邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1975, Part.1
私鉄沿線/野口五郎(1975)
野口五郎の15枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「第17回日本レコード大賞」では歌唱賞、「第8回日本有線大賞」ではグランプリを受賞した。作詞が山下路夫で、作曲は野口五郎の兄、佐藤寛である。
別れてしまったかつての恋人との思い出が忘れられない、というタイプの楽曲だが、都会的でありながら生活感のある「私鉄沿線」というタイトルがまず良いし、「悲しみに心とざしていたら 花屋の花も変りました」というフレーズで時の経過をあらわしたり、イントロが流れてきただけで当時のテレビの歌番組の感じを思い出させてくれたりもして、いろいろと感慨深いのである。
しらけちまうぜ/小坂忠(1975)
小坂忠のアルバム「HORO」からシングルカットされた楽曲で、当時それほどヒットはしていないのだが、シティポップの名曲の1つとして知られるようになる。特にある世代にとっては、東京スカパラダイスオーケストラの1995年のアルバム「GRAND PRIX」で小沢健二によって歌われたバージョンの影響が強かったような気もする。
作詞が松本隆で、作曲は細野晴臣である。恋人との別れの場面を描写した楽曲だが、「涙は苦手だよ 泣いたらもとのもくあみ しらけちまうぜ」と、男の強がりのようなものが歌われている。
ゴロワーズを吸ったことがあるかい/かまやつひろし(1975)
かまやつひろしのシングル「我が良き友よ」のB面に収録された楽曲である。
吉田拓郎が作詞・作曲をしたA面はオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングで9位を記録する大ヒットなったが、かまやつひろしが本来、志向する音楽性とはかなり異なるものだったようである。そこで、B面は好きなようにやった結果がこの曲である。
当時の日本のポピュラー音楽としてはかなりマニアックなようにも思えるのだが、曲そのものが「そうさなにかにこらなくてはダメだ 狂ったようにこればこるほど 君は一人の人間としてしあわせな道を歩いているだろう」というようなことをテーマにしたものであった。来日していたタワー・オブ・パワーも演奏に参加している。
1990年代の日本のクラブシーンで再評価され、新しい世代のリスナーを獲得していった。
22才の別れ/風(1975)
風のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングで7位の大ヒットを記録した。
伊勢正三がかぐや姫時代に作詞・作曲して、アルバム「三階建の詩」に収録されたが、シングルカットはされなかった。その後、大久保一久と結成したフォークデュオ、風の楽曲として再レコーディングされたものである。
70年代フォークを代表する美しくも切ない楽曲だが、1984年にはテレビドラマ「昨日、悲別で」でかぐや姫のバージョンの方が使われ、シングルも発売されていた。
ルージュの伝言/荒井由実(1975)
荒井由実の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高45位を記録した。
コニー・フランシス「カラーに口紅」などを思わせなくもないオールディーズ調で軽快な楽曲だが、浮気がちな恋人を懲らしめるために、彼の母親に会って直訴するというひじょうに恐ろしい内容になっている。
コーラスには山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子らが参加している。
年下の男の子/キャンディーズ(1975)
キャンディーズの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。作詞は千家和也、作曲・編曲が穂口雄右である。
このシングルからリードボーカルがスーからランに変わり、キャンディーズにとって初めてのヒット曲になった。
男性に憧れるのではなく、年下の男の子のことを「可愛い」と歌っているところが新しかったような気もする。カントリー的だったりファンキーなホーンが効果的に使われたサウンドも楽しくてとても良い。
砂の女/鈴木茂(1975)
鈴木茂のソロデビューアルバム「BAND WAGON」の1曲目に収録された曲である。シングルカットされていたのは「八月の匂い」「100ワットの恋人」だったのだが、この曲が代表曲でありシティポップの名曲として最も知られるようになった。
作詞が松本隆で、作曲・編曲は鈴木茂である。レコーディングはアメリカに渡って行われ、現地のミュージシャンが参加していることもあり、当時の日本のポピュラー音楽としてはかなり洋楽的でもある。
「じょうだんはやめてくれ」という投げやり気味なフレーズもとても良く、とにかくいろいろな意味でやたらとカッコいい楽曲である。2014年に行われたアルバム再現ライブにおいても、もちろん演奏されている。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(1975)
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで5週にわたり1位、年間シングルランキングで5位を記録し、「第17回日本レコード大賞」では企画賞を受賞している。
当初は「カッコマン・ブギ」のB面扱いだったのだが、有線放送でこの曲の方がよくかかったことなどから、AB面を入れ替えて再リリースした。
宇崎竜童の語りが曲の大半を占め、「アンタ あの娘の何なのさ!」というフレーズも含め、ユニークな歌詞が大いに受けた。歌詞は宇崎竜童の妻でもある阿木燿子によるものであり、これが作詞家としてのデビューとなった。
ノベルティーソング的な魅力にも溢れてはいるのだが、不良的なロックチューンとしてもかなり良い。