ロキシー・ミュージックの名曲ベスト10【The 10 Best Roxy Music Songs】
ロキシー・ミュージックは1970年にブライアン・フェリーらによって結成されたロックバンドで、アート志向のグラムロックとでもいうべき数々の楽曲をイギリスでヒットさせた。後のニュー・ウェイヴ系バンドにあたえた影響はひじょうに大きい。1976年に一旦は解散するのだが、翌々年に再結成し、バンドにとって最後のアルバムとなった1982年の「アヴァロン」は後にソフィスティポップなどとも呼ばれるようになる、都会的で洗練されたロックの名盤として知られるようになる。今回はそんなロキシー・ミュージックの楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選んでカウントダウンしていきたい。
10. Street Life (1973)
1973年のアルバム「ストランデッド」から最初のシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。ブライアン・イーノ脱退後、実験性は弱まったがよりキャッチーなバンドとしての新たな方向性を感じさせる楽曲となった。ファンからもひじょうに人気が高く、ライブでは定番曲として知られていた。解散後の1986年にリリースされ、全英アルバム・チャートで1位に輝いたベストアルバムのタイトルにもなっていた。
9. 2 H.B. (1972)
1972年にリリースされたデビューアルバム「ロキシー・ミュージック」のA面最後に収録されていた曲で、映画「カサブランカ」などで知られる俳優、ハンフリー・ボガードに捧げられている。フュージョン的なフィーリングも感じられるのが特徴であり、アンディ・マッケイのサックスは「時の過ぎゆくままに」を思わせもする。
8. All I Want Is You (1974)
アルバム「カントリー・ライフ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高12位を記録した。恋人との別れに際して見せる男の弱さのようなものをブライアン・フェリーがスタイリッシュに歌っているのだが、フィル・マンザネラのギターをはじめ演奏は常にテンションが高く、悪あがきにも似た必死さのようなものをヴィヴィッドに表現しているようでもある。
7. Mother of Pearl (1973)
アルバム「ストランデッド」に収録された約6分52秒にもおよぶ楽曲なのだが、退屈することはけしてない。後期のAOR的ですらあるロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーのイメージからは想像できないほどのアグレッシヴかつグラマラスなロックサウンドかと思いきや、途中からはスローダウンしてまるで別の曲のようになる。というか、それからの方がずっと長い。そして、最後は大切なことなので2度ならず何度も、しかもアカペラで同じフレーズが繰り返され、とても良い余韻を残して終わる。当時のロキシー・ミュージックの多様な魅力を、1曲に凝縮したようなお得感もある。
6. Re-Make/Re-Model (1972)
1972年のデビューアルバム「ロキシー・ミュージック」の1曲目に収録されていた曲である。楽器は弾けないがシンセサイザーを操作できるという理由で加入していたらしいブライアン・イーノがまだ在籍していた頃のロキシー・ミュージックは、より実験的な要素が強かったといわれるが、それがよくあらわれた曲だともいえる。とにかくテンションの高い演奏にワーグナー、ビートルズ、デュアン・エディなどのフレーズが挿入されたりもする。美しい女性を街で見たが声をかける勇気がなかったというブライアン・フェリーの実体験に基づいた歌詞で、コーラスの「CPL 593H」というフレーズは彼女が乗っていた車のナンバープレートらしい。
5. Editions of You (1973)
ロキシー・ミュージックで最も評価が高いアルバムといえば1973年にリリースされた「フォー・ユア・プレジャー」であり、このアルバムまではブライアン・イーノが参加していた。夜の都会で美女が黒豹のような動物を散歩させているという、このアルバムジャケットアートワークが内容をよくあらわしているのだが、この女性は当時、ブライアン・フェリーが付き合っていたというアマンダ・レアで、それ以前はサルバドール・ダリの愛人でもあったという。
それはそうとして、収録曲では「イン・エヴリ・ドリーム・ホーム・ア・ハートエイク」や「ビューティー・クイーン」などもとても良いのだが、エクスペリメンタルでテンションが高めなのだがクールでスタイリッシュでソフィスティケイトされてもいるという、当時のロキシー・ミュージックの特徴が最もフルに発揮されているのではないかと感じられるのがこの曲であり、アルバム収録曲中で2番目に短い(約3分51秒)ところもとても良い。
4. More Than This (1982)
ロキシー・ミュージックは1976年に一旦は解散しているのだが、翌々年に再結成して、3作のスタジオアルバムをリリースしている。最後のアルバムとなったのが1982年の「アヴァロン」であり、これは世界的にもかなりヒットした。それで、これがロキシー・ミュージックの代表作とされている場合もあるのだが、初期とはかなり音楽性が異なり、AORやソフィスティポップとしても広く受け入れられやすいものになっている。ちなみに、スピッツの草野マサムネはTOKYO FMなどで放送しているラジオ番組「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」において、ロキシー・ミュージックでは「アヴァロン」だけが苦手だと語っていた。
