邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1995, Part.1
冬へと走り出そう/かせきさいだぁ(1995)
かせきさいだぁのデビュー12インチ5曲入EP「かせきさいだぁ」に収録され、後にアルバム「かせきさいだぁ」にも再発された際に追加された楽曲である。
ヒップホップグループのTONEPAYSを解散した後、かせきさいだぁとしての活動を開始、ヒップホップのアプローチでポップスをやりたいという考えを具現化したようなとても良い曲である。
トラックはホフディランのワタナベイビーに、アズテック・カメラを一度だけ聴かせてつくってもらったという。タイトルはネオアコの名盤として知られるアズテック・カメラのデビューアルバム「ハイ・ランド、ハード・レイン」からシングルカットもされた「ウォーク・アウト・トゥ・ウィンター」が由来であろう。
「週刊少年チャンピオン」連載の石井いさみによる漫画「750ライダー」にはじまり、「アスピリン片手のジェットマシーン」は佐野元春「Happy Man」、「煙草の匂いのシャツにそっと寄り添う」は松田聖子「赤いスイートピー」、「shout to the top」はザ・スタイル・カウンシル、「そんな気分なのです」ははっぴいえんど的なです・ます調といった具合に、引用元も当時のリスナーにとって身近なものが多くとても良かった。
ただし「すすめ海賊とともに」はおそらく江口寿史「すすめ!!パイレーツ」ではないかと考えると、同じ作者による漫画「ストップ!!ひばりくん!」で佐野元春「Happy Man」のこの部分が街で流れているというコマがあったりもしたため、こっちからの引用という可能性もありうる。
ELASTIC GIRL/カヒミ・カリィ(1995)
カヒミ・カリィのファーストミニアルバム「My First Karie」の1曲目に収録された楽曲である。
ウィスパーボイスが特徴的な「渋谷系」の歌姫として知られる。無国籍的にも感じられるアーティスト名は、本名のアナグラムとなっている。フリッパーズ・ギターが監修したコンピレーションアルバム「FAB GEAR」で嶺川貴子とのユニット、Fancy Face Groovy Nameで参加後、瀧見憲司が主催するクルーエル・レコードからソロアーティストとして作品を発表していたが、このミニアルバムからは小山田圭吾が立ち上げたトラットリアレーベルからもリリースするようになる。
英語の歌詞はカヒミ・カリィとブライアン・バートン・ルイスによるもので、作曲は小山田圭吾が手がけている。趣味的でありながら、これがある一定レベルではトレンドとしてメジャーに取り上げられてもいたわけである。これらの音楽は「渋谷系」などと呼ばれ、令和6年1月現在はMEGAドン・キホーテ渋谷本店となっているHMVなどをそのメッカとしていた。
個人的には当時、カヒミ・カリィを最も美しい女性だと思っていて、CDはもちろん掲載された雑誌まで見つけしだい買ってしまうほどのミーハーなファンであった。
ロビンソン/スピッツ(1995)
スピッツの11作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位、年間シングルランキングでは9位を記録した。
良質なギターロックバンドとして次第に注目をあつめがちではあったのだが、この曲のヒットで一気に国民的人気バンドとして知られるようになり、以来その状態を保持し続けている。
フジテレビ系で平日の夕方に放送されていた「今田耕司のシブヤ系うらりんご」のエンディングテーマという微妙なタイアップは付いていたものの、それほど派手なプロモーションが行われたわけではなく、楽曲そのものはギミックのないただただ良質なギターロックであり、バンドメンバー自身もいつものわりと地味な曲という印象だったようなのだが、これがものすごく売れてしまった。
その理由についてはいまだに明確には解明されていないような気もするのだが、そのハイクオリティーでありながらポップでキャッチーな魅力には間違いがなく、個人的には当時特に熱心に聴いていたわけでもないのに、夏休みにいとこたちと行ったカラオケ店で普通に歌えてしまったことによって、それを強く実感したりもした。
黄昏‘95〜太陽の季節/TOKYO NO.1 SOUL SET(1995)
TOKYO NO.1 SOUL SETのファーストフルアルバム「TRIPLE BARREL」から先行シングルとしてリリースされた楽曲である。
スチャダラパーらと共にリトル・バード・ネイションと呼ばれる当時のヒップホップグループ一派にも参加していた。BIKKEによるポエトリーリーディング的ともいえるラップと文学的なライムが特徴的であり、他のヒップホップグループとは一線を画していたような印象がある。
この曲はアイズレー・ブラザーズによるアウティーヴン・スティルス「愛の賛歌」をサンプリングしていることなどでも話題になっていたような気がする。
