The 500 Greatest Songs of All Time : 70-61

71. I Bet You Look Good on the Dancefloor – Arctic Monkeys (2005)

アークティック・モンキーズのデビュー・アルバム「ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで初登場1位に輝いた。

新人バンドではあったがライブ・シーンやメディアではすでにかなり話題になっていて、デモ音源を積極的に配布たりする草の根的な活動も功を奏していた。楽曲の内容はダンスフロアで踊っている女性に声をかけるというもので、歌詞にはデュラン・デュラン「リオ」に関係する表現やごく内輪のネタなども含まれている。

ミュージック・ビデオはバンドの演奏を撮影したシンプルなものだが、演奏前に「Don’t believe the hype」などと不敵に言い放ったり、1970年代から1980年代にかけて放送されていたイギリスの音楽番組「オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」の雰囲気を再現したりしていた。

70. Stand by Me – Ben E. King (1961)

ベン・E・キングが1961年にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高4位、全英シングル・チャートで最高27位を記録した。1980年代後半には映画「スタンド・バイ・ミー」の主題歌やヨーロッパではリーバイスのCMに使われるなどしてリバイバルし、全米シングル・チャートで最高9位、全英シングル・チャートでは1位に輝いている。

ベン・E・キングがジェリー・リーバー、マイク・ストーラーと共作し、ドリフターズの楽曲のつもりだったのだが却下され、グループを脱退後にソロでリリースしたところ大ヒットしたようだ。

ジョン・レノンが1975年のアルバム「ロックン・ロール」でカバーし、シングルカットもしていたが、1980年の暮れに亡くなった時、日本のニュース番組ではオリジナル曲ではなくこの曲の映像が流れがちであった。

69. You Really Got Me – The Kinks (1964)

ザ・キンクスが1964年にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで1位、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。

ヘヴィーでパワフルなギターリフが特徴的であり、後のハード・ロックやへヴィー・メタルに強い影響を与えたといわれる。激しいディストーションサウンドはデイヴ・デイヴィスはアンプのスピーカーをカミソリで切り裂いたことによって発生したといわれている。

ギターソロをセッション・ミュージシャン時代のジミー・ペイジが弾いているのではないかという噂があったが、これは否定されている。

1978年にヴァン・ヘイレンがデビュー・シングルとしてこの曲のカバー・バージョンをリリースし、全米シングル・チャートで最高36位を記録している。

68. (Sittin’ On) The Dock of the Bay – Otis Redding (1968)

オーティス・レディングが1968年にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートで最高3位を記録した。

このシングルが発売される約1ヶ月前に、オーティス・レディングは飛行機事故によって亡くなっていた。レコーディングを終えた3日後のことであった。この曲はすでに亡くなったアーティストが記録した初の全米NO.1ヒットとしても知られるようになった。

オーティス・レディングがカリフォルニア州サウサリートのボートハウスに滞在していた時にスティーヴ・クロッパーと共作した曲であり、それまでに発表していた楽曲とはテイストが異なる穏やかな雰囲気が特徴であった。アウトロの口笛はアドリブで、カモメの鳴き声や波の音は後から付け加えられた。

1988年にマイケル・ボルトンによるカバー・バージョンが全米シングル・チャートで最高11位を記録したが、オーティス・レディングの未亡人であるゼルマ・レディングはそのパフォーマンスに感銘を受け、マイケル・ボルトンに感謝の手紙を送ったという。マイケル・ボルトンはそれを額縁に入れ、オフィスの壁に飾っていたようである。

67. Louie Louie – The Kingsmen (1963)

ザ・キングスメンが1963年にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高2位、全英シングル・チャートで最高23位を記録した。

リチャード・ベリーがリッキー・リレラ&ザ・リズム・ロッカーズの「エル・ロコ・チャチャ」という曲にインスパイアされて書き、自身のバンドであるザ・ファラオズのシングルB面曲として1957年にリリースしたのがオリジナルである。その後、様々なバンドによってカバーされたが、最も有名なのは1963年にリリースされたザ・キングスメンのバージョンである。

レコーディング時にマイクがかなり高い位置に設置されていたため、仰向けに近い体勢で歌わなければいけばかったり、その時ちょうど歯列矯正の器具を付けてうたりで、歌詞がやや不明瞭に聴こえるが、船旅をしてジャマイカにいる女性に会いにいくことがテーマになっている。

初めはそれほど売れなかったようだが、ボストンのラジオで最低の曲として紹介されてから火がつき、爆発的にヒットしたという。ガレージ・ロック代表曲で、後のパンク・ロックやグランジ・ロックにも多大な影響を与えたという。

モッズ族のバイブル的映画「さらば青春に光」では、クラブのようなところでこの曲に合わせてスティング演じるエースがキメキメで踊り、フィル・ダニエル演じるジミーがそれに対抗してひじょうに危険な状態で踊るというシーンがあった。

66. Get It On – T. Rex (1971)

T・レックスのアルバム「電気の武者」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートでは「ホット・ラヴ」に続き2曲連続の1位、全米シングル・チャートでは最高10位を記録した。アメリカではチェイスというバンドの同名曲と混乱を避けるため、「Bang a Gong (Get It On)」のタイトルでリリースされていた。

