邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1981, Part.3

SOMEDAY/佐野元春(1981)

佐野元春の4作目のシングルでおそらく最も有名な楽曲なのだが、リリース当時はオリコン週間シングルランキングにランクインしなかった。1989年にJR東海のCMに使われたのに合わせて、翌年に再発されたシングルはオリコン週間シングルランキングで最高27位を記録している。

音楽的にはフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドからの影響が感じられ、「だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで」というような普遍的なメッセージが込められた歌詞も共感を呼んだ。

ハイスクールララバイ/イモ欽トリオ(1981)

イモ欽トリオのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで7週連続1位、年間シングルランキングでは寺尾聰「ルビーの指環」、竜鉄也「奥飛騨慕情」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」に次ぐ4位、「ザ・ベストテン」では4週連続1位を記録した。

当時のテレビバラエティー界においては漫才ブームをきっかけにブレイクしたお笑い芸人たちが大挙出演したフジテレビ系の「オレたちひょうきん族」などが人気をあつめたが、最も視聴率を取っていたのは欽ちゃんこと萩本欽一であった。

フジテレビ系で月曜の夜に放送されていた「欽ドン!良い子悪い子普通の子」に出演していた山口良一、西川浩二、長江健次をユニット化したのがイモ欽トリオで、グループ名はテレビドラマ「3年B組金八先生」の生徒役からブレイクしたたのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)のパロディーにもなっている。

細野晴臣によって作曲・編曲された楽曲はイエロー・マジック・オーケストラのパロディーになっていて、イントロも「ライディーン」から引用されたものである。後にテクノ歌謡と呼ばれることになる音楽ジャンルの代表曲にして最大のヒット曲としても知られる。

ラストショー/浜田省吾(1981)

浜田省吾のアルバム「愛の世代の前に」から先行シングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高94位を記録した。

恋人との別れをドラマティックに描写した楽曲であり、マイルドにシティポップでもあるサウンドとエモーショナルなボーカルの組み合わせがとても良い。

収録アルバム「愛の世代の前に」はオリコン週間アルバムランキングで最高12位とこの時点におけえうデビュー以降最高位を記録するのだが、この辺りから浜田省吾の人気は本格的に上がっていき、日本を代表する人気アーティストの1人として知られるようになっていく。

1990年には収録曲「悲しみは雪のように」の再録バージョンがテレビドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に使われ大ヒットしたことからアルバムもリバイバルし、オリコン週間アルバムチャートで最高2位を記録した。

ごめんねDarlin’/岩崎良美(1981)

岩崎良美の7作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高41位を記録した。

1980年にシングル「赤と黒」でデビューし、人気歌手である岩崎宏美の妹であることやポスト山口百恵の有力候補としても注目をあつめた。「ザ・ベストテン」では「今週のスポットライト」のコーナーに同じ年にデビューした松田聖子と共に初出演し、後にその時に歌った「涼風」でランクインしている(松田聖子「裸足の季節」は最高11位に終わった)。

歌唱力は抜群であり、早い段階でより大人の感じがする楽曲を歌うようになっていった。この曲は尾崎亜美が提供したエモーションズ「ベスト・オブ・マイ・ラブ」歌謡とでもいえそうな作品で、誕生日に恋人との間で起こった喧嘩と仲直りについて歌われていてとても良い。

ス・ト・リ・ッ・パ・ー/沢田研二(1981)

沢田研二の34作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高6位、「ザ・ベストテン」では最高2位を記録した。すでにリリースされていたアルバム「S/T/R/P/P/E/R」からのシングルカットである。

すでにベテランの大物スターであったにもかかわらず、音楽的に新しいチャレンジをし続けていた沢田研二がこの曲で取り入れたのは、当時、ストレイ・キャッツなどで人気となっていたネオロカビリーである。

バックバンドは後に「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」の辛口審査員としても有名になる吉田建がリーダーを務めるエキゾティクスで、ジャケットには沢田研二と共にメンバー全員の写真が掲載されている。

フライディ・チャイナタウン/泰葉(1981)

泰葉のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高69位を記録した。

人気落語家である林家三平の娘が歌手としてデビューということで話題になり、ラジオでもよくかかっていた記憶がある。当時、大きなヒットになったわけではないのだが、シティポップ歌謡として再評価され、令和の音楽好きな若者たちにもわりとよく知られているようである。

ダウ90000の女性メンバーたちが「最強モテ♡カラオケセットリスト」という動画でこの曲を話題にしたりもしていた。

ギンギラギンにさりげなく/近藤真彦(1981)

近藤真彦の4作目のシングルでオリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」では当然のように1位に輝いていた。

たのきんトリオでは先にデビューしていた田原俊彦に比べ、よりアナクロ的でもあるようなところが魅力的だったのだが、この曲では表層的なきらびやかさのようなものが増していてさらに良い。

