カルチャー・クラブ「カラー・バイ・ナンバーズ」【Classic Albums】

カルチャー・クラブの2作目のアルバム「カラー・バイ・ナンバーズ」は1983年10月10日に発売され、全英アルバム・チャートのみならず日本のオリコン週間アルバムランキングでも1位に輝いたが、全米アルバム・チャートではマイケル・ジャクソン「スリラー」に阻まれ6週連続2位が最高位であった。カルチャー・クラブといえばユニセックス的なメイクやファッションが特徴のボーイ・ジョージをはじめ、ヴィジュアル面にひじょうにインパクトがあり、アイドル的な人気も高かったような気もするのだが、特にこのアルバムにおいては、実は音楽面がかなりちゃんとしているということで評判にもなった。

デビューしてから2作目までのシングルが売れず、次もヒットしなければ終わりではないかという状況でリリースした「君は完璧さ」が全英アルバム・チャートで1位に輝いたのは、つい約1年前のことであった。その人気はアメリカにも飛び火して、全米シングル・チャートで最高2位のヒットを記録、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ア・ウルフ」と共に第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの盛り上がりを印象づける楽曲となった。イギリスではデビューアルバム「キッシング・トゥー・ビー・クレバー」に収録されていなかった「タイム」をシングルでリリースしたところ、これもまた全英シングル・チャートで最高3位のヒットを記録したのだが、アメリカではこの曲もデビューアルバムに収録していたため、シングルカットというかたちでリリースして、「君は完璧さ」に続いての全英シングル・チャートで最高2位を記録した。続いて「アイル・タンブル・4・ヤ!~君のためなら」もシングルカットすると全米シングル・チャートで最高9位を記録して、デビューから3曲連続トップ10入りはビートルズ以来などと話題になっていた。

それ以前にイギリスでは新曲の「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」がシングルでリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録していて、アメリカとイギリスでそれぞれ別の曲がヒットしていた。日本では「キッシング・トゥー・ビー・クレバー」が「ミステリー・ボーイ」というタイトルで発売されていたのだが、やはりボーイ・ジョージのユニセックス的なヴィジュアルが話題になっていた。アルバムの帯には「男がいる。女がいる。…..そしてミステリーが生まれる」という、分かったような分からないようなコピーが記載されていた。イギリス盤と同様に「タイム」は収録されていなかったので、12インチ・シングルで発売され、後に「カラー・バイ・ナンバーズ」にも日本盤にだけ収録されてていた。

カルチャー・クラブの音楽はソウルミュージックから強く影響を受けていて、いわゆるブルー・アイド・ソウルともいえるようなものなのだが、やはりヴィジュアルにひじょうにインパクトがあり、アイドル的な人気も高かったため、あまりそこにはスポットが当たりにくいという状況もあった。ジャンルのことなどはそれほど深くは考えずに、最新流行のポップスとしてカルチャー・クラブの音楽を聴いていた若者たちは無意識にソウルミュージック的な音楽を良いととらえる素養を身につけていたかもしれない。

「カラー・バイ・ナンバーズ」は間違いなく1983年から翌年にかけて一世を風靡した典型的な流行のアルバムであり、時の経過と共に風化してしまう運命にある場合も少なくはない。そして、実際にそういったものとして認識されているケースは少なくないと思われるのだが、実はポップアルバムとして実にちゃんとしていて、こんなにも良いものを何も考えずに無邪気に楽しめていたのは本当にありがたいことだったのだな、とさえ思わされるのである。そして、個人的にはこのアルバムを高校の修学旅行で東京での自由行動の時間に行ったオープンして間もない六本木WAVEで買ったのもひじょうに良い思い出である。ジャケットには「ボーイ」とカタカナで表記されているのだが、縦書きにもかかわらず「ー」が横棒のままになっている。カルチャー・クラブのミュージックビデオには日本的なイメージが誇張されたオリエンタリズムとしてよく出てきたりもするのだが、それに対して目くじらを立てるようなこともなく、ユニークなポップ感覚として気軽に楽しんでいた。

レコードが擦り切れるのがもったいなかったので、カセットテープに録音して何度も繰り返し聴いていた。「ミュージック・マガジン」のクロス・レヴューにも取り上げられて、イメージのわりに以外にもちゃんとしているとして無難な点数が付けられがちな中、デビューアルバムにはわりと好意的だった中村とうようが、まともになりすぎてつまらなくなったとして4点を付けていた。コーラスで参加している女性ボーカリスト、ヘレン・テリーのソウルフルなボーカルがポップでキャッチーな楽曲にオーセンティックさを加えている。

大ヒットした「カーマは気まぐれ」をはじめ、「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」「ミス・ミー・ブラインド」「イッツ・ア・ミラクル」などは、ポップソングとしてひじょうにハイクオリティーでありながら、親しみやすさもあってとても良いのだが、このアルバムの場合はそれ以外の曲もすべて優れているのが特徴である。1984年にはザ・スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」、シャーデー「ダイヤモンド・ライフ」やマット・ビアンコなど、ジャズ的なポップスがトレンドとなるのだが、このアルバムに収録された「チェンジング・エヴリ・デイ」などにはそれに通じるようなところもある。

そして、アルバムの最後に収録された「ヴィクティムズ」がカジュアルにドラマティックなバラードでとても良いのだが、イギリスではこれをシングルカットもしていて攻めているなと感じさせられる。しかも、全英シングル・チャートで最高3位を記録してもいるのだ。この曲や「ブラック・マネー」、さらには「カーマは気まぐれ」「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」といったポップでキャッチーな楽曲に至るまで、カルチャー・クラブの作品には報われない愛についての悲しみや切なさを感じさせるものが少なくはなく、それはボーイ・ジョージのヴィジュアルイメージやボーカルスタイルともひじょうにマッチしている。これがカルチャー・クラブの魅力の1つでもあるわけだが、これには大きな理由があって、当時、公表されてはいなかったのだが、ボーイ・ジョージとドラマーのジョン・モスとは恋人関係にあって、しかもその仲はうまくいっていない場合も少なくはなかったという。カルチャー・クラブの楽曲の多くは、この関係性をテーマにしてもいたというのだ。

このアルバムが大ヒットした後、カルチャー・クラブの人気はやや失速していったり、ボーイ・ジョージのドラッグ問題が表面化したりもするのだが、この頃にはただただキラキラしていてミステリアスな存在であった。この表層的なきらめきというのが、80年代ポップスのある面を象徴していたともいうことができる。この後、プリンスやマドンナがメインストリームで本格的にブレイクするなどして、80年代はスーパースターの時代としても認識されるようになっていく。これには、マイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーン、ホイットニー・ヒューストン、ジャネット・ジャクソン、ジョージ・マイケルなどももちろん含まれる。しかし、80年代のポップミュージックを考える場合、その前半においてダリル・ホール&ジョン・オーツとカルチャー・クラブが果たした役割はなかなか重要だったのではないかと考えたりもするのであった。