邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1986, Part.1

冬のオペラグラス/新田恵利(1986)

新田恵利のデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで4週連続1位、「ザ・ベストテン」では最高2位を記録した。

おニャン子クラブの会員番号4番で、1番から3番までは不祥事ですでに在籍していなかったため、最初期メンバー的な印象もあった。素人女子高生集団的な売り出し方だったような気はするのだが、メンバー全員が必ずしもそうでもない中、新田恵利はその素人っぽさも含めてコンセプトに合っていた。そして、実際に人気があった。

それで、河合その子、吉沢秋絵に次ぐソロデビューとなるわけだが、フィル・スペクター的なウィンターソングを狙ったつもりが歌唱力があまりにも破壊的だったため、それはそれで味があるかなり良い感じになったのではないかと思える。

特に「イェイイェイイェーイ、ウォウォウォウォー」のところ。この良さを共有できる人たちとこそ、個人的にはポップスの話が心の底からできるような気がする。

バナナの涙/うしろゆびさされ組(1986)

うしろゆびさされ組の2作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」では最高5位を記録した。

これもまたおニャン子クラブからの派生ユニットで、会員番号16番の高井麻巳子と19番の岩井由紀子からなるデュオである。高井麻巳子はおニャン子クラブ卒業後、ソロアイドルとしてバリバリに大活躍中に突然、秋元康と結婚引退して当時のファンにトラウマ的なショックをあたえたことなどでも知られる。

それはそうとして、この曲はマイルドにラテン的なノリでナンセンスなのか意味ありげなのかよく分からないタイプの歌詞が歌われ、少し切なげなところもあるという素晴らしい内容でとても良い。

My Revolution/渡辺美里(1986)

渡辺美里の4作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」で最高4位を記録した。

TM NETWORKの小室哲哉が作曲家として他のアーティストに提供し、大ヒットを記録したごく初期の楽曲である。

優等生的でもありながら適度にレジスタンスな具合がちょうどいいというのか、当時の気分にジャストフィットしていたようなところもあり、支持層は尾崎豊とかなり被っていたような気もする。

サルトルで眠れない/早瀬優香子(1986)

早瀬優香子のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高86位を記録した。

女優としても活動していたが歌手としてはウィスパーボイスが特徴のコケティッシュなボーカルがとても良く、カヒミ・カリィも影響を受けたというようなきとを言っていたような気がする。

80年代半ばあたりにニューアカデミズムブームみたいなものがあり、一部の若者たちが難しい思想書を読んだり、「朝日ジャーナル」で筑紫哲也の「若者たちの神々」に取り上げられたり、新人類などと呼ばれたりもしていた。

「サルトルで眠れない」というタイトルのこの楽曲はそのような時代背景を反映したものであり(「サルトルを愛してる 哲学してる二人よ」)、作詞はおニャン子クラブに「友達より早くエッチをしたいけど」と書いていたのと同じ秋元康である。

くちびるNetwork/岡田有希子(1986)

岡田有希子の8作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで初の1位、「ザ・ベストテン」で最高4位を記録した。

カネボウ化粧品のCMソングで作詞は事務所の先輩でこの当時は結婚後の休業中であったSeikoこと松田聖子、作曲は坂本龍一である。

テクノ歌謡的な楽曲であり、「ねぇ…誘ってあげる ロマンティックに」などと歌われ、デビュー当時のキャンパスポップ路線よりもかなり大人のムードが感じられる。

これが岡田有希子にとって生前最後のシングルとなり、個人的に収録アルバム「ヴィーナス誕生」を買ってはいたものの、ショックのあまり聴けない状態が30年ぐらい続いていた。アイドルについて書くのをきっぱりやめてしまった音楽評論家もいる。

やっとまともな精神状態で聴くことができるようになってから、実はそれほど経ってもいないのだが、改めてとても良い曲だと感じた。

わがままジュリエット/BOØWY(1986)

BOØWYの3作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高39位を記録した。

もっと大きくヒットしていたのではないかという気がなんとなくしていたのだが、これを書く機械に初めてちゃんと調べてみて、この最高位だったことを知ったのであった。

当時、ロックにしてはあまりにも歌謡曲的すぎるのではないかなどと感じ、個人的にはまったく理解できていなかったのだが、おそらく新しいポップミュージックというのは中高生ぐらいがメインで夢中になっていて、その上の世代の人たちにはよく分からないのがちょうどいいのではないかというような気もなんとなくはしていて、そういった意味ではおそらくかなりの重要バンドである。

そして、いまではその良さもある程度までは分かるような気もするのだが、もちろん当時の若者たちほどではないし、その域に到達できることはおそらく一生ない。その上でとても良い曲だと思えるところが、この曲のすごさでもあるのだろう。

DESIRE -情熱-/中森明菜(1986)

中森明菜の14作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングでは石井明美「CHA-CHA-CHA」に次ぐ2位、「ザ・ベストテン」でも1位に輝いた他に、「第28回日本レコード大賞」で大賞受賞、他にもいくつかの音楽賞でグランプリや大賞に輝く無双状態であった。

「Get up, get up, get up, get up Burning love」と歌い上げられるところは、中森明菜の真骨頂といえるほど素晴らしいボーカルパフォーマンスでsる。

時の流れに身をまかせ/テレサ・テン(1986)

テレサ・テンの16作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高6位を記録した。

聴けば聴くほどとても良く、日本のポップミュージック史に残る超名曲だということが分かる。情熱を秘めながら、あくまでも品よく歌っているように思えるところもあるのだが、時として感情が溢れてしまっているようにも感じられる。

ガラス越しに消えた夏/鈴木雅之(1986)

鈴木雅之のソロアーティストとしてはデビューシングルにあたり、オリコン週間シングルランキングで最高15位を記録した。

作曲は大沢誉志幸、日清カップヌードルのCMソングである。そうなると思い出すのが大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」なのだが、この曲はそのアンサーソングにもなっているとのこと。

シティポップの発展系ともいえる、ほろ苦い大人のバラードである。

青いスタスィオン/河合その子(1986)

河合その子の3作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで2週連続1位、「ザ・ベストテン」で最高4位を記録した。

おニャン子クラブ卒業直前にリリースされたシングルで、なんとなくセンチメンタルな気分とヨーロピアンな雰囲気も感じられる楽曲である。

蝋人形の館/聖飢魔II(1986)

聖飢魔IIの最初のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高17位を記録した。

「お前も蝋人形にしてやろうか」のセリフと共に、おどろおどろしくもあるのだがコミカルでもあるポップ感覚が、そのビジュアル的なイメージともあいまって大いに受けたのだが、ハードロックとしてわりとちゃんとしていることでも支持をあつめた。