それはそうとして、ブライアン・フェリーのダンディーな大人の男というキャラクターではバブル景気に突入する寸前の日本においてもカフェバー文化的に消費されがちであった。個人的には1985年に知り合った予備校に来るにもジャケットでキメていた身長180cmぐらいの男子のことを、「高島平のブライアン・フェリー」などといっていじっていた。彼は喫茶店では常にシンヴィーノを注文していた。それはまあ良いのだが、この曲は「アヴァロン」から最初のシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高6位のヒットを記録した。当時、「夜に抱かれて」という邦題がついていて、なんとなくそれっぽくてわりと気に入っていたのだが、現在は普通に「モア・ザ・・ディス」と表記されている。ソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」において、東京のカラオケ屋でビル・マーレー演じる中年俳優がこの曲を歌うシーンも印象的である。
ロキシー・ミュージックのシングルで全英シングル・チャートの10位以内にランクインした曲は全部で9曲あり、最も高い順位を記録したのは1981年にリリースされたジョン・レノン「ジェラス・ガイ」のカバーバージョンである。ジョン・レノンが自宅前で射殺されてからそれほど経っていない頃であり、2週連続1位に輝いている。
3. Do the Strand (1973)
アルバム「フォー・ユア・プレジャー」の1曲目に収録され、イギリスではシングルカットされなかったのだが、1978年にベストアルバムの発売に合わせてシングルでもリリースされている。60年代にヒットしたいくつかの曲のように、ダンスムーヴメントを題材にした楽曲をつくろうとブライアン・フェリーが試みてできたのだという。スフィンクス、モナ・リザ、ロリータ、ゲルニカといった、様々なアート作品を歌詞では取り上げ、演奏はスタイリッシュな躁状態とでもいうべきものを実現しているようにも感じられる。
2. Love Is the Drug (1975)
1975年のアルバム「サイレン」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。1位を阻んだのは、デヴィッド・ボウイ「スペース・オディティ」である。初期のロキシー・ミュージックはグラムロックのバンドとしても見られていたが、デヴィッド・ボウイ「ジギー・スターダスト」のツアーでサポートアクトを務めたりもしている。とはいえ、ロキシー・ミュージックがデビューのきっかけをつかんだのは、ブライアン・フェリーがプレグレッシヴロックのキング・クリムゾンのオーディションを受けにいったことであった。バンドのイメージに合わないとオーディションには落ちたのだが、センスが認められ事務所には紹介され、これがやがてロキシー・ミュージックとの契約につながった。
デビュー後のロキシー・ミュージックは全英シングル・チャートでヒットを連発していたのだが、アメリカではそれほどでもなかった。優れたイギリスのバンドにはよくあることでもあるのだが、この曲だけは全米シングル・チャートで最高30位を記録している。ナイル・ロジャースによると、ジョン・ガスタフソンによるこの曲のベースラインはシック「グッド・タイムス」に強い影響をあたえたということで、そのベースラインを用いたシュガーヒル・ギャング「ラッパーズ・ディライト」の衝撃などを考えるに、間接的にヒップホップにとってもひじょうに重要な楽曲だということができる。
1. Virginia Plain (1972)
ロキシー・ミュージックのデビューシングルではあるのだが、リリースされたのはデビューアルバム「ロキシー・ミュージック」よりも後である。そして、「ロキシー・ミュージック」には収録されていなかった、というかリリース時にはレコーディングさえされていなかった。「ロキシー・ミュージック」はシングル曲を1曲も収録していなかったにもかかわらず、全英アルバム・チャートで最高10位まで上がったということになる。しかし、その最高位を記録した週にはこの曲がシングルとしてすでに発売されていて、その翌々週に全英シングル・チャートでの最高位である4位を記録することになる。ちなみにその週の上位3曲はスレイド「クレイジー・ママ」、ロッド・スチュワート「ユー・ウェア・イット・ウェル」、ファロン・ヤング「イッツ・フォー・イン・ザ・モーニング」であった。
ポップでキャッチーであるのと同時にエクスペリメンタルでストレンジなところがたまらなく良く、70年代ロック的というかグラムロックにカテゴライズできないこともなきにしもあらずなのだが、それにしては電子楽器の加減などが新しくもあり、まさにニュー・ウェイヴという感じでもある。とはいえ、1972年にニュー・ウェイヴという音楽ジャンルはおそらくまだ存在していない。そして、ロキシー・ミュージックからも影響を受けたであろうニュー・ウェイヴバンドたちが大活躍していた80年代のMTV時代に、ロキシー・ミュージックは「アヴァロン」のおしゃれな音楽性でまた別のかたちでも受けていたのだった。