ローリング・ストーンズ「スタート・ミー・アップ」

「スタート・ミー・アップ」はローリング・ストーンズのアルバム「刺青の男」から最初のシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高7位、全米シングルチャートで最高2位を記録した。全米シングルチャートでの2位は3週連続だったのだが、1位を阻んだのはクリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」とダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」であった。全英シングルチャートで「スタート・ミー・アップ」が最高位の7位を記録した週の1位はソフト・セル「汚れなき愛」であった。

「刺青の男」は80年代のローリング・ストーンズを代表するアルバムとして知られるが、実質的には70年代にレコーディングした楽曲のアウトテイクをベースにいろいろ手を加えたものである。翌年にニューアルバムを引っ提げたライブツアーを予定していて、そのためのアルバムが必要だったのだが、メンバー間の関係性が悪化していたりもして、アルバム1枚分の新曲を用意するのは困難だったようである。

それで制作チームの人々は過去のアーカイブから使えそうな曲やフレーズなどをいろいろ探していったようである。「スタート・ミー・アップ」は1976年のアルバム「ブラック・アンド・ブルー」のセッション時にレコーディングされ、当時は「ネヴァー・ストップ」というタイトルでレゲエ調の楽曲だったのだが、何度もやり直しているうちにロックチューンになっていって1978年のアルバム「女たち」のために再レコーディングされたのだが、結局は使われなかったようである。

1981年の初めに「スタート・ミー・アップ」を新曲としてニューアルバムに収録するためのオーバーダブが行われるのだが、レコーディングスタジオのバスルームでマイクを取り付けたスピーカーを使ってボーカルとドラムスの一部を録音するという、バスルームリバーブを使うことによって、重低音をつくりだしている。

MTVはこの年の夏にアメリカで開局し、ポップミュージックにおける映像の重要度が増しつつあったのだが、ローリング・ストーンズもこれに対応してマイケル・リンゼイ=ホッグの監督で「スタート・ミー・アップ」のミュージックビデオが制作された。

この年のアメリカではREOスピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、ジャーニー「エスケイプ」、フォリナー「4」といった産業ロックのアルバムが大ヒットし、メインストリームのど真ん中になっていた。

そのような状況下にあって、ローリング・ストーンズのロックンロールの真髄とでもいうべき音楽は、ヒットチャートにおいて特別な光を放っていたような気がする。

「スタート・ミー・アップ」は後にローリング・ストーンズのライブにおいて、「サティスファクション」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「ブラウン・シュガー」などと並ぶ重要曲に育っていく。

「刺青の男」のジャケットはグラミー賞で最優秀アルバムパッケージ賞を受賞するのだが、ローリング・ストーンズがグラミー賞を受賞するのはこれが初めてのことであった。厳密にはデザイナーのピーター・コリストンに対してあたえられた賞ではあったのだが。

「刺青の男」は全米アルバムチャートで9週にわたり1位を記録するのだが、全英アルバムチャートではミートローフ「デッド・リンガー」に及ばず最高2位っであった。