越美晴「ラブ・ステップ」【Classic Songs】
越美晴のデビューシングル「ラブ・ステップ」は1978年10月5日にリリースされ、オリコン週間シングルランキングでは最高33位を記録した。「ザ・ベストテン」にランクインするような国民的にメジャーなヒット曲というわけではなかったが、ラジオではわりとよくかかっていたり、テレビの歌番組などにも出演しがちだったため、当時の音楽リスナーの間ではそこそこ知られていたような気がする。ジャンルでいうとニューミュージック、現在ならばシティ・ポップといってもいいのかもしれない。
テレビではピアノを弾き語り、「そうよそうよ恋なんて 回る回る回転木馬 ひとときだけ楽しければそれでいい」などと歌われる。フジテレビ系で放送されていたオーディション番組「君こそスターだ!!」でグランドチャンピオンになったことがきっかけでデビューした越美晴だが、このわりと大人っぽいデビュー曲は自身によって作詞・作曲され、しかも当時まだ18歳であった。個人的に当時、小学生だったのだが、テレビやラジオを通してポップミュージックにはカジュアルに親しんでいて、特に気に入ったものはレコードを買ったりもしはじめていた。当時かなり好んで聴いていたのは、サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」である。
越美晴「ラブ・ステップ」には何やら普通ではない良さを感じて、旭川のどこかのレコード店でシングルを買った。B面にはやはり越美晴によって作詞・作曲された「あらびあん・らぷそでぃ」が収録されていた。イントロなどでシンセサイザーの音色を聴くことができるのだが、何やらチープな感じでそこがとても良い。YMOことイエロー・マジック・オーケストラが空前の国民的大ブームを起こすまで、日本のポップスにおけるシンセサイザーの使い方というのは主にこんな感じだったのではないかというような気もする。そして、絶妙にラテン的なムードやフルートの音色などが少し背伸びした夜の気分を感じさせてもくれて、その辺りがたまらなく魅力的であった。
このシングルの発売日は木曜日だったため、夜にはTBSテレビ系で「ザ・ベストテン」が放送されていた。記録によると世良公則&ツイスト「銃爪」が5週目の1位、それを山口百恵「絶体絶命」、堀内孝雄「君のひとみは10000ボルト」、西城秀樹「ブルースカイブルー」などが追っている。サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」は4位、沢田研二は「LOVE(抱きしめたい)」「ヤマトより愛をこめて」の2曲をランクインさせている。ニューミュージックの時代ではあるが、歌謡ポップス界の大御所がひじょうに強かったことも事実である。しかし、若者の関心はニューミュージックの新しいアーティスト達に向かっていて、新人アイドルにとっては受難の時代であった。
しかし、若い女性をアイドル的にフィーチャーするシステムというのはしっかり確立していたために、歌謡ポップスではなくニューミュージック的な音楽をやっているにもかかわらず、新人アイドル的な扱いを受けるアーティストというのも少なくはなかった。特に有名なところでは竹内まりやなどがそうだったのだが、越美晴もまたそのような扱いを受けることもあった。NHKで放送されていた音楽番組「レッツゴーヤング」でのサンデーズへの抜擢などもその一例であろう。
「ラブ・ステップ」がスマッシュヒットした後、越美晴は2作目のシングル「気まぐれハイウェイ」とデビューアルバム「おもちゃ箱 第一幕」をリリースし、そこそこ話題にはなっていた。その後も「マイ・ブルーサマー」など、やはりニューミュージックというかシティ・ポップ的なシングルやアルバムをいくつか発表した後、80年代にはテクノポップやニュー・ウェイヴ的な音楽にシフトしていき、細野晴臣のレーベル、ノン・スタンダードに移籍したりもする。アーティスト名をカタカナ表記のコシミハルに改名したり細野晴臣とユニット、Swing Slowを結成するなど、よりアーティスティックな活動を続けていくことになった。
「ラブ・ステップ」をはじめ、デビュー当時のニューミュージックというかシティ・ポップ的な越美晴の楽曲はストリーミングサービスでも配信されていなければ、ダウンロード購入することも2022年10月の時点ではできない。CDもおそらく廃盤になっているわけだが、中古市場では特に高騰しているわけでもなければ、ものすごく安いというわけでもないようだ。
コシミハルになってからのテクノポップ的な作品の方が評価は高く、こちらはわりと聴きやすかったりはするのだが、越美晴の頃の作品も何とかならないものだろうかと、思ったりはするのだ。