邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:310-301

310. SHININ’ YOU, SHININ’ DAY/Char (1976)

Charのデビュー・シングル「NAVY BLUE」のB面としてリリースされた後、アルバム「Char」に別バージョンが収録された。

シングルA面はNSPの天野滋が作詞した歌謡ロック的な楽曲だが、この曲はChar自身による英語詞で、ライト&メロウなシティ・ポップとしても再評価されがちである。

ルックスの良さと音楽性の高さが大いに受けて、この後、世良公則、原田真二と共にロック御三家などとも呼ばれ、アイドル的な人気も獲得していくようになる。

309. バスルームで髪を切る100の方法/フリッパーズ・ギター (1990)

オリコン週間シングルランキングで最高17位を記録したフリッパーズ・ギターのシングル「恋とマシンガン」のB面に収録されていた曲である。

フリッパーズ・ギターが日本語詞の楽曲をリリースするのはこのシングルが初めてであり、そのオリジナリティーは衝撃的であった。英語のタイトルは「Haircut 100」で1980年代前半に活躍したイギリスのバンドの名前から取っていると思われ、曲自体にはザ・スタイル・カウンシルからの影響が強く感じられる。但し、単なるインスパイアというレベルに留まらず、センスやアティテュード的なものまでをもここまで高度に日本語ポップス化した例は過去には(そして、もしかするとこれ以降も)無かったのではないだろうか。

バンドブーム全盛の当時、フリッパーズ・ギターのネオ・アコースティック的だったり、インディー・ポップ的な音楽性はシーンとほとんど関係がなく、アティテュードとしてはこれこそがパンク的だったのではないか、などと振り返られたりもするのだが、この曲のエンディングには特にセックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・U.K.」のしれにも通じるカタルシスを感じなくもない。

308. 東京ららばい/中原理恵 (1978)

中原理恵のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位のヒットを記録した。

後に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」でコメディエンヌとしての才能を開花させる中原理恵だが、この頃は都会的な良い女的なイメージが強かったような気がする。

東京湾や山手通り、(東京)タワーなどが歌詞に登場する東京のご当地ソングでもあるが、そこでの生活で感じる孤独感が強調され、「ないものねだりの子守歌」と歌われる。松本隆、筒美京平の黄金コンビによる不朽の名曲のうちの1つである。

307. 六本木心中/アン・ルイス (1984)

アン・ルイスの24枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。

「だけど…心なんてお天気で変わるのさ 長い睫毛がヒワイね あなた」などのフレーズが印象的な歌詞は湯川れい子によるもので、後のシングル「あゝ無情」と同様に吉川晃司がモデルになっている。作曲はNOBODYで編曲が伊藤銀次というのもとても良い。

当時のカラオケでよく歌われていた良い意味でとても俗っぽい楽曲である。1980年代的な軽薄さを象徴する「六本木」という地名と、そんな時代であっても「本気」と書いて「マジ」と読む的な「心中」という単語とをドッキングさせたセンスは天才的である。

「夜のヒットスタジオ」で吉川晃司が客演した際の、ストレートに行為を連想させるパフォーマンスがとても良かった。

306. 春咲小紅/矢野顕子 (1981)

矢野顕子の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位のヒットを記録した。

とてもユニークで才能豊かなシンガー・ソングライターとしてすでに知られていたとは思うのだが、当時の中学生にとってはYMOのライブで楽しそうにキーボードを弾いたり「在広東少年」を歌ったりしている女性という印象が強かった。

カネボウ化粧品のCMソングに起用されたポップでキャッチーなこの曲は作詞が糸井重里で作曲が矢野顕子、編曲がymoymoことイエロー・マジック・オーケストラと、当時の雑誌「ビックリハウス」読者が狂喜しそうな布陣によるものであった。矢野顕子はアッコちゃんの愛称で親しまれているが、「ビックリハウス」の編集長であった髙橋章子もまた、花編アッコなどと呼ばれがちであった。

春の訪れを感じさせる、ふわふわ陽気で心が温かくなるようなテクノポップである。

305. 春の予感 -I’ve been mellow-/南沙織 (1978)

南沙織の25枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高25位を記録した。

1970年代を代表する女性アイドルの1人だが、この頃はもうすっかり大人のイメージであった。この曲はシンガー・ソングライターの尾崎亜美が初めてアイドルに提供し、資生堂のCMソングにも起用されていた。

サブタイトルはオリヴィア・ニュートン・ジョンのヒット曲「そよ風の誘惑」へのアンサー的にもなっている。

個人的にはイントロが聴こえただけで当時住んでいた部屋のカーテンから差し込む春の木漏れ日が思い出され、とても懐かしい気持ちにさせてくれる楽曲である。

南沙織はこの年の秋で芸能活動を引退し、翌年に写真家の篠山紀信と結婚することになる。

304. LOVEずっきゅん/相対性理論 (2007)

相対性理論のデビュー・アルバム「シフォン主義」に収録されている曲である。アルバムは自主制作盤としてライブ会場と通販のみで発売された後、翌年にはリマスター盤がリリースされ、オリコン週間アルバムランキングで最高42位を記録し、第1回CDショップ大賞では見事大賞に輝いた。

やくしまるえつこの脱力的だが説得力のあるボーカルと、緻密に構成された楽曲とサウンドの組み合わせがたまらなく良い。中央線を乗り越して明日が始業式だということを思い出すアマゾン帰りの恋するハイティーンが歌う、まさにラブずっきゅんな名曲、という説明に意味は無いけれどそれだけでじゅうぶんであり、それでまったくかまわないといえる。

303. 悲しみがとまらない/杏里 (1983)

杏里の14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」、共に最高4位のヒットを記録した。

1978年のデビュー以来、ネクストブレイクを期待され続けていたが、この年にテレビアニメ主題歌の「CAT’S EYE」が大ヒットし、それに続くシングルがこの曲である。

友達に恋人を奪われて悲しみが止まらないという内容の歌詞が共感を呼びやすく、世代を超えて聴かれ続けているように思えるが、作曲・編曲が林哲司、共同アレンジとプロデューサーは角松敏生のシティ・ポップの名曲としても知られる。

302. 幸せであるように/FLYING KIDS (1990)

FLYING KIDSのデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高14位を記録した。

1989年に放送を開始した「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」は、当時のバンドブームを全国のお茶の間レベルにまで広めたテレビ番組として振り返られがちである。

バンドブームの主流はいわゆるビートパンク的な音楽だったが、初代グランドイカ天キングに輝いたFLYING KIDSはR&Bやファンクからの影響を感じさせるバンドであった。

この曲は人はなぜつらく悲しい別れを繰り返しても、また恋をして愛し合うのだろうか、というテーマについて歌われたラヴソングであり、愛する人やかつて愛した人たちが「幸せであるように 心で祈ってる」というメッセージは永遠である。

301. う、ふ、ふ、ふ/EPO (1983)

EPOの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」で最高7位のヒットを記録した。

資生堂の春のCMソングに起用されたことがヒットの要因となっているのだが、当時のヒット曲を振り返っていると、化粧品のCMソングがいかにヒットチャートに影響をあたえていたかを改めて認識させられることになる。

東京女子体育大学出身(音楽活動に専念するために中退)で、シティ・ポップ的なアーティストの中でも特に健康的なイメージが強いEPOらしい、ポップに弾ける楽曲であり、「毎日だれかに見られることがビタミンになる」というフレーズもとても良い。