The 500 Greatest Songs of All Time : 250-241
250. I Can See for Miles – The Who (1967)
ザ・フーのアルバム「セル・アウト」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高10位、全米シングル・チャートでは最高9位を記録した。ピート・タウンゼントはこの曲にひじょうに自信があったため、イギリスで思ったよりも売れず悔しい思いをしたという。一方、アメリカでは意外にもこの曲がザ・フーにとって唯一のトップ10ヒットとなっている。
邦題は「恋のマジック・アイ」で、恋人と離れていても行動はすべて見えている、というようなことが歌われている。ピート・タウンゼントが当時付き合っていて、後に結婚、離婚する女性に対する思いがモチーフになっているようだ。
オーバーダビングが繰り返され、当時としてはひじょうにヘヴィーなサウンドになっているのだが、それゆえにライブでの再現は難しかったという。ポール・マッカートニーはピート・タウンゼントがこの曲について語っている雑誌のインタヴューに触発されて、「ヘルター・スケルター」を書いたといわれている。
249. Everyday Is Like Sunday – Morrissey (1988)
モリッシーのソロ・デビュー・アルバム「ビバ・ヘイト」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。
イギリスの寂れたリゾート地のイメージに核戦争後の世界を描いたネヴィル・シュートの小説「渚にて」からインスパイアされた要素を加えたシニカルな感じが実にモリッシー的であり、そのキャリアにおいて最も優れた楽曲と評価されることも少ない。
この曲で描かれている日曜日はけして楽しげではなく、ただただ退屈で寂れていて、すべての終わりだけを待ちわびているようである。
248. Connection – Elastica (1994)
エラスティかの3枚目のシングルで、全英シングル・チャートで最高17位、全米シングル・チャートでは最高53位を記録した。
バンドの中心メンバーでこの曲のソングライターでもあるジャスティーン・フリッシュマンはスウェードの元メンバーでブレット・アンダーソンと付き合っていたが、後にブラーのデーモン・アルバーンと付き合い、ブリットポップのロイヤルカップルなどとも呼ばれたりする。
この曲はワイヤー「スリー・ガール・ルンバ」にひじょうに似ていることでも話題になったが、他の曲も含め、エラスティカの音楽性は1970年代後半のニュー・ウェイヴから強く影響を受けたものであった。
当初はNWONW(ニュー・ウェイヴ・オブ・ニュー・ウェイヴ)なるムーヴメントとの中心的なバンドとされてもいたが、シーンそのものそれほど盛り上がらなかったので、いつの間にかブリットポップのバンドということになっていたような気がする。
この曲も収録したデビュー・アルバム「エラスティカ」は全英アルバム・チャートで1位に輝いた。
247. A Hard Day’s Night – The Beatles (1964)
ビートルズが1964年7月にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで3週連続、全米シングル・チャートで2週連続して1位に輝いた。
映画「ビートルズがやって来る!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の主題歌で、楽曲にも同じ邦題がつけられていたのだが、2000年の再上映時にいずれも原題に近い「ハード・デイズ・ナイト」に変更されている。この邦題を考案したのは、映画会社社員時代の水野晴郎である。
当時のビートルズはもちろん多忙をきわめていたと思われるのだが、リンゴ・スターが今日は忙しい日だったと言いかけて、実はもうすでに夜になっていることに気づいた時に発した、文法的に正しくはないのだがなんとなくおもしろい言い回しがタイトルとして採用されたということである。
246. Kick Out the Jams – MC5 (1969)
MC5のデビュー・アルバムでライブ・アルバムの名盤としても知られる「キック・アウト・ザ・ジャムス」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高82位を記録した。
ボーカルのロブ・タイナーが「キック・アウト・ザ・ジャムス、マザーファッカーズ!」とシャウトしてから、ヘヴィーでアグレッシヴで最高にカッコいい演奏がはじまるのだが、ラジオでかけるにはふさわしくないと判断され、クリーン・バージョンでは「マザーファッカーズ!」のところが「ブラザーズ&シスターズ!」に変えられていたとのこと。
その内容からこのレコードを扱おうとしないレコード店を批判する広告を掲載しては抗議されるなどして、MC5はレーベルから契約を切られることになる。その後、移籍したもののあまり売れなかったようだ。
