邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:70-61

70. 花火/aiko (1999)

aikoの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高10位を記録した。これがaikoにとって初のトップ10ヒットである。

「夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして こんない好きなんです 仕方ないんです」というわけで、真夏の恋心についてスペクタクルな表現すら用いて歌った名曲である。

とはいえ真相は、プロモーションなどで多忙になって、毎年友達と行っていた花火大会に行けなくなったことがきっかけで書かれた曲だとのこと。

一向に成就する見込みのない恋愛を上がらない花火にたとえ、しかもそれをポップでキャッチーかつわりと高度な音楽にのせて歌っているところがいま思うとかなりすさまじかったのだな、と思わずにいられない。

69. チェリー/スピッツ (1996)

スピッツの13枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、1996年の年間シングルランキングではMr.Children「名もなき詩」、globe「DEPARTURES」、久保田利伸 with ナオミ・キャンベル「LA・LA・LA LOVE SONG」に次ぐ4位の大ヒットを記録した。

「『愛してる』の響きだけで 強くなれる気がしたよ」というのは本当に素晴らしいフレーズで、あーおそらくそうなんだろうな、と思わざるをえないのだが、「君を忘れない」とか「いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい」などと歌われてもいるように、すべて終わってしまった関係性について歌われているのであろう。

それにしても、このいわゆる多幸感などと呼ばれる類いのそれである。この感覚を想像することはできるし、おそらく極度にダウンサイズしたそれならば知っているような気もする。「ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめて」というところに過剰に感情移入して、のたうち回っている昨今である。

68. ラブリー/小沢健二 (1994)

小沢健二のアルバム「LIFE」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。

フリッパーズ・ギターのライトなリスナーでカジュアルなファンであることを自認はしていたのだが、小沢健二がこの時期にこうなってしまった、つまり「渋谷系」の王子様的なアレには戸惑いを隠しきれず、個人的にはまったくもってノリ切れていなかったし、特にこの曲についてはフリッパーズ・ギターなんて絶対に聴いていなかったに違いない会社の先輩がパチンコの景品で「LIFE」のCDをもらったとかで知っていてカラオケで歌い、「Oh baby」のところで王貞治の一本足打法のジェスチャーをしていたりして、思えば遠くへきたものだ、と強く感じさせられた。

ベティ・ライト「クリーン・アップ・ウーマン」に対するオマージュだとかそういう話はまあわりとどうでもよくて、このポジティブで開かれた感じ、生命力で満ち溢れているところとかが眩しすぎて当時は受け止めきれなかったのだが、やはり「Life is a showtime」とか「Life is coming back」というような感覚になれることはとても素晴らしいことなわけで、そのきっかけとなった人にそのことを伝えた後で、この曲の歌詞に「君と僕とは恋におちなくちゃ」というフレーズがあったことに気づき、これはかなりいらんことをしたのではないか、と本格的に動揺する、というようなことを日常的にやったりもしているので、もういろいろダメなのではないかという気分にはなっているのです(知らんがな)。

67. 卒業/斉藤由貴 (1985)

斉藤由貴のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高6位を記録した。

この年には斉藤由貴だけではなく、菊池桃子、尾崎豊、それから倉沢淳美も「卒業」というシングルをリリースしていて、それぞれまったく別の曲であった。そして、この年の春に私は北海道旭川市の高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめている。

というわけで、個人的な思い出補正をまったく入れないことはほとんど不可能なのだが、もちろん「東京で変わってくあなた」に自分自身を重ねまくっていた。そのわりには紋別の看護学校に進学したTさんとは文通し続けていたわけだが。

それはそうとして、80年代中盤ならではのデジタル感覚、しかもそれがとても優しいところがたまらなく良く、卒業式で泣かないドライな主人公の感覚も斉藤由貴のボーカルスタイルにマッチしていてとても良い。これが別にそれほど何とも思っていない相手に対してならばまあ分かるのだが、在学時にわりとときめいていたことなどもカミングアウトされたりしているので、おそらく女の子には永遠にかなわないのだろうな、という思いを強くさせられる。

66. 感電/米津玄師 (2000)

米津玄師のアルバム「STRAY SHEEP」からの先行トラックとしてリリースされ、オリコン週間デジタルシングルランキングで1位、週間合算シングルランキングで最高3位を記録した。

