The 500 Greatest Songs of All Time : 20-11

20. 99 Problems – Jay-Z (2003)

ジェイ・Zのアルバム「ザ・ブラック・アルバム」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高30位、全英シングル・チャートでは最高12位を記録した。

リック・ルービンがプロデュースを手がけた久々のヒップホップ曲で、ロック的なサウンドとジェイ・Zのラップがパワフルな相乗効果を生んでいる。

元々はアイス・Tのアルバムに収録された曲がベースになっているが、ジェイ・Zのバージョンでは批評家やアンチなどに対してブチ切れていたりしてテンションが高い。

ジェイ・Zがグラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーを務めることになった時に、オアシスのノエル・ギャラガーが苦言を呈したりしていたのだが、ジェイ・Zはオアシスの「ワンダーウォール」をカバーした後にこの曲を演り、それ以降も素晴らしいパフォーマンスで盛り上げ、最高であった。

19. I Feel Love – Donna Summer (1977)

ドナ・サマーのアルバム「アイ・リメンバー・イエスタデイ」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高6位、全英シングル・チャートでは1位に輝いた。

ジョルジオ・モロダーによるムーグ・シンセサイザーを効果的に用いた未来的なサウンドとドナ・サマーの官能的なボーカルがミックスされた画に期的な楽曲であり、後のポップ・ミュージック界に多大な影響を与えた。

この曲を初めて聴いたブライアン・イーノが未来の音楽だとデヴィッド・ボウイに興奮気味に話したというエピソードもある。

この後、ディスコの女王として「ホット・スタッフ」「バッド・ガール」などヒット曲を連発する。

18. Crazy in Love – Beyoncé feat. Jay-Z (2003)

ビヨンセのソロ・デビュー・アルバム「デンジャラスリィ・イン・ラヴ」から先行シングルとしてリリースされ、全米、全英いずれのシングル・チャートでも1位に輝いた。

シャイ・ライツ「アー・ユー・マイ・ウーマン」からサンプリングしたゴージャスなホーンのサウンドや、ビヨンセと交際中で後に夫となるジェイ・Zのラップなどをフィーチャーした、アップリフティングな楽曲である。

デスティニーズ・チャイルドのメンバーとしてすでに大人気だったビヨンセの、ソロ・アーティストとしては最初のヒット曲で、この後の活躍によって、21世紀で最も重要なアーティストの1人とも見なされるようになっていく。

17. Love Will Tear Us Apart – Joy Division (1980)

ジョイ・ディヴィジョンが1980年にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高13位を記録した。

タイトルはキャプテン&テニールのヒット曲「愛ある限り」(Love Will Keep Us Together)を反対の意味にしたものであり、結婚生活が崩壊しかけていたイアン・カーティスの当時の心理状態を反映している。

絶望的な暗さの中に不思議なポップ感覚があるこの曲がヒットする直前に、イアン・カーティスは自らの命を絶ち、バンドは解散することになる。残されたメンバーたちはニュー・オーダーを結成した。

16. Like a Rolling Stone – Bob Dylan (1965)

ボブ・ディランのアルバム「追憶のハイウェイ61」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。

フォークソングは社会的なテーマを取り上げるなどして、大学生を中心とした知的な人たちに人気があり、それに対しロックはまだラブソングなどがほとんどであった。

フォーク界でカリスマ的な人気となっていたボブ・ディランはエレキギターを導入するなど自らの音楽にロック的な要素を取り入れていくが、それは熱心なフォークファンからは商業主義への迎合であり、裏切り行為だと捉えられた。

しかし、これによりボブ・ディランの音楽はより幅広いリスナーにアピールするようになり、この曲の大ヒットにも繋がった。上流階級の女性の転落というモチーフを用いて社会変革の気分を切り取ったようでもあるこの曲は、やや難解で知的な内容を持つメッセージソングでもメインストリームでのヒット曲になりうることを証明した。

15. What’s Going On – Marvin Gaye (1971)

マーヴィン・ゲイのアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。当時の邦題はアルバム、楽曲ともに「愛のゆくえ」であった。

モータウンの人気アーティストとしてヒット曲を次々と生み出していたマーヴィン・ゲイはよくデュエットをしていた女性シンガー、タミー・テレルが脳腫瘍で亡くなったことにショックを受け、一時的に音楽活動を休止することになる。

その間に社会情勢の変化やベトナム戦争から復員してきた弟の話を聞くなどしているうちに、もっと社会的な音楽をやるべきなのではないかと思い、この曲が生まれたという。

洗練された美しいサウンドと強いメッセージ性が特徴のこの曲は当時の時代背景にもマッチして、たちまち大ヒットになるのだが、モータウンの社長、ベリー・ゴーディは発売に反対していたようだ。

社会の混迷がけして過去のこととはならない限り、この曲はメッセージソングとして有効であり続けるように思える。シンディ・ローパーがヒットさせたのをはじめ、様々なカバー・バージョンが存在するが、日本語のものとしては、いとうせいこうのアルバム「MESS/AGE」に収録された「WHAT’S GOING ON 〜WHAT’S GOING?」が秀逸である。

