The 500 Greatest Songs of All Time : 60-51
60. Sabotage – Beastie Boys (1994)
ビースティ・ボーイズのアルバム「イル・コミュニケーション」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高21位を記録した。
ロック的なサウンドにのせて、何らかに対しての不平不満をまくしたてている。そこにはパンク・ロック的なスピリットを感じたりもするのだが、スクラッチなどヒップホップ的な要素も入っている。
インストゥルメンタルは以前から完成していたようなのだが、そこにプロデューサーのマリオ・カルダートJr.に対する不満という内輪ネタをテーマにした歌詞が付くことによって、このアグレッシヴでありながらクールでもある最高の楽曲が完成したようだ。
スパイク・ジョーンズが監督したミュージック・ビデオは1970年代の刑事ドラマをパロディー化したようなもので、これもこの曲を有名にする要因になった。東京の輸入盤を扱うCDショップでも、VHSのビデオテープをよく見かけた記憶がある。
59. God Save the Queen – Sex Pistols (1977)
セックス・ピストルズが1977年5月にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。
実際にはその週の1位だったロッド・スチュワート「もう話したくない」よりも売れていたが、何らかの操作によって2位にさせられたという説が有力である。
というのもこのシングルはエリザベス2世の即位25周年という国民的行事に合わせるかたちでリリースされ、曲の内容は君主制を批判するようなものだったためである。しかもタイトルはイギリス国家「国王陛下万歳」と同じで、祝典の当日にはテムズ川に浮かべた船上でゲリラライブを行い、逮捕されたりもした。
楽曲そのものはポップでキャッチーなパンク・ロックであり、ジョニー・ロットンの個性的なボーカル・パフォーマンスもとても良い。
58. Dancing Queen – ABBA (1976)
ABBAのアルバム「アライバル」から先行シングルとしてリリースされ、イギリスやアメリカをはじめ、いくつかの国のシングル・チャートで1位に輝いた。
スウェーデン出身の夫婦2組からなるグループとして日本でも人気があったが、この曲は特に親しみやすく、代表曲として知られていた。
アメリカで流行していたディスコ・ミュージックをユーロポップ的に翻訳した楽曲のようでもあり、マイアミ産ディスコのジョージ・マックリィ「ロック・ユア・ベイビー」にも影響を受けている。
57. Last Nite – The Strokes (2001)
ザ・ストロークスのデビュー・アルバム「イズ・ディス・イット」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高14位を記録した。
当時のポップ・ミュージックシーンが失っていたクールでセクシーな気分をメインストリームに取り戻したという点において、ザ・ストロークスの功績はあまりにも大きいのだが、そのエッセンスが凝縮した曲だともいえる。
昨夜、恋人から冷めることを言われたので、部屋を出て落ち込んでいるし、この気持ちはおそらく理解してはもらえない、というようなことが歌われている。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンからの影響が指摘されていたが、この曲についてはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ「アメリカン・ガール」にインスパイアされていることを、ジュリアン・カサブランカス自身が認めている。
56. Running Up That Hill – Kate Bush (1985)
ケイト・ブッシュのアルバム「愛のかたち」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高3位、全米シングル・チャートで最高30位を記録した。邦題は「神秘の丘」である。
発売から37年後の2022年にNetflixの人気ドラマシリーズ「ストレンジャー・シングス 未知の未来」のシーズン4で効果的に使われたことによりリバイバルヒットとなり、全英シングル・チャートで1位、全米シングル・チャートで3位と最高位を大きく更新した。
シンセ・ポップ的なサウンドとケイト・ブッシュの個性溢れるボーカルによって、パートナーとの感じ方の違いに苦悩し、神との契約によって立場を入れ替えることができればいいのに、というようななかなか複雑なことが歌われている。
55. Alright – Kendrick Lamar (2005)
ケンドリック・ラマーのアルバム「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」からラジオ局向けにシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高81位を記録した。
