オーティス・レディング「オーティス・ブルー」【Classic Albums】

オーティス・レディングの3作目のアルバム「オーティス・ブルー」は1965年9月15日に発売され、全米R&Bチャートでは初の1位に輝いたのだが、全米アルバム・チャートでの最高位は最高75位とその高評価と知名度のわりにそれほど高くはない。一方、全英アルバム・チャートでは最高6位となかなかのヒットを記録していた。ロック系のメディアが選んだ歴代ベストアルバム的な企画において、ソウルミュージックのアルバムではわりと上位にランクインしている印象がある。1993年に「NME」が発表した歴代アルバムベスト100でも、35位という高順位に選ばれていた。フランク・シナトラ「ソングス・フォー・スウィンギン・ラヴァーズ」とジョン・コルトレーン「至上の愛」の間である。

2010年代に明石家さんまがメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「ヤングタウン土曜日」を聴いていると、ヤン娘と呼ばれるアシスタント的な役割のアップフロント・エージェンシー所属タレントやアイドルに対し、マイルドな説教もーどに入りがちなことがあるのだが、確かもっと海外のアーティストなども聴かなあかんやろー、というような話の流れで、「オーティス・レディングさんとかやなぁー」と言っていたのが印象的であった。「志村けんのだいじょうぶだぁ」のオープニングテーマに、オーティス・レディングの曲が使われていたことがあったような気がする。オーティス・レディングは1967年12月10日に飛行機の墜落事故で亡くなるのだが、その少し後にリリースされた「ドック・オブ・ベイ」が全米シングル・チャートで1位に輝く大ヒットになった。日本のオリコン週間シングルランキングでも最高12位を記録して、約23.9万枚を売り上げていたようである。

それはそうとして、80年代の日本の中高生がオーティス・レディングの音楽を聴こうとするきっかけとして、RCサクセションの忌野清志郎の存在はわりと大きかったような気もする。RCサクセションがロックバンドとしてブレイクした頃に、派手な化粧や衣装と共に、ツンツンに逆立てた髪型が話題にもなったのだが、あれはセックス・ピストルズのジョニー・ロットンを意識しているのではないかとも思われがちではあったのだが、リスペクトしているオーティス・レディングにならってオールバックにしようとしたところ、髪質が硬すぎて逆立ってしまったのだという説もどこかで確か見かけたような気がする。RCサクセションがいわゆるフォーク編成だった時代にリリースされた1972年のアルバム「楽しい夕に」に収録された「去年の今頃」という曲には「二人でこたつで紅茶を飲もう オーティスのレコード聞きながら」という歌詞があったり、ライブで有名になった「愛しあってるかい?」というフレーズもモンタレー・ポップ・フェスティバルでオーティス・レディングが言っていた言葉に由来している。

1985年の平日の午後、NHK-FMの「軽音楽をあなたに」でオーティス・レディングの曲がいくつかかかっているのを聴いて、これはやはりかなり良いのではないかと感じ、週末に池袋に行った時に、西武百貨店のレコード売場で「ベスト・オブ・オーティス・レディング」という2枚組のLPレコードを買ったことが個人的には思い出される。ロックやポップスやディスコソングのようなものを主に聴いていた当時、オーティス・レディングの音楽を聴いて、これがソウルミュージックというやつなのだろうと感じた。文字通り魂がこもっているようで、精神状態や体調によっては泣き出したくなるような気分を味わわせてもくれる。オーティス・レディングといえばこのベストアルバムをずっと聴いていたのだが、後に「オーティス・ブルー」がオリジナルアルバムとしてはとても良いことを知り、CDで買った。渋谷の宇田川町にあったFRISCOというCDショップだったような気がする。

このアルバムにはとにかく有名な曲がたくさん入っていて、それらをオーティス・レディングの素晴らしいボーカルとブッカー・T&ザ・MG’sのとても良い演奏で聴くことができるのが特徴である。「愛しすぎて」「サティスファクション」「リスペクト」がシングルでもリリースされ、いずれも全米トップ40入りを果たしている。「サティスファクション」はローリング・ストーンズの大ヒット曲のカバーであり、「愛しすぎて」「リスペクト」はオリジナル曲である。「リスペクト」はドラマーのアル・ジャクソンJr.が言っていたという、ツアーが終わって家に帰った時には、少しは妻から敬意をはらってもらいたい、というような愚痴のようなものがベースになっているともいわれている。このオーティス・レディングのバージョンは全米シングル・チャートで最高35位を記録するのだが、翌々年にはアレサ・フランクリンによるカバーバージョンが全米シングル・チャートで1位に輝く大ヒットとなっていた。女性歌手のアレサ・フランクリンが歌うことによって、歌詞における男女の立場も逆になり、結果的にこの曲はフェミニストアンセムとしても知られるようになっていく。

また、1964年12月11日にモーテルの管理人によって射殺されたサム・クックを追悼するかのように、「チェンジ・ゴナ・カム」「シェイク」「ワンダフル・ワールド」がカバーされている。他にはテンプテーションズの大ヒット曲「マイ・ガール」のカバーバージョンなども収録されているが、オーティス・レディングらしいオリジナリティー溢れる解釈によって、新しく生まれ変わっているように感じられる。