邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1998
つつみ込むように・・・/MISIA(1998)
MISIAのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングでは8cm盤が最高11位、12cm盤が最高20位を記録した。これらに先がけて12インチシングルが枚数限定でリリースされていたが、すぐに売り切れたりもしていたようである。
クラブミュージック的なサウンドで歌もものすごく上手い、かなり本格的なのだがトレンド感もあり、TBS系で深夜に放送されていたバラエティー番組「ワンダフル」でミュージックビデオが紹介された時に、原千晶あたりが好きだといっていた記憶がある。
J-POPのメインストリームがR&B的なものになっていく上で、ひじょうに重要な役割を果たしたような気もする。
それでいて流行歌としてのクオリティーも高く、特に「恋人と呼びあえる時間の中で 特別な言葉をいくつ話そう」のくだりは見事である。
作詞・作曲はLove Lights Fieldという男性デュオのメンバーであった島野聡で、いつかこの曲を歌うのに相応しいシンガーに出会える時のために温めていたということである。
この曲も収録したデビューアルバム「Mother Father Brother Sister」は、オリコン週間アルバムランキングで1位に輝いた。
愛のしるし/PUFFY(1998)
PUFFYの6作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。
PUFFYのシングル表題曲はこれまでずっと奥田民生が作詞・作曲するか作詞だけ井上陽水だったりもしていたのだが、この楽曲はスピッツの草野マサムネが作詞・作曲している。
奥田民生が曲ができないと「月刊カドカワ」でMr.Childrenの桜井和寿、ウルフルズのトータス松本と草野マサムネに楽曲提供を依頼したことがきっかけである。
春らしいとても良い曲で、後にスピッツもセルフカバーバージョンを発表している。
Timing/ブラックビスケッツ(1998)
ブラックビスケッツの2作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、年間シングルランキングでは4位を記録した。
日本テレビ系のバラエティー番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の企画で結成されたユニットで、メンバーは南々見狂也ことウッチャンナンチャンの南原清隆、天山ひろゆきことキャイ~ンの天野ひろゆき、ビビアンことビビアン・スーである。
元々は内村テルこと内村光良、坂本千秋こと千秋、独活野大木ことキャイ~ンのウド鈴木から成るポケットビスケッツに対抗して結成されたはずなのだが、楽曲のセールスではこの曲が上回ってしまった。
「ズレた間のワルさも それも君のタイミング 僕のココロ和ます なんてフシギなチカラ」などの歌詞のベースとなったのは、ビビアン・スーの普段のキャラクターだともいわれるが、ボーカルにもなんだか不思議な魅力が感じられる。
2023年の大晦日にはポケットビスケッツと共に再結成し、「NHK紅白歌合戦」に出演したりもしていた。
ピンクスパイダー/hide with Spread Beaver(1998)
hideのソロアーティストとしては9作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで2週連続1位を記録した。
X JAPANのギタリストであったhideはバンドと並行してソロアーティストとしても活動していたのだが、TOSHIの脱退によりX JAPANが解散すると、hide with Spread Beaverとしてよりそれを本格化させていった。
「ROCKET DIVE」がオリコン週間シングルランキングで最高4位のヒットを記録し、わりと順調なムードの最中、自宅マンションで遺体で見つかったというニュースが駆けめぐり、それはファンに大きな衝撃をあたえた。
このシングルはその少し後にリリースされ、大ヒットしたのだが、オルタナティブロック的でありながらも突き抜けたポップセンスが感じられ、とはいえ自由への希求と現実とのギャップに苦悩しているようなところもあって、様々な想像をかき立てたりもした。
There will be love there – 愛のある場所 -/the brilliant green(1998)
the brilliant greenの3作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。
TBS系のテレビドラマ「ラブ・アゲイン」の主題歌で、バンドにとっては初めて日本語の歌詞で歌った楽曲となった。それまでは英語詞でインディーロック的な音楽をやっていたのだが、この曲のヒットで一気に大ブレイクした。
作詞はボーカリストの川瀬智子で、この日本語の歌詞は大爆笑しながら書いた、というようなことをインタビューで読んだような気もするのだが、もしかすると気のせいだったかもしれない。
いずれにしても海外のインディーロックファンにもわりと入ってきやすい音楽性ではあり、それでいて日本のメインストリームで売れまくってしまったところに良さを感じたりしていた。
夏色/ゆず(1998)
ゆずのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高17位を記録した。
