邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:330-321

330. 決戦は金曜日/ドリームズ・カム・トゥルー(1992)

ドリームズ・カム・トゥルーの11枚目のシングルとして「太陽が見てる」との両A面でリリースされ、オリコン週間シングルランキングで3週連続1位、グループにとって初のミリオンセラーとなった楽曲である。

バブル景気は実質的にすでに終わっていたのだが、世間一般的にはまだその残像が残ってはいた。ユーミンこと松任谷由実が担っていた恋愛のバイブル的ポップ・ミュージックの新世代版のような雰囲気もあったし、当時、レコード会社の営業担当がそれに近いことを言っていたような気もする。

シェリル・リン「ガット・トゥ・ビー・リアル」、アース・ウィンド&ファイアー「レッツ・グルーヴ」といったディスコ・クラシックスの影響も受けているという、恋のはじまりのグルーヴ感を閉じ込めたような名曲である。

329. 悲しい歌/ピチカート・ファイヴ(1995)

ピチカート・ファイヴのアルバム「ロマンティーク96」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングでの最高位は95位であった。

1990年代以降、野宮真貴がボーカリストとして加入して以降のピチカート・ファイヴでは「スウィート・ソウル・レヴュー」「ベイビィ・ポータブル・ロック」などをはじめ、ポップでキャッチーなラヴソングに特に人気があるような印象があるのだが、「悲しい歌」にもかなりグッとくるものがある。というか、個人的には完全にこっちの方が好みのタイプである。

どんなに楽しくてしあわせな時間にも、やがて終わりが訪れるという真実、そして、それを知っているからこそ楽しみと悲しみは常に背中合わせで、結局のところは心にぽっかりと穴が空いたような腑抜けの状態を思い知り、心に痛みをかかえたまま生きていくことになるのだろう。

328. デイドリーム・ビリーバー〜DAYDREAM BELIEVER〜/THE TIMERS(1989)

ザ・タイマーズのデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

RCサクセションの忌野清志郎とひじょうによく似たZERRYという人が率いる正体不明の覆面バンドという設定でメッセージが強めの曲を歌ったり、テレビの歌番組では生放送の現場を凍りつかせるなどの伝説で知られる。

この曲はモンキーズのヒット曲のカバーで、エースコックのカップ麺、スーパーカップのテレビCMでも使われていた。サーフィンか何かをやっているような若者が「グラッチェ、グラッチェ」などと言った後、スーツできめた風間杜夫が出てくる。

モンキーズの1967年のヒット曲「デイドリーム」のカバー・バージョンである。オリジナルは全米シングル・チャートで4週連続1位の大ヒットを記録したのみならず、日本でもわりと人気があり、オリコン週間シングルランキングで最高4位、1980年にもリバイバルして最高29位を記録している。

ZERRYによる日本語詞は亡き母に宛てたものだともいわれていて、そうすると「もう今は彼女はどこにもいない」「今は彼女 写真の中で やさしい目で僕に微笑む」といったフレーズにも、また別の味わいが生まれてくる。

327. オレンヂ バナナ/KUSU KUSU(1991)

KUSU KUSUの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高43位を記録したが、それ以前に1989年4月8日放送の「三宅裕司のいかすバンド天国」で演奏されたことによって、広く知られることになった。

いわゆるワールド・ミュージック的な音楽性とポップなアイドル性とが組み合わさっっている感じがとてもフレッシュでかなり良かった。

326. HONEY/L’Arc〜en〜Ciel(1998)

L’Arc〜en〜Cielの10枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝き、この曲で「NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たした。

「火葬」「侵食〜lose control〜」とシングル3枚同時発売も話題になるなど、当時の勢いを感じさせるポップでキャッチーでドライブ感溢れる楽曲である。hydeの躁的にポップでありながら適度に湿度もあるボーカルの魅力がフルに生かされているようにも思える。

325. STILL I LOVE YOU/安部恭弘(1983)

安部恭弘のシングル「CAFE FLAMINGO」のB面に収録され、横浜ゴムのテレビCMでも使用されていた。

いわゆるシティ・ポップを代表する楽曲の1つとも考えられ、当時、同じレーベルの稲垣潤一、鈴木雄大、井上鑑とのコンピレーション・アルバム「Modern Wave Ⅱ」にも収録されていた。個人的には1983年の夏休みにこのアルバムを北海道留萌市のレコード店で購入した記憶がある。

ライトでメロウなサウンドと甘いボーカルが特徴ではあるのだが、松本隆による歌詞はハードボイルド的でもあり、その辺りのバランスが絶妙でとても良い。「線路に倒れた俺を抱き起こして泣きじゃくる君」のくだりなどである。

324. good/プラスチックス(1980)

プラスチックスの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングにもランクインしていたような気もするのだが、現在は通勤快速本八幡行きの車中にてiPhoneでちまちまとこの文章を打っているため、自宅にある資料にあたることができない。

P-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスが当時はテクノ御三家と呼ばれていたのだが、YMOことイエロー・マジック・オーケストラは別格であった。全員がバンド以外にクリエイティヴな本職を持っていると紹介されていて、その軽快さがなんだかとても良く、時代の気分にもフィットしていたような気がする。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督で2003年に公開された映画「1980」は、タイトルから推測される通りに1980年の東京を舞台にしているのだが、そのオープニングテーマソングとしても、この曲は最適に機能していたように思える。

323. 土曜の夜はパラダイス/EPO(1982)

EPOの4枚目のシングルで、バラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマ曲として知られる。デビュー・シングル「DOWN TOWN」はシュガー・ベイブの名曲のカバーで、やはりこの番組のエンディングテーマとして使われていた。

「オレたちひょうきん族」が放送されていたのは毎週土曜日の夜であり、ビートたけしや明石家さんまらのライトでポップなギャグやコントで笑った後で流れるこの曲は、週末の都会のわくわくする感じを地方のお茶の間にも届けてくれた。とはいえ、内容は失恋の痛みなんて忘れてしまおう、というようなものである。

カップリングの「うわさになりたい」は「あの角に来たらわざとドリフトさせて あなたに体を傾けるから」というフレーズが最高で、適度に遊び慣れたおしゃれできれいなお姉さん的なイメージが個人的にはかなり好きだった。

322. 玉姫様/戸川純(1984)

戸川純のソロデビューアルバム「玉姫様」の表題曲であり、女性の生理をテーマにした歌詞が話題になった。作曲は細野晴臣で、テクノ歌謡を代表する楽曲の1つとされる場合もある。

ニュー・ウェイヴ的に不思議なキャラクターは雑誌「宝島」的なサブカルチャー界隈から、お茶の間のテレビにまで進出し、TOTOウォシュレットのテレビCMに出演したり、雑誌「GORO」でセクシーなグラビアを披露したりもしていた。

321. 愛のしるし/PUFFY(1998)

PUFFYの6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。

奥田民生のプロデュースにより1996年のデビューシングル「アジアの純真」からヒット曲を連発していたPUFFYだが、この曲はスピッツの草野マサムネによる楽曲である。曲がなかなかできなくなっていた奥田民生が雑誌「月刊カドカワ」において作詞・作曲を依頼したことがきっかけでできあがり、後にスピッツがセルフカバーもしている。

個人的には池袋のタワーレコードのモニターでこの曲のビデオをボーッと眺めていた時の記憶がなぜか鮮明に思い出され、春の訪れの記憶がよみがえる。恋のはじまりの気分を「ヤワなハートがしびれる ここちよい針のシゲキ」と表現した歌いだしからしてすでに最高である。