ポップ・ミュージックは基本的に若者向けである方が個人的には健全だと考え、それゆえにいまどきの音楽についてはもちろんいまどきの若者と比較して受容する能力は著しく劣っているのだろうと自覚はしているのだが、この米津玄師というアーティスト規格外的な実力と存在価値だけは間違いがないと確信ができる。

「稲妻のように生きてたいだけ お前はどうしたい? 返事はいらない」というのはまさにそうだし、「正論と暴論の分類さえ出来やしない街を 抜け出して互いに笑い合う 目指すのはメロウなエンディング」にはただただ脱帽である。

65. 水星 feat. オノマトペ大臣/tofubeats (2011)

tofubeatsが2011年にリリースした楽曲だが、その後、いろいろなアーティスト達にカバーされ、モダンクラシック化しているといえる。iTunesシングル総合チャートでは1位に輝いているようだ。

この先めちゃくちゃ良くなることはおそらくもう無いのだが、できるだけ終わりなき日常を充足させながら、死ぬまでなんとかやっていこう、というようなモードになんとなく寄り添うような感じのビートや加工されたボーカルが心地よいのだが、あくまで個人的な感想である。

「昼過ぎ新宿でも行こうか」に、これは現実の話だったのだとハッとさせられるのだが、不承不承生きていく中にでもまるで奇蹟ではないかと誤解してしまうぐらいに素晴らしい出来事が起こることもあるので、とりあえずまだ死なない方がいいのかな、というような気はする。

64. MARIONETTE/BOØWY (1987)

BOØWYの6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングのみならず、「ザ・ベストテン」でも1位に輝いていたので本当にすごい。

とにかく当時、中高生を中心にカリスマ的な人気があって、後のバンドブームにもおそらく大きく影響していたと思えるのだが、個人的には当時、大学生であり、ロックではあるのだがなんだか歌謡曲的なところもあるところが何だかそれほど気に入らず、ボーカルにいたっては西城秀樹みたいではないか、というようなことを感じたりはしていた。

しかし、時を経て思うのは、これこそが日本のロックとしてのオリジナリティーであり、実際のところとても良い曲なのではないか、ということである。

63. GROOVE TUBE /フリッパーズ・ギター (1991)

フリッパーズ・ギターの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高22位を記録した。

「恋もキスもセクシーも少し待って君と僕は そしてDOWN DOWN DOWN そう思うだろう?」というわけで、音楽的にはダンスビートの導入が注目されたが、これは当時のイギリスのインディー・ロック界におけるインディー・ダンスだとかマッドチェスターの動きに呼応してもいて、このあたりにさらに信頼が持てた。

もはやJ-POPのメインストリームとはほとんど関係がないところに1つの市場を築きあげたところがフリッパーズ・ギターの1つの功績であり、それはやがて「渋谷系」へと発展していった(ような気もするのだが、それほど単純ではないような気もする)。

62. 行くぜっ!怪盗少女/ももいろクローバー (2010)

ももいろクローバーのメジャーデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。

いわゆるアイドル戦国時代において、AKB48グループやハロー!プロジェクトと並び、一大勢力として知られていたスタダ系ことスターダストプロモーション所属グループのもちろん筆頭である(現在はももいろクローバーZ)。

音楽的にもひじょうに評価が高く、ヒャダインこと前山田健一が提供したこの曲も、情報量が圧倒的でありながらポップでキャッチーで、「週末ヒロイン」を自称するグループの自己紹介的な内容にもなっていてとても良い。

61. アジアの純真/PUFFY (1996)

PUFFYのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。第38回日本レコード大賞において、最優秀新人賞、優秀作品賞を受賞してもいる。

脱力的なムードも一般大衆から支持されがちだった大貫亜美、吉村由美の2人組だが、この曲は井上陽水のナンセンス気味な歌詞と奥田民生の趣味的な作曲・編曲センスがフルに発揮されているようでとても良い。

バブルはもうとっくに崩壊していたものの、まだまだ呑気だった当時の日本の一般大衆だったが、この翌年あたりから目に目て本格的にしんどくなりはじめたような気もする。その直前のおそらくもう二度とは戻れぬ自由な気分がじゅうぶんに味わえるヒット曲という印象である。