邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:440-431
440. 渡良瀬橋/森高千里(1993)
森高千里の17枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。
「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でのグランプリ受賞をきっかけに芸能界入りして、糸井重里とCMで共演するが、それ以前には九州女学院在学中にバンドでドラムスやベースを担当していた。
南沙織「17才」をユーロビート化したカバーバージョンをミニスカートの衣装で歌ったり、その他、コスプレ的衣装やユニークな歌詞、「非実力派宣言」というアルバムタイトルなどで人気を得るが、この頃にはよりオーソドックスな良い曲を歌うと共に、このシングルからはドラムスなどの楽器演奏も行うようになった。
栃木県足利市に実在する渡良瀬橋周辺の情景をイメージして、すでに終わってしまった恋を懐かしむという内容になっている。森高千里は大阪生まれ、熊本育ちだが、この曲では主人公が渡良瀬橋がある街の出身という設定になっていて、かつて恋人と訪れた際に、「きれいなとこで育ったね」「ここに住みたい」などと言われたことなどが回想される。
この曲のヒットによって、森高千里は足利市から感謝状を贈られ、東武伊勢崎線やJR両毛の足利駅ではこの曲が列車接近メロディーや発車メロディーとして使用されるようになった。そして、渡良瀬橋が見える場所には、この曲の歌碑が建てられている。
439. さらば恋人/堺正章(1971)
堺正章がザ・スパイダース解散後にソロ・アーティストとして最初にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。作詞は北山修、作曲・編曲は筒美京平である。この年の日本レコード大賞では、大賞が尾崎紀世彦「また逢う日まで」、歌唱賞が尾崎紀世彦「また逢う日まで」と渚ゆう子「さいはて慕情」、大衆賞が堺正章「さらば恋人」、新人賞が南沙織「17才」と、主要部門を受賞したすべての楽曲が筒美京平による作品であった。
明石家さんまが後にものまね番組でこの曲を歌い、その壊滅的な歌唱力に司会者や審査員などが一斉にズッコケていた記憶がある。ザ・スパイダースのことなどは幼すぎてよく知らなかった1970年代の子供たちにとって、堺正章とはマチャアキの愛称で知られる、テレビに出ているとても面白い人で、たまに真面目な歌も歌っている、という印象であった。一般大衆的にはなんといっても、銭湯を舞台にした大ヒットテレビドラマ「時間ですよ」のイメージが強かったと思われる。正月に放送されていた「新春かくし芸大会」においても毎年、様々な芸を披露して、常に高評価を受けていたような気がする。
個人的には子供向けのバラエティー番組「ハッチャキ!!マチャアキ」が大好きで、将来はマチャアキのようにテレビで面白いことをやるような人になりたいのだが、あれは何という職業なのかと親に訊ねたところ、コメディアンという答えが返ってきて、それで初めてその言葉を知った記憶がある。
438. いつかここで会いましょう/カーネーション(2016)
カーネーションの16作目のアルバム「Multimodal Sentiment」に収録されている曲で、先行でミュージック・ビデオも公開されていた。直枝政広を中心メンバーとして1981年に結成された耳鼻咽喉科というバンドが後に改名してカーネーションとなり、最初のレコードはナゴムレコードからのシングル「夜の煙突」であった。後に森高千里のアルバム「非実力派宣言」に参加した際に、この曲もカバーしている。
1994年にコロムビアレコードに移籍し、アルバム「EDO RIVER」をリリースするのだが、表題曲でもある「Edo River」は「あぁ 東京から少しはなれたところにすみはじめて ゴメン ゴメン ゴメン ゴメン」のフレーズも印象的なとても良い曲である。小沢健二「LIFE」の10日前に発売されていた。
この曲は「Edo River」の続編的な内容であり、「時はただ痛みを鎮めてくれるけど 忘れちゃだめだ」というフレーズなどが深く刺さりまくる。コーラスで川本真琴が参加している。かなりベテランで大人のバンドであり、音楽的にも円熟味を増してもいるのだが、常に迷い続けていて色気も感じられる。アルバムタイトルは直訳すると「多様な情緒」で、1曲目に収録されているのが「まともになりたい」であるところなども、信用ができる。
個人的にはまったく望まないのだが不可避的な別れに直面せざるを得なかった頃に、世田谷区内の公園でストロング缶チューハイを片手に、サニーデイ・サービス「桜 super love」とこの曲を泣きながら聴きがちだったことが、痛々しく思い起こされる。
