邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:360-351

360. 春だったね/よしだたくろう(1972)

吉田拓郎のとても良く売れたアルバム「元気です。」の1曲目に収録された曲である。オリコン週間アルバムランキングで14週連続、通算15週1位に輝いたというのだからかなりすごい。このアルバムの大ヒットによって、フォークブームが一般大衆的にも本格化したといわれる。先行シングルとしてリリースされた「旅の宿」もオリコン週間シングルランキングで1位に輝いていた。モップスに提供した「たどりついたらいつも雨ふり」のセルフカバーや、後に夏歌の定番にもなる「夏休み」も収録している。

この曲はボブ・ディラン「メンフィス・ブルース・アゲイン」に音楽的には影響を受け、「僕を忘れた頃に 君を忘れられない そんな僕の手紙がつく」と歌いはじめられる歌詞は田口淑子によるものである。やはりボブ・ディランから影響を受けたと思われる字余り的な歌唱が特徴的で、春という過去を切り捨てて新しいことにいろいろと向かいがちな季節に残したマイルドな未練の記憶のような感じがとても良い。

359. 年下の男の子/キャンディーズ(1975)

キャンディーズの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。デビュー曲の「あなたに夢中」からのスーこと田中好子にかわりランこと伊藤蘭がリードボーカルをとった初めてのシングルであり、最初のトップ10ヒットとなった。

カントリーポップ的なサウンドと甘酸っぱくも美しいボーカルやコーラスは音楽的にも素晴らしく、当時のアイドルポップスとしてはひじょうに満足度も高かったように思える。女性が年下とはいえ男性のことを「あいつはあいつは可愛い」と歌っているところもとても良い。

358. ボーイフレンド/井上睦都実(1992)

井上睦都子のデビュー・アルバム「恋は水色」からシングル・カットもされていたようである。作詞は井上睦都実自身で編曲は小西康陽が手がけた、「渋谷系」的でおしゃれなポップスである。

「大好き」の一言が伝えられず、いまでは離れ離れになってしまい、どこに住んでいるのかも分からない「ボーイフレンド」のことが忘れられず、新しい恋をしてもついつい比べてしまう、という切ない歌詞が最高におしゃれなサウンドにのせて歌われている。

「会えない時間も電話のケーブル 二人で泳いでた」というフレーズに、携帯電話など一般庶民にまでばまだ普及していなく、好きな人と話す時にも家に設置された電話を使用していた頃の感じを思い出したりもする。

357. フライディ・チャイナ・タウン/泰葉(1981)

泰葉のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高69位を記録した。

天才落語家、林家三平(初代)の娘として当時からかなり話題になっていたが、その後も芸能界的に様々な騒動を起こす。しかし、ポップ・ミュージック的にはやはりこの曲であり、シティ・ポップ・リヴァイヴァルで再び脚光を浴びることにもなった。何せあの新進気鋭のコントユニット、ダウ90000の女性メンバーたちも「最強モテ♡カラオケセットリスト」という動画で、aiko「KissHug」などと共にこの曲を挙げていたぐらいである。

タイトルや歌詞に入っている「フライディ」は金曜日ではなく、飛ぶ日をあらわす「FLY-DAY」らしい。「イッツソーフライディ、フライディチャイナタウン」という歌いだしからしてすでにつかみはOKなのだが、それ以前にイントロがすでにかなりカッコいい。ダウ90000の吉原怜那もこの曲を歌うといい女感がだいぶ出る、というようなことを言っているので間違いない。

356. 私以外私じゃないの/ゲスの極み乙女(2015)

ゲスの極み乙女の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高11位を記録した。第66回NHK紅白歌合戦にも出場し、この曲を演奏している。

indigo la Endという別のバンドもやっている川谷絵音を中心に結成され、ヒップホップやダンス・ミュージックなどの影響も取り入れた、この時点における最新型のバンドサウンドとでもいうべきものを間違いなく提示していたように思える。

そして、このバンドの楽曲の場合、ポップでキャッチーな楽曲であっても性的な感覚が濃厚ににじみ出ているところがヴィヴィッドに現実的であり、信頼と共感に値するともいえる。このような音楽がメジャーに売れたりもするあたり、日本のポップシーンもかなり健全になったのではないかと感じたのだが、一般的に不倫などと呼ばれたりするタイプのロマンスに必要以上に厳しすぎるのは不健全だと激しく感じた。