「第23回日本レコード大賞」などいわゆる賞レースではこの曲が歌われる場合が多く、数多くの新人賞に輝いてもいた。「オレたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきんベストテン」では近藤真彦に扮した片岡鶴太郎がこの曲を歌いながら大暴れしていた。

風立ちぬ/松田聖子(1981)

松田聖子の7作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」では最高2位を記録した。

アルバム「A LONG VACATION」が大ヒットして絶好調の大滝詠一による提供曲である。大滝詠一の作品でボーカルだけが松田聖子といえるレベルのナイアガラサウンドで、アイドルポップスを基本的には軽視しているタイプの音楽ファンにまでリーチした印象がある。

松田聖子のボーカルでいうと初期の伸びのあるそれこそを至高とする意見もあったりはするのだが、超多忙などによってかこの頃にはそういった歌い方が難しくもなっていて、唱法は変化してきているのだが、それが表現力を増すことにもつながっている。

デビュー当時の松田聖子は男性からは支持されながらも、かわい子ぶりっ子的なキャラクターやグリコチョコレートのテレビCMで田原俊彦と共演していたことによって、女性からはやや嫌われがちだったような印象もあった。

しかし、この頃には女性ファンもかなり増えていたといわれ、個人的には土曜日に中学校から帰り、「お笑いスター誕生」を見終わった後に自転車で行った旭川のミュージックショップ国原で、学校の制服を着た真面目そうな女学生が「風立ちぬ」のシングルではなくアルバムを購入しているのを目撃した時にリアルにそれを実感したのであった。

「風立ちぬ」のアルバムではA面に収録された全曲を大滝詠一が作曲・編曲していて、しかもそれぞれが「A LONG VACATION」収録曲と対になってもいてかなり楽しめる。このアルバムでは全曲の作詞を松本隆が手がけていて、B面ではシングル曲の「白いパラソル」を除いた全曲の編曲者が鈴木茂である。つまり、細野晴臣を除いた元はっぴいえんどのメンバーが全員かかわっていることになる。そして、最後の1人である細野晴臣がかかわってくるのも時間の問題であった。

ハロー・グッバイ/柏原よしえ(1981)

柏原よしえ(後に柏原芳恵に改名)の7作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高6位、「ザ・ベストテン」では最高4位を記録した。

松田聖子、田原俊彦、近藤真彦の大ブレイクによって80年代はアイドルの時代にもなりかけていたのだが、1980年デビューの河合奈保子、柏原よしえもベストテンの常連化することによって、その流れはさらに加速していくことになる。

そして、柏原よしえにとって最初のトップ10ヒットがこの曲なのだが、元々はアグネス・チャンのシングルB面曲としてリリースされ、それから讃岐裕子のシングルにもなっていたようである。70年代歌謡ポップスのカバーバージョンということで、この年にヒットした石川ひとみ「まちぶせ」と共通するような感じもあったような気もする。

歌詞に登場する「紅茶のおいしい喫茶店」のモデルは、南こうせつの実兄が大分県で経営していた店だということである。

河合奈保子と柏原よしえは同じ大阪出身ということで仲が良く、ナオナオ、ヨシヨシなどと呼び合っていたような記憶がある。個人的には1980年の夏休みに生まれて初めて東京に行った時に、後楽園球場で開催された日本ハムファイターズと西武ライオンズとの試合を観戦したのだが、試合前に柏原よしえがデビュー曲「NO.1」を歌っているのを見たことによって、なんだか特別な思い入れがあった。

デビューアルバム「How To Love」を1981年のお年玉で買おうと決めたのだが、家族にアイドルのレコードを買っていることがバレるのが恥ずかしく、LPレコードではなくカセットテープを買って、机の一番下の引き出しの奥に隠し持っていたことは良い思い出である。

A面で恋をして/ナイアガラ・トライアングル(1981)

ナイアガラ・トライアングルのシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高14位を記録した。

大滝詠一を中心とするユニットで、1975年に山下達郎、伊藤銀次とでアルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」をリリースしていたが、ソロアルバム「A LONG VACATION」が大ヒットした直後にあたるこの時期に結成した第2期のメンバーに抜擢されたのは佐野元春、杉真理であった。音楽ファンの間ではある程度知られていたとは思われるのだが、世間一般的にはほとんど無名の存在であった。

翌年にリリースされたアルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」にはそれぞれのソロ楽曲が4曲ずつ収録されていたのだが、この曲だけは全員で歌われていた。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを思わせる典型的なナイアガラサウンドであるのに加え、バディ・ホリーからの影響も感じられる。

資生堂のCMソングとして使われていたこともあり、もっとヒットする可能性もあったように思えるのだが、出演していたモデルのスキャンダルが発覚したことにより早々に放送が打ち切られたりもした。