437. イン・ザ・スペース/スペクトラム(1979)
スペクトラムは後に代官山プロダクションを設立した新田一郎などによって結成されたブラスロックバンドで、かなりインパクトの強いコスチュームを着て、大所帯でテレビの歌番組などに出演していた印象が強い。活動期間はそれほど長くはなかったのだが、当時の日本のポップ・ミュージックシーンに鮮烈な記憶を残してはいたような気がする。元々はキャンディーズのバックバンドにいた人などが、中心となっている。1980年のシングル「SUNRISE」はプロレスラー、スタン・ハンセンの入場曲として使われていたりもしたので、聴けばあの曲がそうだったのか、思われることもあるような気がする。
ここで取り上げる「イン・ザ・スペース」は1979年の秋にシングルとして発売され、翌年のアルバム「OPTICAL SUNRISE」にも収録されていた。本人たちも出演していたテクニクスのステレオ、THE SPACEのテレビCMでも使われていて、個人的には旭川で中学生だった頃にステレオの試聴会への招待状が自宅に届き、参加するとスペクトラムのライブのチケットがもらえたことが思い出される。それで、初めて行ったライブが旭川市公会堂でのスペクトラムになったのだが、その後、ホーンやブラスが入った曲がやたら好きになりがちな趣味嗜好に影響を与えたかもしれない。
436. 東京/きのこ帝国(2014)
日本の首都である東京をテーマやタイトルにした曲はいくつもあるのだが、2000年代以降となると、きのこ帝国のこの曲の印象が強い(くるり「東京」は1998年のリリースである)。インディーズからのリリースで、オリコン週間シングルランキングにもランクインしていないのだが、オルタナティヴ・ロック的なサウンドと日常的な歌詞が特徴的なとても良い曲である。
1980年にヒットした沢田研二「TOKIO」やイエロー・マジック・オーケストラ「テクノポリス」(最初のリリースはいずれも1979年だが)のきらびやかで未来的なイメージとはかなり異なり、「日々あなたの帰りを待つ ただそれだけでいいと思えた」というような記憶と情緒がよく似合う街としての「東京」がヴィヴィッドに描写されているように思える。
435. 迷い道/渡辺真知子(1977)
渡辺真知子のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」で最高6位のヒットを記録した。「現在・過去・未来」というフレーズからはじまる歌詞にインパクトがあり、「迷い道 くねくね」で終わる。関係ないのだがかつて「夜はクネクネ」というテレビ番組が関西ローカルで放送されていて、北海道のテレビ局でも深夜に放送していることがあった。あのねのねの原田伸郎とアナウンサーの角淳一が一般人と話しながらただ歩くだけという内容であり、その雰囲気にとても良いものを感じていた。
1978年にはニューミュージックがかなり本格的に流行していて、ヒットチャートにも大きく影響していたのだが、渡辺真知子がこの曲で初出場を果たした「NHK紅白歌合戦」においても、庄野真代「飛んでイスタンブール」、世良公則&ツイスト「あんたのバラード」、サーカス「Mr.サマータイム」、さとう宗幸「青葉城恋唱」、渡辺真知子「迷い道」、原田真二「タイム・トラベル」と、いずれも初登場のニューミュージック系アーティストによるパフォーマンスが6曲続いた。
当時、西城秀樹と斉藤こず恵が「ヒデキとこず恵の楽しいデート」というラジオ番組をやっていて、北海道のラジオ局でも放送していたのだが、この曲をかける前に「まるで喜劇じゃないの」という歌詞について、あれは「喜劇」だったか「悲劇」だったかという話になって、斉藤こず恵が「ヒデキじゃない?」などと言っていたのが微笑ましくてとても良かった。
434. 赤道小町ドキッ/山下久美子(1982)
山下久美子は「男なんてシャボン玉」のフレーズが印象的な「バスルームから愛をこめて」で1980年にデビューして、新宿ルイードでのライブが話題になったりもしていた。同じく1980年に「アンジェリーナ」でデビューした佐野元春が「So Young」を提供して、後にシングル「スターダスト・キッズ」のB面でセルフカバーもしていた。ライブでは観客を座席から立ち上がらせるほど熱狂させることから、「総立ちの久美子」などと呼ばれるようにもなる。