355. Get Wild/TM NETWORK(1987)

TM NETWORKの10枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。

ヒューマン・リーグやデペッシュ・モードなど、イギリスのシンセ・ポップは高く評価するのだが、同じシンセ・ポップでも日本のTM NETWORKのことは正当に評価しない音楽ファンが当時はひじょうに多かったように思われ、もちろん個人的にもその1人さったことを否定はしない。

そして、TM NETWORKは小学生にひじょうに人気があり、彼らが若者と呼ばれる年代になった頃、小室哲哉による楽曲がヒットチャートを席巻したようにも思える。テレビアニメ「シティーハンター」のエンディングテーマにも使われていて、シティ・ポップではもちろんないのだが、これもまた当時の都会的な感覚をポップ・ミュージックとして表現した楽曲のうちの1つである。

354. ハートブレイク太陽族/スターボー(1982)

宇宙三銃士スターボーのデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高98位を記録した。

松本隆と細野晴臣のコンビによる、いわゆるテクノ歌謡である。シンセサウンドとぶっきらぼうなボーカル、歌詞は「俺から不良になっちまう」など、男言葉で歌われている。宇宙からやって来た性別不明の3人組アイドルという設定だったが、次のシングル「たんぽぽ畑でつかまえて」では、ごく普通の女性アイドルグループ的な感じになっていた。

松本隆にはこの曲についての記憶がまったくないらしく。おそらく早く忘れようという自己防衛本能がはたらいているのだろう、と分析している。不思議な中毒性も感じられるとんでもない楽曲であり、このような曲をも含めてこその80年代アイドルポップスだということができる。

353. DA・YO・NE/EAST END x YURI(1994)

EAST WND x YURIのアルバム「denim-ed soul」からシングル・カットされ、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。

日本でもヒップホップのレコードをリリースしたアーティストは1980年代からPresident BPM、いとうせいこうらがいたり、1990年にはスチャダラパーがデビュー、1994年には小沢健二とのコラボレーション曲「今夜はブギーバック」がオリコン週間シングルランキングでオリコン週間シングルランキングで最高15位を記録したりしていた。

しかし、最初によりメジャーなヒットを記録した曲といえば、このEAST END x YURI「DA・YO・NE」であろう。ジョージ・ベンソン「ターン・ユア・ラヴ」を当初は無断でサンプリングしていたが、もちろん後に正式にクレジットしなければいけなくなった。YURIこと市井由理はアイドルグループ、東京パフォーマンスドールのメンバーであり、EAST ENDとは友人であった。

この曲のヒットがきっかけで、日本各地で様々な方言によるご当地バージョンが制作され、WEST END x YUKI「SO.YA.NA」はオリコン週間シングルランキングで最高6位と、「DA.YO.NE」よりも高い順位にランクインしていた。

当時の若者にとってのあるあるネタとでもいうべきものがちりばめられたこの楽曲は、「渋谷系」がメインストリームに最も近づいていた時代の空気感を甦らせてくれたりもする。

352. グッド・ナイト・ベイビー/ザ・キングトーンズ(1968)

ザ・キングトーンズの最初のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

80年代にシャネルズが「ランナウェイ」のヒットでブレイクした頃、日本でドゥーワップをもっと早くやっていた人たちとして取り上げられがちだったような記憶がある。

ドリフターズなどR&Bグループからの影響も強く、和製ソウル・ミュージックの歴史上もひじょうに大きな役割を果たしたといえる。

351. ザ・ストレス -ストレス中近東バージョン-/森高千里(1989)

森高千里の6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。

当時はポップ・アイコン的なイメージがひじょうに強く、「17才」でのミニスカートやこの曲のビデオでのウェイトレスのコスプレなどが代表的である。そして、音楽的な魅力は独特なボーカルと、職業作家にはなかなか書けないユニークな作詞家としての一面である。

この曲でも「ストレスが地球をだめにする」と歌うのだが、その根底にあるのは「ああぐちゃぐちゃよ」「いらいらするわ」といった、個人的な感覚である。そして、謎の中近東ムードもなぜかハマっている。