バンド名はモーター・シティ5の略であり、地元デトロイトにちなんでいる。そして、この曲のタイトルはデトロイトにやって来た有名アーティストが演奏をして、MC5はそのオープニングアクトを務めるのだが、それほど良くないのではないかと感じた時に罵倒するために使っていた言葉だという。
245. Celebrity Skin – Hole (1998)
ホールのアルバム「セレブリティ・スキン」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高19位、全米シングル・チャートでは最高85位を記録した
中心メンバーのコートニー・ラヴは夫のカート・コバーンが亡くなり、その直後にリリースされたホールのアルバム「リヴ・スルー・ディス」が高評価を得るなどした後、映画に出演するなどセレブリティ的な生活をも送るようになっていた。その辺りがホールの久々のアルバムにも反映していたように思える。
アルバムの最初の何曲かを聴いた時点では、これは完璧なポップスのアルバムになっているのではないか、と思えるほどに、聴きやすさの中に卓越したポップ感覚が冴えわたる素晴らしい楽曲の数々であった。
個人的にはこの後にシングルカットされた「マリブ」の方がずっと好きだったのだが、2022年のNetflix映画「リベンジ・スワップ」のサウンドトラックで使われているのを聴いて、この曲の良さを再認識した。
244. The Killing Moon – Echo & the Bunnymen (1984)
エコー&ザ・バニーメンのアルバム「オーシャン・レイン」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。
中心メンバーのイアン・マッカロクはビッグマウスでも知られていたが、特にこの曲については自信ありげであった。
歌詞はある朝、急に降りてきがようだが、メロディーはデヴィッド・ボウイ「スペース・オディティ」を逆回転させたものを参考にしたが、まったく似ていないものになったという。また、アレンジにはウィル・サージェントとレス・パティンスンがロシア旅行中に耳にしたバラライカの影響も受けているようだ。
243. Little Red Corvette – Prince (1982)
プリンスのアルバム「1999」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高6位を記録した。これがプリンスにとって初の全米トップ10ヒットとなった。
ドラムマシンとシンセサイザーとプリンスの個性的なボーカルと、音楽的にはひじょうにユニークなのだが、歌詞には自動車を性的な対象に例えるというポップ・ミュージックにおける伝統的な手法が用いられている。
1979年リリースも「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が全米シングル・チャートで最高11位のヒットを記録してはいたものの、それ以降は批評家の評価は高いのだがいまひとつヒットには至らないという状態が続いていたプリンスは、この曲のヒットをきっかけにメインストリームにおけるポップスターとしても知られるようになっていった。
242. Bennie and the Jets – Elton John (1973)
エルトン・ジョンのアルバム「黄昏のレンガ路」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。邦題は「ベニーとジェッツ(やつらの演奏は最高)」である。
ヘルムート・ニュートンの写真のような未来的な架空のバンドをイメージした曲で、あたかもライヴ・レコーディングであるかのような演出がされている。
エルトン・ジョンはどうせヒットしないと思い、この曲のシングルカットには反対だったのだが、実際にはアメリカでひじょうによく売れた。特にソウル・ミュージックのリスナーにも好んで聴かれ、人気テレビ番組「ソウル・トレイン」にも白人のメジャーなアーティストとしては初めて出演し、この曲と「フィラデルフィア・フリーダム」をパフォーマンスした。
エルトン・ジョンのファルセットのボーカルは、フォー・シーズンズのフランキー・ヴァリを参考にしたものだという。
241. Brass in Pocket – Pretenders (1979)
プリテンダーズのデビュー・アルバム「愛しのキッズ」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで1位、全米シングル・チャートで最高14位を記録した。
中心メンバーのクリッシー・ハインドはアメリカ生まれだが、20代の頃にロンドンに移住し、「NME」の記者として活動したり初期のセックス・ピストルズの近くにいたりもした。
この曲ではクリッシー・ハインドのクールでありながら力強くもあるボーカルの魅力がじゅうぶんに発揮されていて素晴らしい。
ソフィア・コッポラ監督作品で2003年公開の映画「ロスト・イン・トランスレーション」において、スカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットが東京のカラオケボックスでこの曲を歌うシーンがまたとても良い。
次回につづく