まずこれを書くために調べていて、実はオリコン週間シングルランキングで10位以内にも入っていなかったことに、少し驚いてはいるのであった。それぐらいかなり人気があったような気がする。
路上ライブをやっていて人気者になったということが、当時かなりピックアップされていた印象がある。とにかく爽やかで牧歌的でもあるのだが、こういうのが純粋に良い曲として売れてしまうところに、J-POPのトレンドも少し変わってきているのかもしれない、と感じたりもしていたような気がする。
HOT LIMIT/T.M. Revolution(1998)
T.M.Revolutionの8作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。
ハイテンション気味なデジタルビートにのせて、「Yo! Say 夏が胸を刺激する ナマ足 魅惑のマーメイド」などと歌われる。それ以降、夏の気流と共に、性愛をダイレクトに連想させるフレーズが続出し、挙句の果てには「出すもの出して素直になりたい キミとボクとなら it’s alright」なのだが、あくまでカラッと爽やかなところがとても良い。
作曲・編曲は浅倉大介なのだが、「ダイスケ的にもオールオッケー!」というフレーズには度肝を抜かれたのと同時に、これでいいのだと妙に納得させられてもいたのであった。
楓/スピッツ(1998)
スピッツの19作目のシングルとして「スピカ」との両A面でリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高10位を記録した。
すでにリリースされていたアルバム「フェイクファー」からのシングルカットなのだが、あまりに良い曲すぎたのでシングルでもわりと売れたのみならず、代表曲の1つとしても知られている。
どうやらすでに過去のものとなってしまった恋について歌われているのだが、それが妙に辛気くさいわけでもなくて、爽やかでノスタルジックでありながらも、強い芯のようなものも感じられて、なんとも味わい深い楽曲になっていてとても良い。
HONEY/L’Arc〜en〜Ciel(1998)
L’Arc~en~Cielの10作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングで7位を記録した。
「花葬」「浸食~lose control~」と共にシングル3作同時発売という何やらとてつもなくすごいことをやっていて、しかもそのすべてがしっかり売れてしまうという、なかなかの無双状態であったことには間違いがない。
中でも最もポップでキャッチーだったのがこの楽曲であり、特に「かわいた風をからませ あなたを連れてくのさ」のくだりなどはかなり最高である。いわゆるポップ感覚の最たるものとでもいうべき速さを、当時のL’Arc~en~Cielは体現していたわけであり、その感じを最もエッセンシャルに実感できるのがこの楽曲だということができる。
終わりなき旅/Mr.Children(1998)
Mr.Childrenの15作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。
実は少しの間、バンドとしての活動休止をしていたのだが、それ明けにリリースされた最初のシングルであり、新章開幕的なムードもあたような気がする。
適度な痛みをかかえながら、それでも前へと進んでいこうという程度のメッセージ性が一般大衆的には大いに受けたのではないかというような想像が、実際にはできなくもない。
スモーキン・ビリー/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(1998)
thee michelle gun elephantの10作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高13位を記録した。
いわゆるJ-POPのメインストリームをほとんどまったくといっていいほど意識してはいなく、どちらかというとイギリスのドクター・フィールグッド的なパブロックと呼ばれるようなタイプの音楽をやっていたのがthee michelle gun elephantであり、それゆえに洋楽をメインに聴いているリスナーたちからもわりと支持されていた。
とはいえ、オリコン週間シングルランキングで最高13位までも上がっていたのだと改めて知るにつけ、一体何が起こっていたのだろうかという気分にはなる。
とにかくJ-POPとはほとんど関係がないところで、ただただカッコいいロックンロールチューンなのだが、これがある程度のポピュラリティーを得ていた事実に尊いものを感じるしだいである。
Automatic/宇多田ヒカル(1998)
宇多田ヒカルのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングでは8cm盤が最高4位、12cm盤が最高2位を記録した。両方を合算すると実質的に1位だったようだが、当時のランキングにおいては別々に集計していたようなので仕方がないともいえる。
とにかく当時15歳の天才シンガーソングライター現るで、実はあの藤圭子の娘らしいなど、話題沸騰だったわけだが、次第にかなり売れまくって。日本のポップミュージック史上においてもかなり重要な楽曲と見なされるようになる。
ヒップホップを通過したR&Bにインスパイアされたと思しきサウンド、適度にウェットなボーカルもとても良く、しかもテーマは恋をした時の気分である。個人的にはこれを欧米のポップミュージック史におけるザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」と同レベルに重要だと感じずにはいられない。