ドナルド・フェイゲン「ナイトフライ」【Classic Albums】

ドナルド・フェイゲンの最初のソロアルバム「ナイトフライ」は1982年10月1日にリリースされ、全米アルバム・チャートで最高11位を記録した。MTVの流行からシンセポップやニュー・ウェイヴがアメリカのヒットチャートをも席巻しつつあり、マイケル・ジャクソン「スリラー」やプリンス「1999」といった新しいタイプのソウル/R&Bがメインストリームになろうとしていた時代に、とても渋めなアルバムとして、当時の全米アルバム・チャートでも異彩を放っていた。

まずはアルバムのジャケットアートワークなのだが、真夜中のディスクジョッキーがマイクとターンテーブルを前に、片手にタバコを持った状態でポーズを取っている。時計の針は4時8分あたりを指している。1948年にアメリカのニュージャージー州で生まれたドナルド・フェイゲンは、まずはチャック・ベリーやファッツ・ドミノといったロックンロールを好んで聴いていたのだが、そのうち深夜のジャズのラジオ番組にのめり込んでいく。「ナイトフライ」はドナルド・フェイゲンが当時の感覚をベースにつくった作品でもあり、内容には自伝的なところもあるという。ジャケットでディスクジョッキーに扮しているのはドナルド・フェイゲン本人だが、かつて聴いていた深夜のラジオ番組をイメージしていると思われる。

このアルバムジャケットアートワークのイメージは、レコードに収録された音楽の内容をもあらわしているといえる。ジャジーでノスタルジックでありながら、都会的な洗練をも感じさせる。そして、とにかく音が良い。このアルバムは全編においてデジタルレコーディングが行われた、初期の作品の1つとしても知られている。ドナルド・フェイゲンはもちろんスティーリー・ダンの中心的なメンバーとして70年代からいくつもの優れた作品を発表していたのだが、1980年にアルバム「ガウチョ」をヒットさせた翌年に解散していた。1977年のアルバム「彩(エイジャ)」はジャズ/フュージョン的なフィーリングが感じられ、AORの名盤としても知られるようにもなっていたのだが、1978年の全米アルバム・チャートで「サタデー・ナイト・フィーバー」「グリース」のサウンドトラック、フリートウッド・マック「噂」、ビリー・ジョエル「ストレンジャー」に次ぐ年間4位と、ひじょうに売れてもいたのであった。

「ナイトフライ」はスティーリー・ダンの作品を手がけていたゲイリー・カッツによってプロデュースされ、ジェフ・ポーカロ、リック・デリンジャー、ラリー・カールトンといった、やはりスティーリー・ダンの作品でもおなじみのミュージシャンたちの演奏をも収録されていた。これではスティーリー・ダンのアルバムからウォルター・ベッカーを抜いただけではないかというような気もしなくはないのだが、実はそこがとても重要だったのではないかとも思える。スティーリー・ダンの作品にあった皮肉めいたトーンが「ナイトフライ」ではかなり薄まっていて、より自由で無邪気な感覚が溢れているようにも感じられる。これはドナルド・フェイゲンがいかにもスティーリー・ダンらしい音楽をつくらなければいけないというマイルドな抑圧から解放されたことによるものであり、それによって自伝的でもある内容になったともいえる。

アルバムの1曲目に収録されているのは先行シングルとしてもリリースされ、全米シングル・チャートで最高26位を記録した「I.G.Y.」である。タイトルは「国際地球観測年(International Geophysical Year)」の略であり、これは1957年7月から1958年12月まで続いた国際科学研究プロジェクトのことである。科学の発展により、未来は明るいものになるに違いないという、当時のオプティミスティックなムードとドナルド・フェイゲン自身の子供時代の記憶とが反映しているように思われる。

AORの代表的なアーティストといえばボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルが真っ先に思いつき、日本で編集されたコンピレーションアルバムなどにもそのようなアーティストの曲がメインで収録されがちだが、00年代前半に80年代ポップスやAORのリバイバルがやや盛り上がった頃にわりと売れた「Melodies-The Best of AOR-」はドナルド・フェイゲン「I.G.Y.」からはじまっているところに新しさを感じた(2曲目はボビー・コールドウェル「風のシルエット」である)。

MTV全盛の時代だったにもかかわらず、「I.G.Y.」にはミュージックビデオが存在していなく、それでも全米トップ40にランクインしていたのはなかなかすごい。最高位の26位を記録したのは1982年11月27日付の全米シングル・チャートから3週連続なのだが、その間に1位だったのはライオネル・リッチー「トゥルーリー(愛と測りあえるほどに)」とトニー・バジル「ミッキー」で、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「マンイーター」やマイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー「ガール・イズ・マイン」などが順位を上げてきていた。ジョー・ジャクソン「夜の街へ」もトップ10入りしていたのだが、収録アルバムの「ナイト・アンド・デイ」はジャズ的な要素も入っているということで、当時の全米ヒットアルバムとしては「ナイトフライ」に近くも感じられた。

「ナイトフライ」からは「I.G.Y.」の他にもう1曲、B面の1曲目に収録された「ニュー・フロンティア」もシングルカットされ、これにはミュージックビデオが制作されている。全米シングル・チャートでは最高70位と、それほど大きなヒットにはならなかったのだが、アニメーションと実写を合わせたミュージックビデオはMTV時代初期の名作の1つとされる場合もある。地下シェルターでのパーティーをテーマにした曲といわれてもよく分からないのだが、このミュージックビデオを見るとだいたいの想像はつく。

ソビエト連邦との冷たい戦争の時代、アメリカの家庭には核爆弾による攻撃に備えて、地下にシェルターを持っている場合も少なくはなかった。しかし、地下にそのようなスペースが確保されているとするならば、何か別の目的にも使いたくなるものであろう。そして、この曲において主人公の青年は好きな女性をシェルターに呼んで、プライベートなパーティーを開く。BGMはジャズピアニスト、デイヴ・ブルーベックのレコードである。ミュージックビデオにおいて、シェルターの壁にはまだ発売されていないはずの「ナイトフライ」のポスターが貼られていたりもする。

タイトルの「ニュー・フロンティア」は、ジョン・F・ケネディが1960年にアメリカ大統領選挙に出馬した際に発表したスローガンであり、そこには未来への希望が溢れてもいた。また、シェルターで2人きりのパーティーを楽しむ若い男女にとっては、また別の意味での新境地の開拓をも意味している。

「ナイトフライ」に収録された全8曲のうち、7曲はドナルド・フェイゲンによって書かれているが、A面3曲目の「ルビー・ベイビー」はベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」やエルヴィス・プレスリー「ハウンド・ドッグ」などで知られる有名なソングライターコンビ、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの作品であり、1960年にリリースされたザ・ドリフターズのバージョンが参照されている。

「ナイトフライ」の前日にはブルース・スプリングスティーン「ネブラスカ」がリリースされたり、ビリー・ジョエルが「アレンタウン」をヒットさせるのもこの少し後だったことからも、当時のアメリカ社会はわりとしんどいことになっていたのではないかと想像できる。それだけに、「ナイトフライ」に溢れているノスタルジックでオプティミスティックな感覚が好意的に受け入れられた可能性はあるのかもしれない。