14. Like a Prayer – Madonna (1989)

マドンナのアルバム「ライク・ア・プレイヤー」からの先行シングルで、アメリカやイギリスをはじめ、様々な国のシングル・チャートで1位に輝いた。

「ライク・ア・ヴァージン」の大ヒット以降、時代を代表するポップ・アイコンにしてトップ・アーティストとしてヒット曲を出し続けていたマドンナだが、この曲ではメインストリームのポップソングであることを原則としながらも、ゴスペルの要素を取り入れたり、ボーカルパフォーマンスもよりソウルフルでエモーショナルなものになっている。

当時、コカコーラとペプシコーラが広告戦略において多額に契約金で有名アーティストを起用することが、コーラ戦争として話題になっていて、ニール・ヤング「ディス・ノーツ・フォー・ユー」やビリー・ジョエル「ハートにファイア」の歌詞でも取り上げられていた。

マドンナもペプシコーラと契約を結び、この曲のミュージック・ビデオが独占先行放映されたりもするが、マドンナが燃えさかる十字架の前で踊ったり、教会でアフリカ系アメリカ人的なキリストと思われる人物と愛を交わしているようなシーンが宗教団体などから批判を浴び、ボイコット運動なども起こった結果、放送禁止となり契約も解除された。

13. Once in a Lifetime – Talking Heads (1980)

トーキング・ヘッズのアルバム「リメイン・イン・ライト」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高14位を記録したが、全米シングル・チャートでは100位入りを逃している。

ブライアン・イーノがプロデュースしたアルバムは、ニュー・ウェイヴにアフロビートを取り入れたという点でひじょうにエポックメイキングであり、その後のポップ・ミュージックに与えた影響もひじょうに大きい。

どこか実存的で哲学的な歌詞を、教会の牧師による説教をパロディー化したように歌うデヴィッド・バーンのボーカル・パフォーマンスがまた実にユニークである。

12. Billie Jean – Michael Jackson (1982)

マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」からシングルカットされ、アメリカやイギリスなどのシングル・チャートで1位に輝いた。

ジャクソン5のメンバーとしてデビューした頃から大人のソロ・アーティストとしてクインシー・ジョーンズがプロデュースしたアルバム「オフ・ザ・ウォール」やシングルカット曲を大ヒットさせるまで、すでに大人気だったわけだが、マイケル・ジャクソンはそれには満足せずに、ディスコやソウル・ミュージックのファンだけではなく、より幅広いポップ・ミュージック全般のリスナーにアピールすることを目的に「スリラー」を制作したともいわれる。

そして、マイケル・ジャクソンを後に「キング・オブ・ポップ」と呼ばれるレベルの超ビッグスターの座に押し上げるきっかけとなったのがこの曲である。自分の子供の父親はあなただと言い張るストーカー的なファンをテーマにしたこの曲のビデオは、MTVでもヘヴィーローテーションされ、歌い踊るマイケル・ジャクソンの姿を大衆の意識に強く印象づけた。

1981年の夏にアメリカで開局した音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVはこの時点でかなりのブームになっていて、ヒットチャートにも影響を及ぼしていた。イギリスの主にニュー・ウェイヴやシンセポップのアーティストたちが以前からビデオ制作を積極的に行っていたため、MTVでもよくオンエアされ、それによって第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが起こった。

当初は白人アーティストのビデオしかほとんどオンエアされていなかったのだが、マイケル・ジャクソンのこの曲や「今夜はビート・イット」のビデオあたりから変化が起こり、プリンスやライオネル・リッチーなどのビデオもよくオンエアされるようになった。

「スリラー」からは収録された9曲中7曲がシングルカットされ、そのすべてが全米シングル・チャートでトップ10入りを果たしたが、これも当時としてはかなり異例のことで、後にブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」やジョージ・マイケル「フェイス」のように、同じアルバムから何曲もシングルカットする動きに影響を与えたように思える。

この曲とカルチャー・クラブ「君が完璧さ」、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」がトップ3だった週の全米シングル・チャートが、時代の変わり目として個人的にはひじょうに強く印象に残っている。

11. Hey Ya! – OutKast (2003)

アウトキャストのアルバム「スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートでは最高3位を記録した。

とはいえ、「スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ」はビッグ・ボーイの「スピーカーボックス」とアンドレ・3000の「ザ・ラヴ・ビロウ」というソロ・アルバムの2枚組であり、この曲は「ザ・ラヴ・ビロウ」に収録されていたため、実質的にはアンドレ・3000のソロ曲だということができる。

アウトキャストはヒップホップのアーティストなのだが、この曲はポップスやソウル・ミュージックの他に、ニュー・ウェイヴ的な感覚もあり、クロスオーバー的な大ヒットを記録した。

アンドレ・3000が1人何役をも演じるミュージック・ビデオもひじょうに楽しく、個人的には生まれて初めて買った洋楽のレコードであるポール・マッカートニー「カミング・アップ」のビデオを思い出すようなところもあった。