グラムロックを代表する楽曲として、印象的なギターリフとマーク・ボランのセクシーなボーカルが特徴である。性的な内容について歌われているのだが、あまりにもポップでキャッチーなのでどぎつくはない。イギリスではこの後も「テレグラム・サム」「メタル・グルー」が1位になったり、他にもトップ10ヒットをいくつも出すのだが、アメリカではこれが唯一のヒット曲であった。

1985年にはロバート・パーマーやデュラン・デュランのメンバーなどによるスーパーグループ、パワー・ステーションがこの曲をカバーして、全米シングル・チャートで最高9位、全英シングル・チャートで最高22位を記録した。この年にはT・レックスのベスト・アルバム「ベスト・オブ・ザ・20センチュリー・ボーイ」がリリースされ、全英アルバム・チャートで最高5位を記録するなど、軽くリバイバルしていたような気もする。

65. Born to Run – Bruce Springsteen (1975)

ブルース・スプリングスティーンのアルバム「明日なき暴走」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高23位を記録した。ブルース・スプリングスティーンにとって、この曲が初の全米トップ40ヒットである。

夢をつかむために田舎を抜け出すのだという若者の野心が歌われると同時に激しいラヴソングにもなっているのだが、ロックンロールのフォーマットを取りながらフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを思わせる臨場感もあって、ひじょうにドラマティックな楽曲である。

この曲が完成はしていたが、まだレコードとしてはリリースされていなかった頃、ライブでの演奏を見た音楽ライターのジョン・ランドーが「ロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」とコラムで書くことになる。

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドが1984年にリリースしたデビュー・アルバム「ウェルカム・トゥ・プレジャードーム」でディオンヌ・ワーウィック「サン・ホセへの道」、エドウィン・スター「黒い戦争」と共にこの曲もカバーしていたのだが、どこまでが本気かよく分からずとても良かった。

64. Going Underground – The Jam (1980)

ザ・ジャムが1980年にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで3週連続1位に輝いた。

当時のサッチャー政権が推し進めていた経済政策に対する批判精神を含みながら、自分自身らしい生き方を主張したアンセミックな楽曲である。

ザ・ジャムはこの後、「スタート!」「悪意という名の街」「ビート・サレンダー」が全英シングル・チャートで1位に輝き、他にも多くのヒット曲を生み出すのだが、全米シングル・チャートには1曲もランクインせず、ポール・ウェラーはザ・ジャムを解散してから結成したザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」で初の全米トップ40入りを果たした。

63. River Deep – Mountain High – Ike & Tina Turner (1966)

アイク&ティナ・ターナーがフィル・スペクターのプロデュースでリリースしたシングルだが、アメリカでは全米シングル・チャートで最高88位と期待されたほど売れず、フィル・スペクターはかなりショックを受けたといわれている。

しかし、イギリスでは全英シングル・チャートで最高3位とヒットしたので良かった。アイク&ティナ・ターナー名義ではあるものの、アイク・ターナーはレコーディングに参加していない。一方、ティナ・ターナーは何度も歌い直しをさせらてたのだという。レコーディングの様子はティナ・ターナーの伝記的映画「TINA ティナ」でも描写されている。

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドとティナ・ターナーのソウルフルなボーカルとの組み合わせがとても良い。ティナ・ターナーは夫のアイク・ターナーから日常的に暴力を振るわれていたことなどで知られるが、この曲では川よりも深く、山よりも高い愛についてエモーショナルに歌っている。

62. Reach Out I’ll Be There – The Four Tops (1966)

フォー・トップスが1966年にリリースしたシングルで、全米、全英、いずれのシングル・チャートでも1位に輝いている。モータウンのヒットメーカーチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドによる楽曲である。

女性が苦難や困難に打ちひしがれている時、何があってもそこに行く男の力強さを、リーヴァイ・スタブスが鬼気迫るテンションで歌っている。イントロが馬の蹄の音のようでもあり、とても良い。

61. Walk on the Wild Side – Lou Reed (1972)

ルー・リードのアルバム「トランスフォーマー」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高16位、全英シングル・チャートで最高10位を記録した。邦題は「ワイルド・サイドを歩け」である。

アンディ・ウォーホル周辺のアンダーグラウンドなシーンにつどうドラァグクイーンなど、実在の人物たちをモデルにルー・リードが書いた楽曲で、デヴィッド・ボウイとミック・ロンドンがプロデュースしている。かなりアンダーグラウンドな内容であるにもかかわらず、キャッチーなコーラスの効果もあってかメジャーにヒットした。

サックスを演奏しているロニー・ロスは、若かりし頃のデヴィッド・ボウイにサックスを教えた人であり、デヴィッド・ボウイはスタジオに自分自身がいることを前もって伝えずにこの楽曲に起用すたという。

1990年にはア・トライブ・コールド・クエストが「キャン・アイ・キック・イット?」でこの曲をサンプリングしていることが話題にもなった。