つまりヒットチャートの順位だけを見るとそれほどヒットしてはいない訳だが、実際にはケンドリック・ラマーの代表曲としてのみならず、2010年代で最も重要な楽曲の1つと評されたりする場合もある。
ケンドリック・ラマーが南アフリカを訪れた際に目撃した現地の人々が直面する苦難にインスパイアされ、ポジティヴなメッセージ・ソングとして書いたが、後に警察官による人種差別的な暴力などに対抗するBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動のアンセムとしても知られるようになる。
ファレル・ウィリアムスが共同プロデューサーとして参加した、クールでありながらアップリフティングなヒップホップ・トラックとなっている。
54. (White Man) In Hammersmith Palais – The Clash (1978)
ザ・クラッシュが1978年の初夏にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高32位を記録した。邦題は「ハマースミス宮殿の白人」である。
ジョー・ストラマーがレゲエのライブを見に行ったのだが、ポップに薄められた内容であり、期待はずれだったことに対する不満からはじまり、イギリス国内の政治情勢やパンク・ロックの商業化に対するぼやきなどが、レゲエの影響も感じさせるゆるやかな曲調にのせて歌われている。激しめのイントロとの落差もとても良い。
この批評精神こそがパンク・ロックの真髄であり、音楽的にはけして型にはまっている必要はないということを証明するような楽曲である。
ジョー・ストラマーはこの曲をとても気に入っていて、ザ・クラッシュを解散した後も演奏し続け、自身の葬式でも流されたという。
53. Rebel Girl – Bikini Kill (1993)
ビキニ・キルが1993年に発表した楽曲で、いくつかのバージョンがそれぞれ異なったフォーマットでリリースされている。
ヒットチャートにはランクインしていないのだが、シーンの男性優位的な状況に一石を投じるべくフェミニズムとパンク・ロックとを結びつけたライオット・ガール・ムーヴメントを代表する楽曲として知られる。
内容は同性に対するラヴソングとなっていて、シングルとしてリリースされたバージョンはジョーン・ジェットによってプロデュースされている。
カート・コバーンの部屋の壁に「カートはティーン・スピリットの匂いがする」と書いて、ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のタイトルにインスピレーションを与えたのは、ビキニ・キルのキャスリーン・ハンナであった。
カート・コバーンは当時、ビキニ・キルのトビ・ヴェイルと付き合っていて、「ティーン・スピリット」は彼女が使っていたデオドラントのブランド名である。
52. bad guy – Billie Eilish (2019)
ビリー・アイリッシュのデビュー・アルバム「ホエン・ウィー・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥー・ウィー・ゴー?」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。全米シングル・チャートでは2000年代生まれのアーティストによる最初の1位獲得曲となった。
兄でプロデューサーのフィニアス・オコネルによるダークなシンセ・ポップサウンドと、途中からテンポがスローに変化する構成もユニークである。パートナー間の支配をテーマにしていると同時に、自分自身を必要以上に大きく見せようととする人達に対する痛烈な皮肉になっているところもとても良い。
そういった点においても、Z世代的な感覚を象徴するようなヒット曲だといえる。
51. Seven Nation Army – The White Stripes (2003)
ホワイト・ストライプスのアルバム「エレファント」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高76位、全英シングル・チャートでは最高7位を記録した。
ジャック・ホワイトは幼い頃に救世軍、つまりサルベーション・アーミーのことをセブン・ネイション・アーミーだと思っていたらしく、それがタイトルの由来となっている。
イントロのベースのフレーズが何といっても印象的なのだが、ホワイト・ストライプスにベーシストはいなく、これはギターにエフェクトをかけることによってベースのような音にしたものらしい。
ホワイト・ストライプスはジャック・ホワイトとメグ・ホワイトによる弟と姉のユニットという設定で紹介されていたが、有名になるにつれて実はカップルなのではないかとゴシップが飛び交ったりもした。この曲の根底には当時のそういった状況に対する怒りや不満がある。実際には夫婦だったのだが、離婚した後も一緒に音楽活動を続けていた。