ザ・スミス「ハットフル・オブ・ホロウ」について。

ザ・スミスのコンピレーション・アルバム「ハットフル・オブ・ホロウ」は、1984年11月12日にリリースされた。オリジナルアルバム未収録のシングルとラジオ・セッションの音源から成るいわば企画盤ではあるのだが、ザ・スミスの初期のアルバムとしては、オリジナルアルバム以上に高く評価されている場合もある。確かにこの頃のザ・スミスのバンドとしての魅力を最もヴィヴィッドに伝えているのは、デビュー・アルバムの「ザ・スミス」よりもこのアルバムだったような気がする。シングルとラジオ・セッションの音源が混在していることも、通常ならばまとまりがないように思えるかもしれないのだが、このアルバムに関してはそこもドキュメンタリータッチだったりスナップショット的で良いのではないかと、好意的に捉えられたりもする。それももちろん収録されている内容が素晴らしいからに他ならないのだが。

ザ・スミスのデビュー・アルバム「ザ・スミス」は期待される中で1984年2月20日にリリースされ、全英アルバム・チャートで最高2位のヒットを記録した。ちなみにその週の1位は、トンプソン・ツインズ「ホールド・ミー・ナウ」であった。2枚目のシングルでインディー・チャートで1位に輝いた「ジス・チャーミング・マン」は収録されていなく、デビュー・シングル「ハンド・イン・グローヴ」は別バージョンで収録されていた。評価はけして低くはなかったのだが、特にサウンド・プロダクションに関して、バンドの魅力がじゅうぶんには生かされていないのではないか、というような意見もあった。

「ハットフル・オブ・ホロウ」には1983年の5月から9月までの間に収録され、放送された4回のラジオ・セッションから、「ホワット・ディファレンス・ダズ・イット・メイク?」「ジーズ・シングス・テイク・タイム」「ジス・チャーミング・マン」「ハンサム・デヴィル」「スティル・イル」「ジス・ナイト・ハズ・オープンド・マイ・アイズ」「ユーヴ・ゴット・エヴリシング・ナウ」「アクセプト・ユアセルフ」「バック・トゥ・ジ・オールド・ハウス」「リール・アラウンド・ザ・ファウンティン」の10曲の音源が収録されている。そのうちのほとんどは、収録当時にはまだレコードが発売されていない曲である。

ラジオ・セッションというのはつまりスタジオライブのようなものであり、アルバムやシングルでリリースされたものと比べ、より生々しさが伝わるのだが、「ハットフル・オブ・ホロウ」に収録された音源の場合、こちらの方がより魅力的に感じられるものが少なくはない。「スティル・イル」などはデビュー・アルバムに収録されたバージョンとはアレンジもわりと違っていて、特にイントロなどでハーモニカが演奏されていたりすることによって軽快な感じになっている。ザ・スミスの最大の魅力といえば、ボーカリストのモリッシーによる自己憐憫的でナルシスティックでありながら、ユーモアも感じられる歌詞とボーカル、体をくねくねと動かしながら歌ったりもするパフォーマンスではあるのだが、その暗さのようなものがポップ感覚によって中和されていてとても良い。

モリッシーはキャラクターが立ちまくっていて、特に日常的に惨めで悲しい思いをしていがちな人々にはカリスマ的な人気があったわけだが、ザ・スミスというバンドの魅力はもちろんそれにとどまるものではなく、ジョニー・マーの様々なポップ・ミュージックに通じているところから来る卓越したメロディーセンスとギタープレイ、アンディ・ルークとマイク・ジョイスのリズム隊の演奏力もひじょうに高く、総合的に素晴らしいのである。「ハット・オブ・ホロウ」のラジオ・セッション音源からはその辺りも感じることができ、とても良いと思うのである。

そして、ザ・スミスがすでに人気バンドとなり、デビュー・アルバムもヒットさせた後にリリースした1984年のシングル「ヘヴン・ノウズ」「ウィリアム」からカップリング曲も含め計5曲、そして、デビュー・シングル「ハンド・イン・グローヴ」のオリジナルミックスが収録されている。

1984年のザ・スミスはイギリスのインディー・ロックを好んで聴く界隈においてはひじょうに人気があったのだが、日本の一般大衆的な音楽ファンにまでは浸透していなかったように思える。アズテック・カメラ「ハイ・ランド、ハード・レイン」やザ・スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」などは、おしゃれな音楽という文脈でわりと支持されていたようなところがあるのだが、この流れでエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンやベン・ワットの音楽などがNHK-FM「軽音楽をあなたに」辺りで聴くことができたりもした。いわゆる後にネオ・アコースティックなどとも呼ばれる類いの音楽である。

シンセ・ポップ的なサウンドが流行っていた当時において、こういったアコースティックなサウンドは逆に新しくもあり、地方都市の高校生であった私などもカジュアルに気に入ってはいた。その一方で、根本的にはヒット・チャートに入っているような売れているポップスが好きでもあるので、アメリカやイギリスのシングル・チャートの上位にランクインした曲のほとんどをノーカットでかけるNHK-FMの「リクエストコーナー」という番組をこまめにチェックしていた。ザ・スミスのシングルはアメリカではまったくヒットしていなかったが、イギリスでは「ヘヴン・ノウズ」が最高10位、「ウィリアム」が最高17位とそこそこ売れていて、それで「リクエストコーナー」でもかかっていた。

ザ・スミスについてそれほど予備知識もなかった私は、「ヘヴン・ノウズ」「ウィリアム」にネオ・アコースティック的な魅力を感じたのだが、ボーカルがまったく爽やかではない上にヨーデルのような歌い方もしていて、そこに違和感を感じてはいたのだが、やがてそれこそが魅力なのだと気がつくに至った。そして、「ヘヴン・ノウズ」の歌詞は仕事を探して見つかったので働かなくてはいけないのだが、それでとても惨めな気分だ、というようなものであり、これはとても素晴らしいのではないかと感じたのであった。

そして、「ウィリアム」のB面に収録されていた「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」も「ハットフル・オブ・ホロウ」には収録されていて、これもまた実に素晴らしい。ザ・スミスの楽曲にしてはサウンドにロック的なカタルシスが感じられ、歌詞の内容はモリッシーらしい自己憐憫的なものではあるのだが、出会いを求めてクラブに行くのだが、一人で立ち尽くすだけで家に帰って泣いて死にたくなるとか、自分は人間であり愛される必要がある、他の人たちと同じように、などと情け容赦も身も蓋もなく、いくところまでいっている感じである。あまりにも人気がありすぎて、翌年にはシングルA面としてリリースもされ、ザ・スミスの代表曲の1つにもなっている。ちなみに、2003年の「ミュージックステーション」ドタキャン事件でお馴染み、ロシア出身のポップ・デュオ、t.A.T.u.がこの曲をカバーしているのだが、個人的にはわりと気に入っている。

「ハットフル・オブ・ホロウ」の全英アルバム・チャートでの最高位は8位で、ワム!「メイク・イット・ビッグ」、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「ウェルカム・トゥ・ザ・プレジャードーム」、シャーデー「ダイヤモンド・ライフ」、デュラン・デュラン「アリーナ」などには及ばなかったのだが、こういったタイプの音楽にしてはやはり格段に売れていたのだな、ということが分かる。この約3ヶ月後にあたる1985年2月11日には日本では「肉喰うな!」のコピーでも知られる2作目のオリジナルアルバム「ミート・イズ・マーダー」がリリースされ、全英シングル・チャートではブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を抜いて、初の1位に輝くことになる。