サザンオールスターズ「メロディ(Melody)」【Classic Songs】
サザンオールスターズの23作目のシングル「メロディ(Melody)」は、1985年8月21日にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高2位、TBS系の「ザ・ベストテン」では「いとしのエリー」「チャコの海岸物語」「Bye Bye My Love(U are the one)」に次いで3曲目の1位に輝いていた。というよりは、サザンオールスターズの8作目にして初の2枚組アルバム「KAMAKURA」からの先行シングルというイメージが強い。アルバムのテレビCMでは、明石家さんまがこの曲を口パクで歌う映像が流れていた。
1985年9月14日に発売された「KAMAKURA」にははっきりと秋の印象が強いのだが、「メロディ(Melody)」については「今宵 雨の september」と9月のことが歌われているにもかかわらず、「いい女には forever 夏がまた来る」というだけあって、夏の終わりの気分がまだ感じられる。ちなみにサザンオールスターズが1983年にリリースしたアルバム「綺麗」に収録された「NEVER FALL IN LOVE AGAIN」は、「やけに9月の風が身体をしめらす」と、やはり9月について歌われているが、このアルバムが発売されたのはこの年の7月5日であった。
東京都文京区千石にあった大橋荘というアパートの部屋で、ラジカセから初めてこの曲が聴こえたのだが、それがすでに発売された後だったかそれ以前だったかはさだかではない。いずれにしても、もう夏も終わってしまうのだということは実感することができた。この年の終わりかけた夏についての楽曲といえば、松本伊代「ポニーテイルは結ばない」が6月21日には発売されていて、収録アルバムの「センチメンタル ダンス クラブ」も素晴らしかったのだが、ほとんど広く共有はされていなかった。このアルバムはサザンオールスターズ「メロディ(Melody)」と同じ1985年8月21日に発売され、巣鴨駅からそれほど遠くないところにあったDISC510こと後藤楽器店で買った記憶がある。その10日後あたる1985年8月31日にはRCサクセションのチャボこと仲井戸麗市の初ソロ・アルバム「THE 仲井戸麗市 BOOK」が発売され、やはりDISC510こと後藤楽器店で買ったのだが、これは本当に気に入りすぎていて、まるで宗教のようなテンションで聴きまくっていたような気がする。
RCサクセションはこの年の8月11日に埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場で「Alright Now」というライブをやっていて、それは見にいっていた。その数ヶ月前にテレビで深夜に放送していた丸井チケットセンターが提供のテレビ番組でこのライブについての告知があり、電話で先行で優先的にチケットの予約を受け付けると告知された。個人的にその年の春に旭川の高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめていたのだが、アパートの部屋に電話は引いていなかった。それで、10円硬貨を何枚も握りしめて、巣鴨駅の近くにあった電話ボックスに駆け込み、真夜中にメモした電話番号に何度もかけ続けた。当時の電話ボックスにはよく分からないあやしげなチラシのようなものがたくさん貼られていたのだが、外でそれを貼る係りのような人も待ち構えていて、一瞬だけそれらを貼るために電話ボックスを空けたりもした。数十分間ぐらいずっと電話をかけ続けて、やっとつながりチケットを予約することができた。念のためだが、携帯電話もインターネットもまだ一般的にはまったく普及していなかった時代の話である。
8月11日は日曜日で、昼間は雨が降っていたが、RCサクセションのライブがはじまる夜には晴れていたのでとても良かった。ここで仲井戸麗市が発売前の「THE 仲井戸麗市 BOOK」から「ONE NITE BLUES」を演奏したのだが、ブルージィーでとても良かった。そして、RCサクセションはやはり坂本九「上を向いて歩こう」のカバーを演奏し、ひじょうに盛り上がっていた。その翌日、日本航空123便墜落事故が起こり、犠牲者の中には坂本九もいたのであった。通っていた予備校がお盆で少しの間だけ休みだったので、あの間に旭川に帰省をした。高校3年の受験も押し迫った頃に、友人が好きな女子に告白をしたのだが、もちろん玉砕をしていたのである。そして、卒業寸前という時期に、その話をした時に相手の女子がクラスでいうと好きなタイプとして自分が挙げられていたという情報を入手していたため、積極的に話しかけるなどして、東京で一人暮らしをしてからは文通をしていた。東京でまだ友達もまだ誰一人としていなかった頃、大家の家の縁側に出されたポスト代わりの金魚鉢に彼女からの手紙が届いているかどうかが、日常生活における一大事にもなりえた。
