邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1997, Part.3

硝子の少年/Kinki Kids(1997)

Kinki Kidsのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで3週連続1位、年間シングルランキングでは2位を記録した。

ジャニーズ事務所所属のアイドルとしてすでに何年も活動していて、日本武道館でコンサートを行うほど人気もあったKinki Kidsにとって満を持してのCDデビューであり、アルバム「A album」との同時発売であった。

作詞の松本隆と作曲・編曲の山下達郎にはジャニーズ側からミリオンセラーになりうる楽曲を要求され、相当なプレッシャーの下に制作されたといわれる。

当時のJ-POPにおける主流ではまったくなかったマイナー調のメロディーは当初、関係者などから暗すぎると言われたりもしていたようだが、実際には幅広い年齢層のリスナーから支持され大ヒットとなった。

Raspberry/TRICERATOPS(1997)

TRICERATOPSのデビューシングルとしてリリースされた楽曲である。

オリコン週間シングルランキングでは圏外だったのだが、佐野元春が絶賛するなど当時から評価は高く、印象的なギターリフや和田唄の甘いボーカルなど、ポップソングとしての魅力に満ち溢れている。

「ラズベリー踊ろうよ それで全てうまくいく」と歌われているように、踊れるロックとしての性能は抜群なわけだが、当時これを「ラズベリーを獲ろうよ」と空耳して性愛的なことをダブルミーニング的に歌っていると思っていたリスナーも少なからずいたようである。

今宵の月のように/エレファントカシマシ(1997)

エレファントカシマシの15作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高8位を記録した。

デビュー以降、一部では大絶賛され熱心なファンも少なからず存在していたのだが、その尖り具合などからセールス的には苦戦し続け、孤高の存在となりつつあったのだが、レーベルを移籍して以降、よりキャッチーな音楽性にシフトしていき、オリコン週間シングルランキングにもランクインするようになっていった。

そして、フジテレビ系のドラマ「月の輝く夜だから」の主題歌としてリリースされたこの曲がバンドにとって初のトップ10ヒットとなり、その知名度を上げていくことになった。

音楽性が変化したといっても大衆に迎合して日和ったというわけではなく、必然的な成長の結果こうなったところがとても良く、ポップでキャッチーでありながら実に味わい深くもある。

パラシューター/Folder(1997)

Folderのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。

沖縄アクターズスクール出身の小中学生男女7名によるダンス&ボーカルグループで、三浦大知や満島ひかりなども所属していた。フジテレビ系の子供向け番組「ポンキッキーズ」にも、安室奈美恵と鈴木蘭々のシスターラビッツに替わってレギュラー出演していた。

SMAP「SHAKE」なども手がけた小森田実によるハウスミュージック的でとてもカッコいいサウンドや、ジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンを思わせもするDAICHIこと三浦大知の伸びのあるボーイソプラノなどがとても良い。

HOWEVER/GLAY(1997)

GLAYの12作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで通算5週1位を記録したり、「第30回日本有線大賞」で大賞を受賞したりした楽曲である。

函館出身のヴィジュアル系ロックバンドと知られ、この時点ですでにアルバム「BEAT out!」「BELOVED」、シングル「口唇」がオリコンで1位に輝くほど売れてはいたのだが、このラヴバラードの大ヒットで一般大衆的にも人気バンドとして認知されたような気がする。

バンドのギタリストであるTAKUROがロンドン滞在中に作詞・作曲した楽曲で、どうしてもシングルにしたかったのだが、当初は他のメンバーから不評だったようである。

「絶え間なく注ぐ愛の名を 永遠と呼ぶ事ができるなら」という歌詞が印象的だが、これはTAKUROが当時の恋人に対する思いを表現したもので、やはり「永遠」という単語が歌詞に入っている安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」にもインスパイアされたことを後に明かしている。

この曲を収録したGLAYのベストアルバム「REVIEW -BEST OF GLAY」はオリコン週間アルバムランキングで5週連続1位、年間アルバムランキングで1位を記録し、当時における歴代売上記録を塗り替えたと同時に、人気アーティストによるベスト盤ブームの先駆けにもなった。

出逢った頃のように/Every Little Thing(1997)

Every Little Thingの5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。

アイドルとして活動していたがそれほどブレイクすることもなく、一旦は学業に専念していた持田香織がやはり歌手として成功したいと願いエイベックスに直訴したしたことがきっかけで結成されたグループで、当初は伊藤一朗、五十嵐充との3人組であった。

持田香織の透き通るような歌声は切ないバラードでも真価を発揮するが、爽やかでアップテンポなこの曲などもとても良い。沖縄の宮古島で撮影されたミュージックビデオも含め、夏の気分を存分に感じさせてくれる楽曲である。

幸せな結末/大滝詠一(1997)

大滝詠一の14作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

フジテレビ系の月9ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌であり、大滝詠一のシングルとしては1985年の「フィヨルドの少女/バチェラー・ガール」以来、12年ぶりのリリースとなった。これは番組のプロデューサーである亀山千広からの熱烈なオファーによって実現したものである。

シングルのジャケットは大滝詠一のソロデビューアルバム「大瀧詠一」を思わせ、楽曲のタイトルも大滝詠一がかつて所属していた、はっぴいえんどのバンド名を和訳したものである。

音楽的には1981年の大ヒットアルバム「A LONG VACATION」で一般大衆的にも定着したナイアガラサウンドを再現しながらもアップデートしたような感じになっていてとても良い。

強く儚い者たち/Cocco(1997)

Coccoの2作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高18位を記録した。

沖縄出身のシンガーソングライターとして注目されたが、元々はバレエダンサー志望であった。どこか繊細で危うげなところが特徴でもあり、それは当時の日本を覆っていたムードにもわりとマッチしていたような気もする。

JALハワイキャンペーンのCMソングとしても起用されたこの楽曲には「飛魚のアーチをくぐって宝島が見える」ようなキラキラしたところがある一方で、「何も失わずに同じでいられると思う?」「あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ」というような何やら怖いことが歌われもする。

様々な解釈が可能であり、とてつもなく深いメッセージが込められているように感じられるのだが、同時にとても聴き心地が良くもあるという不思議な魅力を持った楽曲である。

収録アルバムの「クムイウタ」はオリコン週間アルバムランキングで1位を記録した。

歌うたいのバラッド/斉藤和義(1997)

斉藤和義の15作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高91位を記録した。

当時それほどヒットしたわけではないのだが、様々なアーティストや一般の人々などによって歌い、語られているうちにすっかり名曲としての評価が定着した印象である。

「歌うたい」とは歌を唄う人、つまりシンガー、歌い手のことであり、斉藤和義自身のことでもあるのだが、「愛してる」というこれまでどれだけ多くのアーティストによって歌われてきたか分からないほどによくあるフレーズが最も効果的に用いられた例の1つだといえる。

ある光/小沢健二(1997)

小沢健二の17作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高21位を記録した。

祖父である下河辺孫一の死に際してつくられた楽曲だといわれる。フルバージョンは8分16秒と、シングル曲としてはかなり長い。そして、アルバム「LIFE」の1曲目に収録され、先行シングルでもあった「愛し愛され生きるのさ」以来となるセリフを含む楽曲であった。

そこでは、「神様はいると思った」「僕のアーバン・ブルースへの貢献」などと語られていた。「渋谷系」の王子様的にポップアイコン視しがちな周辺の喧騒はすでに落ち着いていて、このポップでありながら文学的かつ本質的な楽曲がリリースされるのだが、翌年のシングル「春にして君を想う」をリリースした後に音楽活動を休止し、拠点をニューヨークに移すのであった。