邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:370-361

370. ねらわれた少女/真鍋ちえみ(1982)

真鍋ちえみのデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高91位を記録した。スターボー「ハートブレイク太陽族」などと共にテクノ歌謡の名曲とされるが、当時はそれほど大きくヒットしてはいない。作詞は阿久悠、作曲・編曲は細野晴臣であり、伝説のミニコミ雑誌「よい子の歌謡曲」でもかなり話題になっていた。

オスカープロモーション所属で、北原佐和子、三井比佐子と共にパンジーという3人組で売り出されていたが、レコードはそれぞれソロでリリースされていた。パンジーの主演映画として制作された映画「夏の秘密」では真鍋ちえみの次のシングル「ナイトトレイン・美少女」が挿入歌として使われ、ビートたけしがラーメン店の主人として出演していた。

369. 渚/スピッツ(1996)

スピッツの14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。アルバム「インディゴ地平線」にも収録されている。

「ぼやけた六等星だけど 思い込みの恋に落ちた 初めてプライドの柵を越えて」「柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ醒めないで」と、かつての自分自身からしてみると夢うつつ的でもある恋の気分が文学的に表現されていてとても良い。

草野マサムネが武蔵野美術大学に通っていた頃に生物学の授業で聞いた、渚とは陸海空のどれでもないが、そのすべてが関係しているエリアである、というような話にインスパイアされている。

368. RASPBERRY DREAM/レベッカ(1986)

レベッカの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位、「ザ・ベストテン」で最高7位のヒットを記録した。

シングル「フレンズ」のヒットで大きくブレイクしたレベッカの次の一手的なイメージがあり、勢いのあるNOKKOのボーカルとメジャー感が増したサウンドがとても良い感じである。ライオンから発売されていたページワン洗顔フォームのテレビCMにも使われていた。

当時、日本の音楽再生メディアの主流がアナログレコードからCDに移り変わりつつあった頃だが、シングルはしばらくアナログレコードしか発売されない時期が続き、アルバム未収録のこの曲や米米CLUB「Shake Hip!」はベスト・アルバムが発売されるまで、アナログの7インチ・シングルで買う以外になかった。

367. ポケットいっぱいの秘密/アグネス・チャン(1974)

アグネス・チャンの6枚目のシングルで、オリコン週間シングルで最高6位を記録した。

松本隆がはっぴいえんどのメンバーとして活動したり、南佳孝「摩天楼のヒロイン」などをプロデュースしたりした後、歌謡曲の作詞家として初めて提供した楽曲として知られる。「あなた草の上 ぐっすり眠ってた ね顔やさしくて すきよってささやいたの」という歌詞を縦読みすると「あぐねす」となるのだが、この仕掛けには歌っているアグネス・チャンも気づいていなかったという。作曲は後にキャンディーズに多くのヒット曲を提供することになる穂口雄右である。

編曲(シングル・バージョンは東海林修との共編曲)を行ったキャラメル・ママは後にティン・パン・アレーに改名し、アルバム「TIN PAN ALLEY 2」でこの曲をカバーしている。ボーカリストは細野晴臣が作詞・作曲したティン・パン・アレー「イエロー・マジック・カーニバル」のカバーで知られるMANNAである。

366. 朝まで待てない/ザ・モップス(1967)

ザ・モップスのデビュー・シングルで、アルバム「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」にも収録された。グループ・サウンズのバンドとされているが、その音楽性はよりブルース・ロック的であったり、サイケデリック・ロックとして売り出されたりもした。

1970年代の子供たちにとって、鈴木ヒロミツとはテレビドラマ「夜明けの刑事」に出演している人だったり、「レッツゴーヤング」の司会者などのイメージが強かったのだが、後にかつてこんなにカッコいいバンドのボーカリストだったことを知り、驚かされた記憶がある。この曲については小山卓治のデビュー・アルバム「NG!」に収録されていたバージョンで初めて聴いたかもしれない。

365. 晴れのち BLUE BOY/沢田研二(1983)

沢田研二の39枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高11位、「ザ・ベストテン」で最高12位と、いずれもトップ10入りは逃している。

当時の沢田研二といえば、芸能界のど真ん中にいながら、わりとニュー・ウェイヴ的なこともいろいろやっていてとてもカッコよかったのだが、この曲ではアダム&ジ・アンツなどによってイギリスで流行したジャングルビートが取り上げられている。

作詞は後にエッセイストとしてもブレイクする銀色夏生で、「言いたいことはヤシの実の中」というフレーズが繰り返される。作曲は後に「そして僕は途方に暮れる」を大ヒットさせる大沢誉志幸で、バックバンドのエキゾティクスには後に「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」の審査員などとしても知られることになる吉田建などが参加していた。

個人的には当時、実家で風呂に入っている時に、山下達郎「高気圧ガール」、一風堂「アフリカン・ナイツ」、イエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」、早見優「夏色のナンシー」などとこの曲を録音したカセットテープをラジカセで再生しがちだった記憶がある。

364. ランナウェイ/シャネルズ(1980)

シャネルズのデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」では最高3位を記録した。1980年のオリコン年間シングルランキングでは、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」、久保田早紀「異邦人」、クリスタル・キング「大都会」に次ぐ4位にランクインしている。

パイオニアのランナウェイというラジカセのCMソングであり、ドゥーワップを取り入れた音楽性が広く受け入れられた。テレビではソウル・ミュージックやR&Bへのリスペクトから顔を黒塗りして歌う姿が、視聴者に強いインパクトをあたえた。

363. ぼくの好きな先生/RCサクセション(1972)

RCサクセションの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高70位を記録した。忌野清志郎が高校生の頃に担任だった実在の美術教師がモデルになっていて、「ぼくと同じなんだ 職員室がきらいなのさ」「劣等生のこのぼくにすてきな話をしてくれた ちっとも先生らしくない」などと歌われる。

1980年代にロックンロールバンドとしてRCサクセションを知った中学生などにとっては、実はかつてはフォークソングのような音楽をやっていて、1曲だけヒットしたが、マネージャーの独立騒動に巻き込まれるなどして、業界から干されて不遇の時代を送ることになったというストーリーの一部として知ることになる。

362. 眠れぬ夜/オフ・コース(1975)

オフ・コースのアルバム「ワインの匂い」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高48位を記録した。オフ・コースとはもちろんオフコースのことなのだが、この頃にはこう表記していて、小田和正と鈴木康博のデュオであった。

その後、メンバーを増員してバンドサウンドになり、1979年末にリリースされたシングル「さよなら」が大ヒットするのだが、それ以降はニューミュージックの大人気グループとしての地位を確立していった。「眠れぬ夜」はそんなオフコースの過去の名曲という感じだったのだが、西城秀樹がカバーしてオリコン週間シングルランキングで最高10位のヒットを記録した。

愛にまつわる自由と束縛という普遍的なテーマを、雨の夜というシチュエーションを用いて歌ったとても良い曲である。

361. メモリーズ/スピッツ(2000)

スピッツの22枚目のシングルで、「放浪カモメはどこまでも」との両A面でリリースされた。オリコン週間シングルランキングでは最高3位を記録している。

メロディアスで良質なギターロックの印象が強いスピッツだが、実際にはよりバラエティーにとんだ音楽をやっている。この曲はシングルにもかかわらず、このバンドに対してのパブリックイメージから少しズラしたようなポップ感覚が特徴で、メロディーに頼らずノリを重視して作曲したというのも納得である。

「気の向くままにフラフラ あなたのために蝶になって 飛んでゆけたなら…」とい歌詞にもあらわれている自由な感じがとても良い。