それで、8月に帰省した時には久しぶりに会おうということになるのだが、ミュージックショップ国原で待ち合わせをした。それから、西武百貨店のどちらの館だったかはすっかり忘れてしまったのだが、2階にあったアメリカン・ボックスという抽象的なレストランで食事をした。平和通買物公園を適当に歩いていたのだが、在学中もそれほど仲がよかったわけでもなかったのに、卒業後に長文の手紙を送り合っていたことによって、逆に何を話せばいいのかよく分からなくなっていて、とりあえず適当な映画館に入ったのだが、「マッドマックス/サンダードーム」と「ポリスアカデミー2 全員出勤!」の2本立てという、デートムービーとしてはどうなのだというものを見た後で、書店や映画館などが入ったビルの上の方の階にあるジャズ喫茶、ガウスでお話をしたりしたのであった。そして、長崎屋のところのバス停留所で別れた。
飛行機で旭川空港から羽田空港に戻り、巣鴨駅に着いた頃は夜だったのだが、千石の方にある抽象的な定食屋で焼きナス定食のようなものを食べてから、大橋荘に戻ったと思う。母に公衆電話からで無事に着いたことを連絡すると、「頑張りなよ」と言われたので、これは頑張らなければいけないと思った。それから少しして、サザンオールスターズ「メロディ(Melody)」がFM放送の番組で流れるのを聴いた。それはカセットテープに録音をしたのだが、その行為のことを当時はエアチェックなどと呼んでいたはずである。サザンオールスターズといえば青山学院大学のイメージが強いわけだが、同じくピチカート・ファイヴについても、やはりそうだということができる。細野晴臣がプロデュースした12インチ・シングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でデビューするのが、サザンオールスターズ「メロディ(Melody)」が発売されたのと同じ1985年8月21日であった。この曲もやはりFM放送の番組でかかっていたのでエアチェックしたのだが、いきなり実験的すぎるうえにポップなところがとても素晴らしく、度肝を抜かれたことをよく覚えている。その数ヶ月後に青山学院大学に願書を出して、後に入学してしまうことにどれほど影響があったかは定かではない。
それはそうとして、サザンオールスターズ「メロディ(Melody)」なのだが、当時はまだ比較的目新しくも感じられていた打ち込みというかドラムマシンやシンセサイザーを主体としたサウンドに、サザンオールスターズ的とでもいうべき桑田佳祐の洋楽的なセンスと歌謡曲的なエッセンスとが絶妙なバランスを保っているようなメロディーと歌唱が相まって素晴らしいポップソングとして成立している。それはもちろんそれ自体でとても素晴らしいことではあるのだが、それに加えて夏が終わってしまうことについてのもの悲しさとでもいうような、多くの人々が共感できるであろう感覚を、失恋というテーマによってすくいあげ、さらには「いい女には Forever 夏がまた来る」「泣かないで マリア いつかまた逢える」と、救いすらもたらす。
この曲のレコーディング当時、原由子はすでに産休に入っていて、コーラスはジューシィ・フルーツのイリヤが歌っている。サザンオールスターズそのものも「KAMAKURA」のリリース後は活動休止に入り、桑田佳祐はKUWATA BANDでの活動をメインにしていく。サザンオールスターズはデビューからここまでの時点でオリコン週間シングルランキングで一度も1位を記録していなかったのだが、1986年にKUWATA BAND「スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)」が先に達成してしまった(サザンオールスターズがオリコン週間シングルランキングで1位に輝くのは1989年、すでに昭和は終わり平成になってから「さよならベイビー」によってであった)。この間に、1985年秋のプラザ合意をきっかけとして、日本はバブル景気に突入していったのであった。サザンオールスターズが次に新曲をリリースするのは、デビュー10周年を迎えた1988年、シングル「みんなのうた」によってであった。
サザンオールスターズ「メロディ(Melody)」は夏の終わりのバラードとして純粋に素晴らしいのだが、個人的な当時の記憶などとも相まって、さらに思い入れが強い曲になっていることは間違いがない。予備校に通いはじめたてから少し経った頃、たまたま近くの席に座っていた千葉県松戸市から通っていた男子と仲よくなるのだが、当時、放送されていたテレビドラマ「ふぞろいの林檎たちⅡ」の話などもしていた記憶がある。サザンオールスターズの音楽が全面的に使われていた。「KAMAKURA」のLPレコードを買った頃、大橋荘ではステレオの持ち込みが禁止されていたので、彼にレコードを貸してカセットテープにダビングをしてもらった。自分ではそのカセットテープでずっと聴いていて、レコードはいつか返してくれればいいと言っていたのだが、そのままお互いに別々の大学に入学してしまい、連絡先もどこかに行ってしまった。あの「KAMAKURA」のレコードは、千葉県松戸市の彼の家にずっとあったはずである。個人的に「KAMAKURA」は大学に入学した時に住みはじめた小田急相模原のイトーヨーカドーの斜め向かいあたりにあったレコードレンタル友&愛でCDを借りたのだが、数年後の夏休みに旭川に帰省した時にマルカツデパートで開催されていた中古レコードフェアのようなもので、2枚組LPレコードを確か1,000円で買い直した。松原みき「真夜中のドア~Stay With Me」、岩崎良美「ごめんねDarlin’」、サーカス「Mr.サマータイム」の7インチシングルなども一緒に買ったような気がする。