強い気持ち・強い愛/小沢健二(1995)
小沢健二の7作目のシングルとして「それはちょっと」との両A面でリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。
当時の小沢健二といえばすでにポップアイコン化しまくっていて、トヨタカローラⅡのCMソング「カローラⅡにのって」がオリコン週間シングルランキングで最高2位を記録するなど、すっかりメインストリームにおいてもメジャーな存在となっていた。
そして、この楽曲ではあの歌謡ポップス界の大御所、筒美京平に作曲を依頼し、その成果はコンテンポラリーなポップソングとして素晴らしいものであった。
バブル景気はすでに終わっていたものの、一般庶民にはまだそれほど深刻には実感できていなく、わりとお気楽なムードも漂ってはいて、そういった背景での「渋谷系」ブームでもあったわけだが、おそらくは不安も少しずつには押し寄せていたのだろう。
このシングルは阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件との間にリリースされているのだが、この少し後あたりから、日本社会は様々な理由による暗い影に覆われていくようになる。それだけに、この曲で歌われる「今のこの気持ちほんとだよね」というような確信は尊いもののように感じられる。
WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント〜/H Jungle with t(1995)
h Jungle with tの最初のシングルで、オリコン週間シングルランキングで7週連続1位、年間シングルランキングではドリームズ・カム・トゥルー「LOVE LOVE LOVE/嵐が来る」に次ぐ2位を記録した。
アーティスト名の「h」は人気お笑いコンビ、ダウンタウンの浜田雅功、イギリスのクラブシーンから生まれ、ダンスミュージックのトレンドとなっていたジャングルを取り入れた楽曲で、「t」は作詞・作曲・編曲を手がけた小室哲哉のことである。
ダウンタウンがMCを務める音楽バラエティー番組「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」に小室哲哉がプロデュースした「恋しさと せつなさと 心強さと」をヒットさせた篠原涼子が出演した際に、浜田雅功が冗談で小室哲哉に楽曲提供を依頼したことがきっかけで制作された。
歌詞は当時大人気で超多忙をきわめていたであろう浜田雅功のイメージにもマッチしていながら、より汎用性の高い応援ソングとしても機能するようなタイプのものであり、それゆえに幅広い層から支持され、サラリーマンのカラオケなどでもよく歌われていたような気がする。
風になりたい/THE BOOM(1995)
THE BOOMの16作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。
アルバム「極東サンバ」からのシングルカットで、スカを取り入れたビートパンク的なバンドとして知られていたTHE BOOMが沖縄音楽的な「島唄」のヒットを経て、今度はブラジル音楽に接近し、新しいタイプの邦楽ポップソングを完成させた。
「天国じゃなくても 楽園じゃなくても あなたに会えた幸せ感じて 風になりたい」というシンプルだが強いメッセージが繰り返し歌われ、心地よくリラックスしていながらも肯定感を感じさせるとても良い曲である。
2009年にはフジテレビ系のお笑バラエティー番組「爆笑レッドシアター」に出演していたお笑い芸人たち(狩野英孝、しずる、ジャルジャル、はんにゃ、フルーツポンチ、柳原可奈子、ロッチ、我が家)によるグループ、レッドシアターズのカバーバージョンがオリコン週間シングルランキングで最高7位のヒットを記録している。
CANDY GIRL/hitomi(1995)
hitomiの3作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高15位を記録した。
モデルやタレントとして活動していたhitomiが小室哲哉のプロデュースで歌手としてもデビューし、この曲のヒットでブレイクを果たした。
歌詞はhitomi自身によるものであり、雑誌で見た海外モデルのファッショングラビアにインスパイアされている。「私は世界中でたった一人前向き」だよというフレーズが特に印象的であり、CDシングルジャケットでもタイトルと「TETSUYA KOMURO PRODUCE」という説明との間に掲載されている。
この当時は邦楽ロック&ポップス史的には「渋谷系」の印象がひじょうに強いのだが、熱心な音楽ファンではないより幅広い一般大衆にとっての渋谷の雰囲気をより反映しているのはこの曲あたりなのではないか、というような気もする。