラブ、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ポール・マッカートニーなど、別に旭川のミュージックショップ国原や玉光堂でも簡単に買えるレコードをわざわざ買って、あの「SEIBU・ROPPONGI」ともプリントされたグレーのレコード袋に入れてもらった。それから寝台列車で青森まで行って、青函トンネルもまだ開通していなかったのでそれからフェリーだったのだが、とにかく時間がありすぎてやることがない。それで、同じクラスの地味そうな男子にヘッドフォンステレオを借りて、音楽でも聴くことにした。一緒に持ってきたというカセットテープから選ぼうと思い、見てみるとセックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」もあった。実は聴いたことがない様子などは見せないようにしてそれを借りて、横になりながらずっと聴いていた。

想像していたほど過激な音楽というわけでもなく、とてもポップでキャッチーだなと感じた。それは、その時まだリリースからわずか6年ぐらいしか経っていなとはいえ、「勝手にしやがれ!!」がすでに影響をあたえてしまった時代に生きていたからかもしれない。とにかく突き抜けて明快で、エネルギーに満ち溢れた音楽だなと感じた。そして、ジョニー・ロットンのボーカルがとにかくオリジナリティーの塊という感じでとても良かった。同じクラスの地味そうな男子には、「やっぱりピストルズは最高だな」などと言いながら、実は聴いたのが初めてなのがバレないようにして返却をした。

セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ‼︎」といえばあのイエローの背景とピンクのロゴのアートワークが印象的だったのだが、80年代半ばにいざ東京の輸入レコード店で買おうとすると、デザインは同じなのだが背景がピンク色っぽいアメリカ盤ばかりが売られている時期があり、音楽は最高なのだがいまひとつ気分が出ないことがあった。