The 500 Greatest Songs of All Time : 420-411
420. Tutti Frutti – Little Richard (1955)
ロックンロール界の偉大なるレジェンド、リトル・リチャードの最初のヒット曲で、全米シングル・チャートでは最高18位を記録している。
「アワッバッパルバッパワッバンブーン」というように聴こえなくもないフレーズの意味はほよく分からないのだが、ロックンロール史上最もエキサイティングな瞬間の1つであることは間違いないだろう。
リトル・リチャードがまだ売れず皿洗いをして生計を立てていた頃、次から次へと洗うべき食器が運ばれてくる状況にブチ切れて思わず発せられたフレーズだともいわれている。
元々はより性的な内容の曲だったのだが、レコード化するにあたり、歌詞がマイルドに書きかえられたようだ。
419. It’s the End of the World As We Know It (And I Feel Fine) – R.E.M. (1987)
ジョージア州アセンズ出身のオルタナティヴ・ロックバンド、R.E.M.は1983年のデビュー・アルバム「マーマー」が「ローリング・ストーン」誌でマイケル・ジャクソン「スリラー」を抑えて年間ベスト・アルバムに選ばれたことで注目をあつめた。カレッジ・ラジオでひじょうに人気が高いといわれていて、60年代のフォーク・ロックやサイケデリック・ロックなどに影響を受けていたり、一体何を歌っているのか実は英語圏のリスナーにもよく分からない、などともいわれていた。
とはいえ、音楽性がよりポップでキャッチーになるにつれ、オルタナティヴなアティテュードを貫いた状態のまま人気はどんどん上がっていって、1987年のアルバム「ドキュメント」からシングルカットされた「ワン・アイ・ラヴ」はついに全米トップ10入りを果たした。
この曲はその次にシングルカットされたのだが、全米シングル・チャートでの最高位は69位に終わっている。しかし、世界の終わりをテーマにしているようで、きわめて感覚的でボブ・ディランのから影響も感じられるところなどもとても良く、この時点でのR.E.M.の魅力が凝縮されたような内容になっている。
418. One Nation Under a Groove – Funkadelic (1978)
ジョージ・クリントン率いる2つのバンド、パーラメントとファンカデリックがPファンクと呼ばれるサブジャンルの中心的存在であった。ファンカデリックはそのバンド名からして、ファンクでありながらサイケデリックというような感じが伝わってくる。
この曲はアルバム「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」のタイトル曲にしてシングルでもリリースされ、全米シングル・チャートで最高28位を記録した。
ノリとクセの強さが魅力であり、後のポップ・ミュージック界にも大きな影響をあたえた。
417. Monkey Gone to Heaven – Pixies (1989)
アメリカはマサチューセッツ州ボストン出身のピクシーズは、いわゆるギター・ロックバンドの中でも特にユニークな存在であり、バンドそのものがジャンルだといってもけして大袈裟ではないような気がする。まさにポップ・ミュージックの歴史を変えたといえるニルヴァーナのカート・コバーンは、ピクシーズからの影響を明確に表明している。
ヘヴィーでラウドなロックにのせて激しくシャウトしたかと思うと、繊細さを感じさせるところも多分にあったり、轟音と静寂との落差を効果的に用いる手法などもこのバンドの発明だと見なされがちである。たとえばNMB48の渋谷凪咲がダイアンをお笑いの完全体と評するのと同じ意味合いにおいて、個人的にピクシーズはオルタナティヴ・ロックの完全体ではないかと思うわけである。
アルバム「ドリトル」から先行シングルとしてリリースされたこの曲は、環境保護と聖書の数秘術などをテーマにしたなかなか難解なものでもあるのだが、それほど難しくは考えなくてもじゅうぶんに楽しめるポップ感覚が根底にある。
416. Hounds of Love – The Futureheads (2004)
ザ・フューチャーヘッズによるケイト・ブッシュ「愛のかたち」のニュー・ウェイヴ的なカバーで、全英シングル・チャートで最高8位、「NME」では2005年の年間ベスト・シングルに選ばれている。
恋をすることが怖いという気持ちが猟犬の群れにたとえているのだが、様々な犬がバンドメンバーの周りを走り回るミュージック・ビデオは、ロサンゼルスの公園で真夜中から明け方まで撮影されたようだ。
415. Ohio – Crosby, Stills, Nash & Young (1970)
アメリカ軍によるカンボジアへの爆撃に反対する抗議活動を行っている学生たちをオハイオ州兵が銃撃し、4人が殺害されたケント州立大学銃撃事件の報道写真を見て、ニール・ヤングが作詞作曲したプロテスト・ソングである。全米シングル・チャートでは最高14位を記録した。
デヴィッド・クロスビーはこの曲がレコーディングされた後で声を上げて泣き出したといわれているが、レコードにおいても一部、感極まっているようなボーカルを聴くことができる。
414. Hotline Bling – Drake (2015)
かつての恋人からかかってきていた真夜中の電話を思い出し、いまはそれがかかってこなくなったことを嘆くという内容の楽曲で、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。ティミー・トーマス「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥゲザー」がサンプリングされている。
ドレイクの代表曲として知られ、リリース当時から概ね高評価を得ていたのだが、歌詞が性差別的なのではないかとういう批判を受けたりもしている。
ミュージック・ビデオでのドレイクのダンスが印象的で、多くの人々によってパロディー化された。
413. Hurricane – Bob Dylan (1975)
ボブ・ディランのアルバム「欲望」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高33位を記録した。
ボクサーのルービン・ハリケーン・カーターが殺人の冤罪で投獄されたことに抗議するプロテストソングで、レイシズムが激しく糾弾されている。ルービン・ハリケーン・カーターの半生をテーマにした1999年の映画「ハリケーン」でも、サウンドトラックに使用されていた。
412. The Wild Ones – Suede (1994)
スウェードの2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高18位を記録した。
1992年のデビュー以来、イギリスのインディー・ロック界で最も話題のバンドとして知られていたスウェードだが、この頃にはデビューしたばかりのオアシスや音楽性を変化させ大成功したブラーがその座に着いている感じであった。バンドそのものもギタリストでソングライターのバーナード・バトラーが脱退するなど、苦境に立たされていたといえる。
「ドッグ・マン・スター」はセールスこそデビュー・アルバムには及ばなかったものの、クオリティーは高く評価され、特にこの曲はフロントマンのブレット・アンダーソン自身もひじょうに気に入っている。
411. Praise You – Fatboy Slim (1998)
ファットボーイ・スリムのアルバム「ロングウェイ・ベイビー!!」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで1位に輝いた。
カミール・ヤーブロウ「テイク・ヨー・プレイズ」をはじめ、オーディオメーカーのデモンストレーション用アルバム、ディズニーの「イッツ・ア・スモール・ワールド」、アニメシリーズ、スティーヴ・ミラー・バンド、トム・フォガティなど、様々なレコードからのサンプリングが使用されている。
スパイク・ジョーンズとロマン・コッポラによるミュージック・ビデオは架空のダンス集団によるフラッシュモブ的なパフォーマンスをフィーチャーしたユニークなもので、MTVビデオ・ミュージック・アワードではいくつかの賞を受賞している。