邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1994, Part.2
歩いて帰ろう/斉藤和義(1994)
斉藤和義の4作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高60位を記録した。
フジテレビ系の子供向け番組「ポンキッキーズ」のオープニングテーマ曲として使われたことにより多くの人々に聴かれ、斉藤和義にとって最初のヒット曲となった。
「走る街を見下ろしてのんびり雲が泳いでく 僕は歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう」などと歌われる前向きな楽曲として知られ、2015年には「FNS25時間テレビ」のメインテーマ曲やスズキラパンのCMソングとして起用されることにより、より多くのリスナーを獲得した。
とはいえ、実はこの曲は「星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!」で番組終了直前での5週勝ち抜きがきっかけでデビューはしたものの、「四畳半では狭すぎる」なるキャッチコピーが付けられ、不本意なイメージや音楽活動を続けざるをえなかった当時の状況に対しての怒りをベースにしたものだったという。
ラブリー/小沢健二(1994)
小沢健二のアルバム「LIFE」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。
「LIFE」収録曲の中でもおそらく最も有名な曲だが、先行シングルはこの曲ではなく「愛し愛され生きるのさ/東京恋愛専科・または恋は言ってみればボディー・ブロー」であった。
それまでのマイルドにシリアスな印象から一転し、一気にポップでキャッチーに弾け、それは音楽性のみならずキャラクターにまで至り、テレビ出演なども通じていわゆる「渋谷系」の王子様的なイメージが浸透していった。
音楽的にはベティ・ライト「クリーン・アップ・ウーマン」からインスパイアされたと思われるイントロをはじめ、ソウルミュージック的な印象が強く、「君と僕とは恋におちなくちゃ」といった確信的な感じもとても良い。
個人的には当時、勤務していた広告代理店の上司や先輩たちとカラオケ店(カラオケボックスではない)に行った時に、「渋谷系」などとはおそらく距離を取っていたであろう熱烈な阪神タイガースファンの先輩がパチンコの景品として「LIFE」のCDを入手したらしく、「ラブリー」を歌って「Oh baby」のところで王貞治の一本足打法のポーズをしていたことなどが思い出される。
この当時の小沢健二のポピュラリティーというのは、そのレベルにまで達していたということである。
恋しさと せつなさと 心強さと/篠原涼子 with t.kokoro(1994)
篠原涼子のソロアーティストとしては4作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングではMr.Children「innocent world」、広瀬香美「ロマンスの神様」に次ぐ3位を記録した(累計売上では上記2曲を上回っている)。
在籍していたアイドルグループ、東京パフォーマンスドールにも楽曲を提供していた小室哲哉が作詞・作曲・編曲・プロデュースを手がけたことから、篠原涼子 with t.komuro名義となっている。タイトルの「恋しさ」は「こいしさ」ではなく「いとしさ」と読む。
アーケードゲームを原作としたアニメーション映画「ストリートファイターⅡ MOVIE」のテーマソングとして制作され、登場キャラクターの春麗がイメージされている。
フジテレビ系のバラエティー番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」にレギュラー出演していたことによって、世間一般的にも顔が売れてきていた篠原涼子はこの曲のヒットによってシンガーとしても一気に知名度を上げることになった。
その後は人気女優としての地位も確立していくのだが、2022年には新録音バージョンとなる「恋しさと せつなさと 心強さと 2023」をリリースし、「NHK紅白歌合戦」にもオリジナルがヒットした年以来の出場を果たした。
Rosier/LUNA SEA(1994)
LUNA SEAの3作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。
ヴィジュアル系と呼ばれるバンドの中でも特に人気が高いうちの1つで、ゴシックロックやポストパンクなどから影響を受けた音楽性やファッションが特徴っだる。
ミュージックビデオは「第36回日本レコード大賞」において、最優秀プロモーションビデオ賞を受賞したりもしている。
Edo River/カーネーション(1994)
カーネーションの5作目のアルバム「EDO RIVER」の1曲目に収録された楽曲である。
1983年からこのバンド名での活動を開始し、最初のシングル「夜の煙突」をナゴムレコードからリリースしたり、後にそれを森高千里がカバーして話題になったりもした。そして、レーベルを日本コロムビアに移籍して最初にリリースしたのがこのアルバムであった。
ロックやポップス、ソウルにヒップホップなど様々なジャンルの音楽から影響を受け、マニアをうならせもするが、ポップ感覚にも秀でている。それで音楽メディアから好意的に取り上げられたり、FMステーションのパワープレイに選ばれたりもしがちであった。
とても洒落ていてカッコいい音楽ではあるのだが、「あぁ 東京から少しはなれたところにすみはじめて ゴメン ゴメン ゴメン ゴメン」と確実に苦みばしっているところなどがとても良い。
DA.YO.NE/EAST END x YURI(1994)
EAST END x YURIのファーストシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。
東京パフォーマンスドールのメンバーであった市井由理のライブに友人のヒップホップグループ、EAST ENDがゲスト出演したことがきっかけで結成された。インディーズからリリースされたミニアルバム「denim-ed soul」にまずは収録され、後にメジャーからシングルが発売された。
当初はそれほど売れていなかったのだが、北海道のラジオから火がつき、やがて全国的なヒット曲となった。ヒップホップのシングルとしては、日本で初のメジャーヒットかもしれない。若い男女のナチュラルな会話がラップになっているようなところが、そのコミカルでありながら共感できるところも含め、大いに受けていたような気がする。
この曲のヒットを受けて、日本各地で様々なグループがご当地バージョンをリリースし、大阪のWEST END x YUKI (from O.P.D.)「SO.YA.NA」のオリコン週間シングルランキング最高6位をはじめ、そこそこ売れたりもしていた。
当時は著作権に対する認識がそれほど高くはなかったのか、ジョージ・ベンソン「ターン・ユア・ラヴ」が無断でサンプリングされていたということなのだが、後に使用料をちゃんと支払っている。
夜桜お七/坂本冬美(1994)
坂本冬美の12作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高24位を記録した。
歌人の林あまりが作詞をしたことでも話題になったのだが、演歌としてはなかなかプログレッシヴな音楽性がなんといっても際立っている。
江戸時代前期の日本女性、八百屋お七をモチーフに現代の主張する女性像を歌っているようにも感じられる。
演歌的な歌唱で「さくらさくら」を思わせるメロディーが歌われるところなどが印象的なのだが、かと思えばポップス的なブラスサウンドが聴かれるところなどもあり、ポップソングとして実に味わい深い。
「NHK紅白歌合戦」でも何度か歌唱されたり、ポップスファンからもわりと評価されがちな、演歌のモダンクラシックとはいえるような気がする。