邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:380-371

380. キラキラ/aiko(2005)

aikoの18枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。テレビドラマ「がんばっていきまっしょい」の主題歌で、ピアノのイントロからすでにテンションが上がる、タイトルの通り「キラキラ」した楽曲のように思えるのだが、実はよく聴くと暗く深いのではないかと感じられるところがある。

どうやら遠く離れた恋人のことを待つ女性がテーマになっていて、意識はあくまで前向きなのだが、その時間があまりにも長すぎるのではないかということや、それでも待っているという想いの深さなどから、様々な考察が行われてもいるようだ。何せ「その前に世界がなくなちゃってたら 風になってでもあなたを待ってる」というのだから尋常ではない。しかも、「こうやって悲しい日を越えてきた」と現在完了型になっていたりもするのだ。

謎が深まったり様々な想像をかき立てられたりしながらも、ポップ・ソングとしての強度は間違いがないこの曲をまた繰り返し聴いてしまうのである。

379. どうにもとまらない/山本リンダ(1972)

山本リンダが1972年の初夏にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。激しく情熱的なダンスとヘソだしルックにはたまらなく強烈なインパクトがあり、当時の子供たちも「うわさを信じちゃいけないよ 私の心はうぶなのさ」などという歌詞を意味もよく分からずに歌っては、大人たちの眉をひそめさせていた。

デビュー・シングルの「こまっちゃうな」がヒットしたもののその後が続かず、何年も低迷していた山本リンダにとって、この曲の社会現象的ともいえるほどの流行は、まさに起死回生といえるようなものであった。

378. 青いスタスィオン/河合その子(1986)

河合その子の3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは2週連続1位、年間シングルランキングで10位のヒットを記録した。

1983年に行われたソニーのオーディションで準優勝したことをきっかけに、事務所に所属はしていたもののそれほど仕事もなく、すでに就職も決まっていたのだが、おニャン子クラブの会員番号12番ごして出演した「夕やけニャンニャン」で人気が出て、最も早くソロデビューすることにもなった。

おニャン子クラブは社会現象的なブームとなり、グループやソロやユニットというかたちで次々とレコードが発売され、そのほとんどがオリコン週間シングルランキングの上位にランクインしていたのだが、ファン以外にはそれほど広がらなかった曲もかなり多かった。

この曲はおニャン子クラブクラブのメンバーがグループ在籍中にリリースしたシングルの中で最大のセールスを記録しているということなのだが、フレンチなムードのサウンドにのせて、別れについて切なげに歌われているところが印象的である。「思い出だけをそっと着替えて あなたの夢を探して」のところあたりが特にとても良い。作詞は秋元康、作曲・編曲は後に夫となる後藤次利である。

377. ツッパリ High School Rock’n Roll(登校編)/横浜銀蝿(1981)

横浜銀蝿の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。いわゆるツッパリの日常がポップでキャッチーなロックンロールにのせて、ややコミカルに歌われている。

ツッパリは不良の別の呼び方であり、現在ではいうところのヤンキーに近いニュアンスかもしれない。嘉門達夫「ヤンキーの兄ちゃんのうた」が1983年にリリースされ、ラジオでかかることもわりとあった頃に、関西では不良のことをヤンキーと呼ぶらしいというようなことをまだ言っていたような気がするので、全国区ではなかったと思われる。

暴走族の写真集が売れまくったり、校内暴力が社会問題化したり、ツッパリをファンシー化したキャラクターグッズがわりと売れたり、猫にツッパリのコスプレをさせた「なめ猫」グッズがヒットして、又吉&なめんなよなるアーティストのシングル「なめんなよ」までオリコン週間シングルランキングで最高5位を記録し、まさに時代はツッパリであった。

横浜銀蝿ことT.C.R.横浜銀蝿R.S.はこの曲をはじめ、シングルヒットを連発したのみならず、弟分的なバンド、紅麗威甦(「ぐりいす」と呼んで「グリース」を意味しているのであろう)やギタリストのJohnny、マスコットガール的な存在であった岩井小百合のレコードまで売れて、銀蝿一家なるトライブを形成してさえいた。ライブの後で集まった若者たちの悩みを聞いたりする、対話集会なることを行ったりもしていた。

376. 真赤な太陽/美空ひばり(1967)

