邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1982, Part.1

うなずきマーチ/うなずきトリオ(1982)

うなずきトリオのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高55位を記録した。

ツービートのビートたけし、島田紳助・松本竜介の松本竜介、B&Bの島田洋八という当時の人気漫才師たちから成るトリオであり、島田紳助がこの3人は漫才で相方が言ったことに対してうなずいているだけだというような発言をしたことなどがきっかけとなって結成された。

ちなみに島田洋七、ぼんちおさむ、西川のりおによるやかましトリオというのもあったのだが、これはあまり浸透しなかった。

作詞・作曲・編曲は大滝詠一で、ノベルティーソングとしてとても楽しい楽曲になっている。サーフロックのコンピレーションCDか何かでトラッシュメン「サーフィン・バード」の「Papa-oom-mow-mou-mou」というフレーズを初めて聴いた時、これは「うなずきマーチ」で歌われる「ナナナ ウナ ウナウナナ」の元ネタなのではないだろうかと感激したような気がする。

ビートきよしが叫んでいる「メモれー」は普通の日本語としてすっかり定着したのだが、「コピれー」「テプれー」などはまったくそうはなっていないようである。

SPARKLE/山下達郎(1982)

山下達郎のアルバム「FOR YOU」の1曲目に収録された楽曲である。このアルバムはオリコン週間アルバムランキングで1位、年間アルバムランキングでは中島みゆき「寒水魚」に次ぐ2位の大ヒットを記録し、鈴木英人のイラストが描かれたジャケットアートワークは当時のシティポップ的な感覚を象徴するものでもあった。「夏だ!海だ!タツローだ!」的なムードも一気に高まっていったような気がする。

当時は「FOR YOU」からシングルカットが1曲もされていなかったのだが、プロモーション用の1曲といえばB面1曲目の「LOVELAND, ISLAND」だったような気がする。この半年後にリリースされたベストアルバム「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」にも「FOR YOU」からはこの曲と「YOUR EYES」が収録されていた。

しかし、当時アルバムを聴いていた人たちにとってはA面1曲目の「SPARKLE」の印象がひじょうに強いのではないかというような気がする。サントリービールのCMで間奏のところが使われていたのだが、それだけでは山下達郎の曲だとは分からず、アルバムを聴いてこれはあのCMのやつでそれだけでもかなりカッコいいのに、さらにしっかり歌まであるのか、というような気分にもなった。

チャコの海岸物語/サザンオールスターズ(1982)

サザンオールスターズの14作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では2週連続1位を記録した。

1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューしたサザンオールスターズはいきなりシングル5曲連続トップ10入りを果たし、すっかり人気者となったのだが、音楽制作に集中するために1980年以降はテレビなどへの出演を意図的に減らしていった。そうするとシングルのセールスは落ちていったのだが、アルバムは新作を出せば必ず1位という状態になり、すっかり音楽ファンが認めるアルバムアーティスト的な立ち位置になっていた。

そして、久々のシングルヒットでお茶の間にサザンオールスターズが帰ってきたと認識させたのが、昭和歌謡テイストのこの楽曲である。桑田佳祐の通常とはやや異なる唱法は、田原俊彦を意識したものだといわれていた。当時、桑田佳祐と原由子の結婚による祝福ムードも漂っていた。

赤いスイートピー/松田聖子(1982)

松田聖子の8作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」などで1位に輝いた。松任谷由実が松田聖子に初めて提供した楽曲であり、クレジットにはペンネームの呉田軽穂を用いている。作詞が松本隆で作曲が呉田軽穂こと松任谷由実、編曲が松任谷正隆で歌手が松田聖子と、全員の名前が「松」からはじまる。

「煙草の匂いのシャツ」というワードの使い方が絶妙であり、これが「何故 知りあった日から半年すぎても あなたって手も握らない」のくだりでさらに効いてくる。そして、「あなたと同じ青春 走ってゆきたいの」である。

松田聖子のヒット曲の中でも特に人気が高く、春に聴きたい楽曲としても知られる超名曲である。

い・け・な・いルージュマジック/忌野清志郎+坂本龍一(1982)

RCサクセションの忌野清志郎とイエロー・マジック・オーケストラの坂本龍一によるスペシャルユニットがリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。RCサクセションのギタリスト、チャボこと仲井戸麗市も参加している。

資生堂のCMソングとして使われていたこともあり、かなりヒットしたのだが、テレビの歌番組にも積極的に出演しては大暴れしていた。「ビックリハウス」「宝島」といった当時の雑誌が象徴するポップなサブカルチャー感覚がお茶の間化したようなところもあり、とにかくかなり痛快であった。

そして、「他人の目を気にして生きるなんてクダラナイことさ」というメッセージもしっかり含まれているところなどもとても良い。

駆けてきた処女/三田寛子(1982)

三田寛子のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高21位を記録した。

まずはタイトルなのだが、「処女」と書いて「おとめ」と読む。作詞は阿木燿子で作曲が井上陽水、所属レーベルのCBSソニーはポスト山口百恵的なアイドルとして、三田寛子を売り出そうとしていたようでもある。