この曲は山下久美子にとって6枚目のシングルとしてリリースされ、カネボウ化粧品のキャンペーンソングに使われていた。夏の化粧品CMソングらしいポップでキャッチーなロックチューンなのだが、テクノ歌謡的な風味もまぶされているところがとても良い。オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」で最高3位の大ヒットを記録した。「ザ・ベストテン」に出演した際には、本物の象の背中にまたがって歌ったりもしていた。
作詞が松本隆で作曲が細野晴臣なのだが、この翌年にはやはりカネボウ化粧品のCMソングであったイエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」が大ヒットする。それでこの「胸キュン」というフレーズなのだが、最初に使ったのは山下久美子なのではないかとも言われていて、ファンクラブの名称が「胸キュンClub」だったりもする。
433. はじまるふたり/さいとうまりな(2014)
学習院大学在学時に「ミスFLASH2011」を受賞、「カフェで逢えちゃう美人シンガー」としても知られていたというさいとうまりなが卒業後にリリースしたミニアルバム「はじまるふたり」の表題曲で、堂島孝平が作詞・作曲を手がけている。シティ・ポップ的なサウンドとまっすぐでやわらかいボーカルがとても良いのだが、恋がはじまったばかりのときめきを歌詞にあるように「瞬間冷却パック」したかのような楽曲がとにかく素晴らしい。
個人的には2016年ぐらいにストリーミングサービスのおすすめに出てきたので初めてこの曲を知ったのだが、以来ずっと気に入り続けている。「確かなこと 確かなこと 確かな鼓動感じてたい 一緒に重ねたい 甘美な感嘆符つきで」という天才的に素敵なフレーズの後で、「不確かなことも感じてたい」とも補足される。それで、その後の「Uh…」がまたとても良い。個人的には改札口の前で前髪を直すくだりが特に気に入っている。この曲を再生してイントロが流れた瞬間に、まるでレモンスカッシュのような気分が広がり、歌がはじまるとうっとりと感情移入してしまう。
432. 常夏リターン/lyrical school(2018)
ヒップホップアイドルユニットのリリスクことlyrical schoolが2018年にリリースして、オリコン週間アルバムランキングで最高10位を記録したアルバム「WORLD’S END」の収録曲で、ミュージックビデオも制作された。スチャダラパーのBoseとSHINCO、かせきさいだぁによる提供曲で、「男子たちとかく ついつい流されちまうとか言うけどハッキリ言っとく 女子なら最優先は美白」と、スチャダラパー「サマージャム’95」に対する23年越しのアンサーソングのようなところもある。タイトルは「常夏(ナッツ)リターン」と読み、2014年に発生した大韓航空ナッツ・リターンにもかかっているように思われるが、内容にはおそらく関係がない。
気だるげなムードと少女から大人へ的にマイルドな色香が感じられ、たまらなく良いのだが、「バウンスしてチリンでラグジュアリー 余裕ぶっこきマックイーン」的な勢いもある。マンションのポストによく入っている薄いマグネットの広告のことを冷マ(冷蔵庫に貼りつけるマグネットの意味)と呼ぶことを、この曲の歌詞を解析している過程で初めて知った。
431. ト・レ・モ・ロ/柏原芳恵(1984)
柏原芳恵の17枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高8位を記録した。田原俊彦、松田聖子、河合奈保子と同じく1980年にデビューして、アイドルポップスの復権に大いに貢献したうちの1人である。デビューしてしばらくはレコードもそれほどヒットしなかったのだが、アグネス・チャン「ハロー・グッドバイ」のカバーである「ハロー・グッバイ」がオリコン週間シングルランキングで最高6位のヒットを記録して、それから合計18曲をトップ10に送り込んでいる。
デビュー当時、15歳とは思えぬ大人っぽい雰囲気が話題になり、歌唱力もひじょうに高かった。中島みゆきが提供した卒業ソング「春なのに」をはじめ、いろいろなタイプの楽曲を歌っていたのだが、この曲は作詞が松本隆、作曲が筒美京平という黄金コンビなのに加え、編曲の船山基紀がデジタルシンセサイザーのフェアライトCMIをバリバリに使いまくり、実験的でもあるサウンドが最高である。バックコーラスは「想い出がいっぱい」のヒットで知られるH2Oが担当している。
個人的に父に連れられて初めて東京を訪れた1980年の夏休みに後楽園球場で開催された日本ハムファイターズと西武ライオンズの試合を見に行くと、柏原よしえ(当時は名前がひらがな表記であった)がデビュー・シングルの「NO.1」を歌っていて感激した記憶がある。日本ハムファイターズで4番を打っていたのが柏原純一選手で、苗字が同じだというようなことも話していたような気がする。