美空ひばりのアルバム「歌は我が命〜美空ひばり芸能生活20周年記念」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングが正式に発表されはじめるのはこの翌年なので記録は残っていないが、約140万枚を売り上げるミリオンセラーを記録した。

当時、流行していたグループサウンズの要素を取り入れ、「ブルー・シャトウ」の大ヒットで知られるジャッキー吉川とブルー・コメッツが演奏で参加している。編曲はメンバーの井上忠夫(井上大輔)である。美空ひばりもミニスカートをはいて、ゴーゴーダンス的な振りをつけて歌っていたという。

375. もう一度/竹内まりや(1984)

竹内まりやのアルバム「VARIRTY」からの先行シングルとして「本気でオンリーユー」との両A面で発売され、オリコン週間シングルランキングで最高20位を記録した。

1981年に音楽活動を休止後、結婚や出産を経て、約3年ぶりにリリースされたニューシングルであり、待望のカムバック曲として迎えられたような印象がある。竹内まりや自身が作詞・作曲、夫の山下達郎が編曲・プロデュースを手がけ、一聴してそれと分かるコーラスで参加している。

アルバムのジャケットアートワークがモノクロームのポートレートであるように、どこかオールディーズ的なイメージがこの曲にもあり、当時は「プラスティック・ラブ」ではなく、この曲や「マージービートで唄わせて」などの方が「 VARIETY」の代表曲とされていたような気がする。

374. 貿易風にさらされて/マザー・グース(1977)

石川県金沢市出身の3人組女性ボーカル・グループ、マザー・グースの4枚目にして最後のシングルで、編曲・プロデュースを山下達郎が手がけている。

夜の気分を感じさせながらも、透明感があり爽やかなボーカルとコーラスが特徴で、「シュワッとはじけて見つめあう」という歌詞のフレーズにピッタリである。

当時、商業的にはそれほど成功しないままグループは解散してしまったのだが、シティ・ポップの名曲として見直されたりもしている。

373. サブタレニアン二人ぼっち/佐藤奈々子(1977)

佐藤奈々子のデビュー・アルバム「Funny Walkin’」の収録曲で、ソロ・アーティストとしてデビューする以前の佐野元春との共作である。タイトルをはじめビート文学的な香りもありながら、いわゆるシティ・ポップ的なサウンドや「渋谷系」の先がけ的なウィスパーボイスもとても良い。

土曜の夜をテーマにした名曲のうちの1つで、「愛をつきさしてみたい」というような独特の言語感覚も最高である。ピチカート・ファイヴで有名な「Twiggy Twiggy」を1981年の時点で野宮真貴のソロアルバム「ピンクの心」に提供したり、ニュー・ウェイヴバンド、SPYのメンバーや写真家として活動したり、息子のjanがベーシストとしてGREAT3に加入したりもしている。

372. LA・LA・LA LOVE SONG/久保田利伸 with ナオミ・キャンベル(1996)

久保田利伸 with ナオミ・キャンベルの大ヒット曲で、木村拓哉と山口智子が主演したテレビドラマ「ロングバケーション」の主題歌として、オリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングではMr.Children「名もなき詩」、globe「DEPARTURES」に次ぐ3位を記録した。

ソウル・ミュージックやR&B的な音楽を日本のお茶の間に浸透させる上で久保田利伸の果たした役割はひじょうに大きいような気がするのだが、個人的にも「オールナイトフジ」で初めてミニライブを見た時から衝撃を受け、すぐにデビュー・アルバム「SHAKE IT PARADISE」のCDを買いにいったことが思い出される。

この曲におけるナオミ・キャンベルとの共演は、ニューヨークでたまたま同じマンションに住んでいたことがきっかけで実現したのだが、デュエットやコーラスというわけではなく、主にセリフで参加している。

371. Candy/具島直子(1996)

具島直子のデビュー・アルバム「miss.G」に収録された曲で、後にシングル・カットもされている。シティ・ポップをより90年代J-POP的にアップデートしたようなところもあり、ライトでメロウなサウンドとエレガントなボーカルが素敵である。

シティ・ポップ・リヴァイヴァルでも再評価されがちであり、2023年にはこの曲のリミックスも収録した約16年ぶりの新作EPをリリースしている。