カヒミ・カリィ「若草の頃」について
カヒミ・カリィ「若草の頃」は1995年7月26日にリリースされたミニアルバム「LEUR L’EXISTENCE~『彼ら』の存在」に収録されていた曲である。架空の映画サウンドトラックがコンセプトということで、プロデューサーならぬ音楽監督として小山田圭吾がクレジットされている。カヒミ・カリィが作詞・小山田圭吾が作曲・編曲この曲にムッシュかまやつ、ピチカート・ファイヴの小西康陽が作詞・作曲・編曲をした「偽りの恋」は伊武雅刀とのデュエットとなっていて、プロローグとエピローグにはセルジュ・ゲンズブール「まじめに愛して!」のカバーが収録されている。全4トラックで約16分とミニアルバムにしてもなかなか短いのだが、紙製のジャケットがなかなか凝っているうえに美しかったり、「渋谷系」的な気分がコンパクトに凝縮した作品にもなっている。
ところでカヒミ・カリィだが、フリッパース・ギター周辺のアーティストとして、まずは知られるようになった。初期のミュージック・ビデオに出演していたり、オムニバス・アルバム「FAB GEAR」には、嶺川貴子とのユニット、Fancy Face Groovy Nameで参加したりもしていた。ソロ・アーティストとしての楽曲が初めて収録されたのは、フリッパーズ・ギターとも親交が深かった瀧見憲司が立ち上げたレーベル、クルーエル・レコードから1991年にリリースされたオムニバスアルバム「BLOW UP」であった。1992年の暮れには小山田圭吾がプロデュースしたシングル「MIKE ALWAY’S DIARY」をリリースしている。
ウィスパーボイスとフレンチポップなどから影響を受けたような音楽性に特徴があり、いわゆるJ-POPとはかなり異なっていた。そこが「渋谷系」的なリスナーに受けていたように思える。当時、「ロッキング・オンJAPAN」の愛読者で「渋谷系」やブリットポップなどを好んで聴いていた女子大生と付き合っていて、もちろん部屋にも出入りしていたのだが、カヒミ・カリィのCDはそこで初めて聴いたような気がする。「Candyman」「Lolita Go Home」などが収録されていたはずなので、1994年6月25日に発売された「GIRLY」であることは間違いがない。「カヒミちゃん、ロリロリだな~」などと言っていたことが思い出される。彼女とはその夏に別れた後で、9月に渋谷クラブクアトロで行われたオアシスの初来日公演にはチケットを取ってもらっていたので一緒に行った。マニック・ストリート・プリーチャーズの追っかけをしているとかで、名古屋からスガキヤの味噌煮込みうどんが送られてきた。
それはそうとして、カヒミ・カリィはクルーエル・レコードからも引き続きリリースを続けながら、1995年にはポリスターレコード内に小山田圭吾が立ち上げたトラットリア・レーベルからもCDを出しはじめる。個人的には幡ヶ谷に引越したその日にオアシス「サム・マイト・セイ」のCDシングルを買いに行った年であり、渋谷区民の称号をついに手に入れるに至った。渋谷には調子が良い時ならば歩いて行っていたレベルだったのだが、DJ感覚でレコードを買ったりはまったくしていなかったので、「渋谷系」だったとはまったく言えない。カヒミ・カリィのことはこの世で最も美しい女性ではないかと思っていて、単純にワンフーというかファンに過ぎなかった。つまり、載っている雑誌を片っ端から買ったり、チラシを机の近くに貼るというようなことをやっていたわけである。
このようなミーハー的なファンが少なくはなかったのか、カヒミ・カリィは1996年には森永ハイチュウのテレビCMに出演したり、国民的人気テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌「ハミングがきこえる」を歌うまでにオーヴァーグラウンド化する。しかし、いろいろあって、この年の夏に拠点をパリに移すのであった。
「若草の頃」はクールでスタイリッシュでありながらオーガニックでもあるとても良い曲で、カヒミ・カリィが発表されたものでは初めて書いたのではないかと思われる日本語の歌詞は、「私達が手をつなぐ時 すべての風景は理想へと変わる」「本当は私達 何でも出来るはずね ほら あの虹だって飛び越えられる」などと、きわめて直球どストレートである。ハーモニカの音色もとても良い。
カーディガンズ「カーニヴァル」や元オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズが日本独自編集のミニアルバムをリリースしていた「If You Could Love Me」、スチャダラパー「サマージャム’95」などと共に、個人的にもこの年の夏を象徴する人生のサウンドトラックである。
カヒミ・カリィは当時、「渋谷系」の歌姫などと呼ばれがちでもあったのだが、個人的にこのミニアルバムを買ったのは、まだ新宿ルミネにあった頃のタワーレコードである。現在は無印良品になっているフロアが、当時はタワーレコードであった。しかも、仕事の合間に寄って買ったことを、なぜだかはっきりと覚えている。