京都出身で清楚系清純派アイドルのイメージがひじょうに強く、このシングルのジャケット写真も高校の制服を思わせるのだが、後に天然系のキャラクターが発覚したりもする。

「はにかみ屋さん 出ておいで」という歌詞のフレーズが象徴しているように、春めいてまったりとしたイメージが特徴的であり、この後の日本のアイドル勢力図もこの時点ではどうなるものやら検討もついていなかった。

個人的には当時の実家の近所に住んでいた世の中を斜めに見がちでアイドルなどは軽視しているような印象があったイギリスのロックバンド、ポリスファンの友人がなぜだか三田寛子にはどっぷりハマりまくっていたことなどが思い出される。

よりアップテンポで「去年の水着 胸がきついの」などと歌われるこの次のシングル「夏の雫」(編曲は坂本龍一)もとても良い。

北酒場/細川たかし(1982)

細川たかしの18作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高3位、年間シングルランキングでは最高5位、「ザ・ベストテン」では岩崎宏美「聖母たちのララバイ」を抑えて年間1位に輝いた。さらには「第24回日本レコード大賞」「第15回日本有線大賞」において大賞も獲得している。

個人的にアニメの主題歌や明らかに子供向けの曲などを除く、大人向けのヒット曲で生まれて初めて買ってもらったレコードが細川たかしのデビューシングル「心のこり」ということで、なんとなく思い入れもあったわけだが、このポップ演歌とでもいうべきライトな楽曲がここまで大ヒットしたことには少し驚かされたりもした。

赤道小町ドキッ/山下久美子(1982)

山下久美子の6作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では最高3位を記録した。

ライブシーンではすでにひじょうに人気があり、ホールコンサートで観客が一斉に立ち上がることから「総立ちの久美子」などとも呼ばれていた。また、「胸キュン」という言葉を発明した人物なのではないかともいわれている。

カネボウ化粧品のCMソングでもあったこの楽曲は最高のサマーポップとして大ヒットし、山下久美子はテレビの歌番組に本物の象に乗りながら登場したことなども懐かしく思い出される。作詞は松本隆、作曲・編曲は細野晴臣である。

あまく危険な香り/山下達郎(1982)

山下達郎の9作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。同タイトルのテレビドラマの主題歌である。

シティポップ的な楽曲なのだが、ドラマタイアップということもあってかやや大衆ポップス的でもあるとかろがかなり丁度いい。

レーベルの移籍などもあり、この年の夏にベストアルバム「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」がリリースされるのだが、それにもA面3曲目に収録されていた。

個人的には「FOR YOU」を買って持っていたものの貸した友人からなかなか返ってこなく、夏のはじまりにはまったく聴けなかったため、このベストアルバムの方がリアルタイムでの思い入れは深い。夏休みがはじまってすぐにクラスメイトたちと行った海辺でのキャンプでこのアルバムとビーチ・ボーイズの2枚組ベストアルバムとを録音したカセットテープをずっとラジカセで流していた。

ちなみにビーチ・ボーイズのレコードを買ったきっかけはこの年にデビューして、ファンクラブにも入っていた早見優の影響である。

渚のバルコニー/松田聖子(1982)

松田聖子の9作目のシングルでオリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」で1位に輝いた。作詞が松本隆で作曲が呉田軽穂こと松任谷由実、編曲は松任谷正隆という盤石の布陣である。

アイドルポップスというと音楽ファンからはまだまだ軽視されがちではあったのだが、当時の松田聖子のレコードというのは日本のポップミュージック界において屈指のクオリティーを備えているであろうことは疑いの余地がなかった。

松本隆の歌詞が天才的にすさまじく、「馬鹿ね 呼んでも無駄よ 水着持ってない」「キスしてもいいのよ 黙ってるとこわれそうなの」といったフレーズには当時、15歳であった個人的にも深刻に刺さりまくり、意味深な「そして秘密」には完全にノックアウトされたものである。

ねらわれた少女/真鍋ちえみ(1982)

真鍋ちえみのデビューシングルで、オリコン週間シングルで最高91位を記録した。

1980年に巻き起こった社会現象的ともいえるテクノブームはすでにすっかり終息していたのだが、それ以降の歌謡ポップスには明らかに影響をあたえ、後にテクノ歌謡などとも呼ばれる楽曲の数々を生み出したのであった。

「花の82年組」などとも呼ばれるように女性アイドル歌手のデビューが目立った1982年だが、オスカープロモーションの北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子の3人はパンジーと呼ばれ、主演映画「夏の秘密」(ビートたけしがラーメン屋の主人として出演している)などもあったのだが、レコードはそれぞれソロ歌手としてリリースしていた。

この曲は細野晴臣が作曲・編曲したテクノ歌謡で、大きくヒットはしなかったのだが愛好家の間での評価はひじょうに高く、個人的にも原稿を何度か掲載していただいたこともある伝説のミニコミ誌「よい子の歌謡曲」界隈でもかなり盛り上がっていた記憶がある。