ビリー・ジョエル「ストレンジャー」【Classic Albums】

ビリー・ジョエルの5作目のアルバム「ストレンジャー」は、1977年9月29日にリリースされた。全米アルバム・チャートで最高2位、シングルカットされた「素顔のままで」はグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞の主要2部門を受賞、サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」を抜いてコロムビア・レコードで歴代最も売れたアルバムに認定され、日本ではなんといっても1978年8月21日付のオリコン週間シングルランキングでピンク・レディー「モンスター」に次ぐ最高2位(この週のランキングでは4位にビー・ジーズ「恋のナイトフィーバー」、8位にアラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」と10位以内に洋楽が3曲もランクインしていた)を記録した「ストレンジャー」で知られるこのアルバムだが、リリースされてからすぐに売れたわけではなかった。全米アルバム・チャートに初めてランクインしたのが発売から約4ヶ月後であり、それから約1ヶ月後の1978年2月18日付から6週連続で最高位となる2位を記録するのだが、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のサウンドトラック盤に阻まれ、1位にはなれなかった。1978年の年間アルバム・チャートでも「サタデー・ナイト・フィーバー」が1位、映画「グリース」のサウンドトラック、フリートウッド・マック「噂」に次いで4位がビリー・ジョエル「ストレンジャー」、5位がスティーリー・ダン「彩(エイジャ)」となっている。

1949年にニューヨークで生まれたビリー・ジョエルはハッスルズというバンドやアッティラというユニットで活動した後、1971年にアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」でデビューするのだが、これが再生速度が上がった状態で録音されていて、ビリー・ジョエルのボーカルも実際よりもひじょうに高く聴こえるという代物で、ビリー・ジョエル本人もまったく気に入っていなかったのだが、ヒットもしなかった。このアルバムはビリー・ジョエルが「ストレンジャー」でブレイクした後も、しばらくは廃盤のままであった。マネージャーで後に妻となるエリザベス・ウェーバーと共に拠点をニューヨークからロサンゼルスに移し、クラブなどで演奏活動を行うようになるのだが、1973年にはこの時の体験を元にした「ピアノ・マン」が全米シングル・チャートで最高25位を記録し、初のヒット曲となる。この後、「エンターテイナー」が全米シングル・チャートで最高34位を記録するが、それ以外はヒットせず、セルフプロデュースとなったアルバム「ニューヨーク物語」は全米アルバム・チャートで最高122位に終わる。この時点でビリー・ジョエルはコロムビア・レコードから契約を打ち切られかねないような状況だったという。

当時のビリー・ジョエルにはライブでの良さがレコードに生かされていないという不満があったようで、次のアルバムはぜひライブでのバンドメンバーで録音したいという思いがあった。ビートルズの大ファンでもあったビリー・ジョエルはジョージ・マーティンにプロデュースを依頼しようとするが、バンドのメンバーではなくスタジオミュージシャンの起用を条件とされたため、実現せずに終わっている。そして、アルバムはビリー・ジョエルのバンドを評価していたフィル・ラモーンによってプロデュースされることになるのだが、これはビリー・ジョエルがフィル・ラモーンがプロデュースしていたポール・サイモンのアルバム「時の流れに」を気に入っていたことによるものだという。ビリー・ジョエルとフィル・ラモーンはよくカーネギーホールの近くのフォンタナ・ディ・トレビというイタリアンレストランで打ち合わせをしていたというのだが、この店は「ストレンジャー」に収録された「イタリアン・レストランで」の舞台となる。ビリー・ジョエルのバンドメンバーによってレコーディングされた「ストレンジャー」は結局のところ大ヒットするのだが、後にジョージ・マーティンはこのヒットを祝福し、スタジオミュージシャンを起用しようとした自身の判断が誤っていたことを認める手紙をビリー・ジョエルに送ったという。

アルバムの1曲目に収録された「ムーヴィン・アウト」は、スーパーマーケットで働きながら将来のためにお金を貯めているアンソニーという若者を主人公にしている。親が期待するしあわせと自分自身が望んでいる人生との間に少しずつ矛盾が広がっている、その違和感について歌われているようである。このひじょうに多くの人々に共感されやすいテーマを持つ楽曲は、「ストレンジャー」からシングルカットもされ、全米シングル・チャートで最高17位を記録した。また、2002年に上演されたビリー・ジョエルの楽曲をふんだんに盛り込んだミュージカルのタイトルにもなるなど、代表曲の1つとして知られるようになる。

2曲目にはタイトル曲の「ストレンジャー」が収録されている。日本では大ヒットして、ビリー・ジョエルの代表曲として知られているようなところもあるが、アメリカやイギリスをはじめ、海外のほとんどの国ではシングルカットもされていない。当時の日本では本当に大ヒットしていて、北海道留萌市の喫茶店などでも聴いた記憶があるほどである。なんといってもイントロの口笛が印象的であり、都会の孤独とでもいうような雰囲気を醸し出しているのだが、そこから一転してロック調になるところがまたとても良い。人間の心理に潜む二面性というようなものをテーマにしているように思えるのだが、日本では洗練された都会的な楽曲として支持されていたような気がする。当時、ソニーのZILBA-PというラジカセのCMで使われていたようで、これもヒットに影響していたように思える。

アメリカで「素顔のままで」がヒットしていた頃、日本ではすでにビリー・ジョエルをすでに呼んで、ライブを行っていたのだという。1978年4月23日の中野サンプラザで開演は午後2時、チケット料金は1,800円であった。その日の夜は、スコーピオンズのライブで会場が抑えられていたようだ。この来日公演において、「ストレンジャー」の反応がひじょうに良かったらしく、日本で独自にシングルカットすることはできないかと打診したところ、あっさりと許可されたらしく、ライブから約1ヶ月後の5月21日にリリースされている。

