ビリー・ジョエル「ソングス・イン・ジ・アティック」【Classic Albums】

ビリー・ジョエルにとって最初のライブアルバム「ソングス・イン・ジ・アティック」は1981年9月14日に発売され、全米アルバム・チャートで最高8位を記録した。1977年にアルバム「ストレンジャー」で大ブレイクしたビリー・ジョエルだが、その後も「ニューヨーク52番街」「グラス・ハウス」と売れ続け、すっかり人気アーティストの仲間入りを果たした。1978年の夏に「ストレンジャー」がオリコン週間シングルランキングで最高2位まで上がった日本でも人気はひじょうに高く、洋楽を聴きはじめるきっかけのような役割も果たした。「素顔のままで」「マイ・ライフ」「オネスティ」「ガラスのニューヨーク」「ロックンロールが最高さ」など、これ以外にもヒット曲はひじょうに多く、これらのライブバージョンをも収録したアルバムであれば、当時の人気からしても大ヒットした可能性はひじょうに高い。しかし、「ソングス・イン・ジ・アティック」には、これらのヒット曲は1曲も収録されていない。

「ソングス・イン・ジ・アティック」つまり、屋根裏の曲たちという意味合いを持つこの曲は、ビリー・ジョエルのあまり知られていない楽曲にスポットを当てたライブアルバムである。当時のライブでも当然に数々のヒット曲は演奏されていたと思われるのだが、このアルバムにはほとんど知られていないであろう楽曲だけが厳選されて収録されている。つまり、ビリー・ジョエルが「ストレンジャー」で大ブレイクする以前にリリースしていたアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」「ピアノ・マン」「ストリート・ライフ・セレナーデ」「ニューヨーク物語」の収録曲で、全米トップ40入りを果たした「ピアノ・マン」「エンターテイナー」などを除いた曲だけが選ばれている。アルバムジャケットでは屋根裏らしきところに入ったビリー・ジョエルが懐中電灯でピアノと楽譜のようなものを照らしているのだが、アルバムの内容を分かりやすくあらわしているといえる。

楽曲は良いのだが演奏やアレンジなどが気に入っていないものを、当時のバンドの演奏でレコーディングし直すという目的もあったように思える。このアルバムからは「さよならハリウッド」がシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高17位、「シーズ・ガット・ア・ウェイ」が同じく最高23位を記録している。サザンオールスターズの桑田佳祐が「ザ・ベストテン」に出演した時に、ビリー・ジョエルのものまねで「さよならハリウッド」を少しだけ歌っていたような記憶がある。また、1982年に嘉門雄三というアーティスト名でリリースしたライブアルバムでも、ビリー・ジョエルの楽曲ではこの曲と「ガラスのニューヨーク」をカバーしていた。そして、「ソングス・イン・ジ・アティック」はオリコン週間アルバムランキングで最高3位のヒットを記録してもいて、日本での大人気ぶりをよくあらわしている。

「シーズ・ガッタ・ウェイ」はビリー・ジョエルのデビューアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」に元々は収録され、シングルでもリリースされていたが、全米シングル・チャートにはランクインすらしていなかった。この当時、「コールド・スプリング・ハーバー」のレコードは廃盤になっていて、聴くことがひじょうに難しくなっていたこともあり、この録音はひじょうに貴重なものであった。ひじょうに素朴ではあるのだが、とても良いバラードであり、このアルバムによって陽の目を見たことはとても良かった。「さよならハリウッド」はアルバム「ニューヨーク物語」の収録曲だが、ニューヨーク出身ではあるのだが、一時的にアメリカ西海岸を拠点に演奏活動を行っていて、再びニューヨークに戻ったというビリー・ジョエルの実体験が反映されているようである。

「キャプテン・ジャック」はローカルのラジオ局で少しヒットして、ビリー・ジョエルが最初に注目されるきっかけとなった曲である。また、「マイアミ2017」「夏、ハイランドフィールズにて」などには、ビリー・ジョエルのまだ若かりし頃らしい感性と、すでにシンガーソングライターとしての才能の片鱗が感じられるようでとても良い。ビリー・ジョエルのアルバムとしては存在がなかなか地味ではあるのだが、いろいろと味わい深くもあり、プレーンに楽しむこともできる作品だといえる。