あの印象的な口笛なのだが、ビリー・ジョエルがいずれ何かの楽器で演奏するつもりで仮で吹いていたのだが、フィル・ラモーンが口笛のままで良いのではないかと提案し、収録されることになったのだという。ビリー・ジョエルにはその発想は当初からまったくなかったらしい。そして、あの口笛がなければ、日本であそこまでヒットしなかったのではないかという気がする。

そして、「ストレンジャー」のアルバムで3曲目に収録されているのが、大ヒットした「素顔のままで」である。全米シングル・チャートで最高位の3位を記録したのは1978年2月18日付から2週間であり、その時の上位2曲はビー・ジーズ「ステイン・アライヴ」、アンディ・ギブ「愛の面影」であった。イントロのフェンダー・ローズピアノの音色がひじょうに印象的であり、ボサノヴァ的なリズムやサックスは最高など、クロスオーヴァー的な良さもひじょうにある。メロディーは親しみやすく歌いやすくもあるのだが、歌詞の内容がタイトルにもあらわれているように、ありのままのあなたを愛しているというようなものなので、ここも共感を呼びやすいポイントだったように思える。日本で「ストレンジャー」がシングルカットされた翌月、1978年6月25日にシングル「勝手にシンドバッド」でデビューしたサザンオールスターズは1981年のアルバム「ステレオ太陽族」に「素顔で踊らせて」という曲を収録しているが、歌詞には「You may be right」とビリー・ジョエル「ガラスのニューヨーク」のオリジナルタイトルが引用されている。また、1983年のシングル「ボディ・スペシャルⅡ(BODY SPECIAL)」には、「ありのままに Just the Way You Are」とビリー・ジョエル「素顔のままで」のオリジナルタイトルが引用されてもいる。

ビリー・ジョエルはこの曲のメロディーを夢の中で思いつき、一旦は忘れていたのだが、ミーティングの時に思い出したという。しかし、ありきたりなバラードだと思い、アルバムに収録つもりもなかったようだ。しかし、フィル・ラモーンはこれはとても良い曲なので絶対に入れるべきだと主張し、説得のためにリンダ・ロンシュタッドとフィービー・スノウもスタジオに呼んだという。もちろん2人とも「素顔のままで」を絶賛したようで、それならば良いかと思い、収録する気になったようだ。

そして、アナログレコードではA面の最後に収録されたのが「イタリアン・レストランで」であり、約7分37秒にもおよぶひじょうに長い曲である。とはいえ、組曲のようになっているため、退屈することはない。ビートルズ「アビイ・ロード」に収録されていた、ポール・マッカートニーのメドレーにインスパイアされてもいたようである。カーネギーホールの近にあった実在のイタリアンレストランがモデルになっていて、白ワイン、赤ワインとはじまる歌いだしの歌詞は実際にその店の店員が言っていたものらしい。離婚した元夫婦が思い出のイタリアンレストランで再会し、近況を報告したり過ぎ去った過去を懐かしんだりするという内容である。この曲はシングルカットはされていないものの、ひじょうに人気があるうえに批評家からの評価も高く、2021年に「ローリング・ストーン」が発表した歴代の名曲ベスト500のリストでは324位に選ばれている。

アナログレコードのB面は「ウィーン」からはじまるが、この曲は幼少期にはそれほど親しくもなかった父をオーストリアのウィーンに訪ねた時の体験をベースに書かれたといわれている。街路を掃除している老婦人を見て、当時のビリー・ジョエルは憐れみを覚えたというが、父に彼女はこうして社会に貢献することによって充実した人生をおくっているのだといわれ、アメリカとオーストリアにおける価値観の違いを感じたという。

「若死にするのは善人だけ」は当初、レゲエのリズムで演奏され、ビリー・ジョエルもジャマイカ訛りで歌っていたようだが、バンドメンバーからの意見を取り入れ、よりロック的に改変された曲だという。カソリックの少女たちに言及した歌詞のフレーズが一部のキリスト教関係者を怒らせ、反対運動が起こったりもしたのだが、それがむしろこの曲をよりポピュラーにしたともいわれている。シングルカットもされていて、全米シングル・チャートでは最高24位を記録している。

「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」は「素顔のままで」などと同様に、当時のマネージャーで後に妻となるエリザベス・ウェーバーのことを歌ったバラードである。70年代後半の音楽業界といえば、ひじょうに男性が優位な社会だったのではないかと想像できるのだが、そこでビジネスパーソンとしても頑張っている彼女のことを心から尊敬し、讃えた素晴らしい楽曲だといえる。ビリー・ジョエルはエリザベス・ウェーバーと結婚はするものの、1982年には離婚してしまうのだが、その後もこの曲はずっと歌い続けられている。この曲もシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高17位を記録した。

「最初が肝心」は「ストレンジャー」に収録された楽曲の中で最も印象が薄いような気もするのだが、タイトルがあらわしているように、ロマンスを成功させるには第一印象がとても大切だというようなことが歌われている。これまでの曲があまりにも素晴らしすぎることもあるのだが、アルバムにはやはりこういう軽めの曲もあった方がそれらしい、というような気分にもなる。そして、コーラスがライトで超キャッチーなところもとても良い。そして、最後はゴスペル的なフィーリングも感じられる「エヴリバディ・ハズ・ア・ドリーム」で大団円なのだが、その後で「ストレンジャー」のあの口笛がリプライズする。