ローリング・ストーンズ「刺青の男」について。

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1981年9月19日付の全米アルバム・チャートにおいて、ローリング・ストーンズの「刺青の男」がジャーニー「エスケイプ」に替わって1位に輝いた。ちなみにこの週の全米シングル・チャートで1位だったのはダイアナ・ロス&ライオネル・リッチー「エンドレス・ラヴ」であり、「刺青の男」からの先行シングル「スタート・ミー・アップ」は10月31日付から3週連続2位を記録するが、クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」に阻まれて1位には届かなかった。

1981年に全米アルバム・チャートで1位になったアルバムは、ジョン・レノン&ヨーコ・オノ「ダブル・ファンタジー」、REOスピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、キム・カーンズ「私の中のドラマ」、ムーディー・ブルース「ボイジャー~天海冥」、パット・ベネター「プレシャス・タイム」、フォリナー「4」、スティーヴィー・ニックス「麗しのベラ・ドンナ」、ジャーニー「エスケイプ」、ローリング・ストーンズ「刺青の男」、AC/DC「悪魔の招待状」の11タイトルであった。

「刺青の男」は全米アルバム・チャートでローリング・ストーンズが最後に1位を記録したアルバムだが、全英アルバム・チャートでは最高2位であった。その間、1位だったのはミートローフ「デッド・リンガー」である。

この年。イギリスではヒューマン・リーグ「愛の残り火」やソフト・セル「汚れなき愛」がシングル・チャートの1位になるなど、シンセ・ポップがかなり流行っていたのだが、アメリカではまだまだ産業ロックやカントリー、AORなどが強かった印象である。当時、中学生だった私もREOスピードワゴン、スティクス、ジャーニー、フォリナーなどのレコードを買い、これがロックなのだと思って聴いていた。翌年の正月、お年玉の余りで「刺青の男」のレコードを西武百貨店旭川店のレコード売場で買うのだが、先行シングルの「スタート・ミー・アップ」は勢いがあってかなり気に入っていた。

しかし、アルバムを聴いてみると、これはどうにも地味なのではないかという気がしてきた。特にバラードばかりが収録されているB面である。産業ロックばかり聴いていた耳にはそう聴こえても仕方がないところもあるのだが、せっかく買ったのでとにかく繰り返し聴いているうちに、なんとなく渋くて良いのではないかと思えるようになっていった。

そして、数ヶ月後にはローリング・ストーンズこそがロックンロールの真髄である、というような思想に染まるというあまりにも分かりやすいことになっていて、60年代や70年代のベスト・アルバムを買って聴きまくるのみならず、日曜日などに女子と個人的に待ち合わせをする時、ミュージックショップ国原のローリング・ストーンズの棚を指定するなどという、ひじょうに痛々しいことになっていた。

その後、オリジナルアルバムもひと通り聴いて、ローリング・ストーンズで特に優れたアルバムは「メイン・ストリートのならず者」や「レット・イット・ブリード」や「ベガーズ・バンケット」や「スティッキー・フィンガーズ」だと理解はするのだが、思い入れの面でやはり最初に買って、よく分からないながらも聴き続けているうちに次第に好きになっていった「刺青の男」は特別である。

ではあるのだが、実はこのアルバム、苦肉の策のアウトテイク集的なものがベースになっていると知り、驚かされた。ローリング・ストーンズのアルバムは出せば売れるので、レコード会社の収益のためにも出した方がいい。それで、出すことは決まっているのだが、音源がないという状態があったのだという。なんでもその頃、ミック・ジャガーとキーズ・リチャーズとの関係が特に険悪だったりもして、新曲をつくるような状況でもなかったらしい。それでも、ローリング・ストーンズのレコードを出さなければいけない。

それでどうしたかというと、過去のアウトテイク、つまりボツ曲の中から使えそうなものを寄せあつめ、オーバーダビングなどを施して完成させていったらしい。とはいえ、アウトテイクといっても完成していたけれども収録が見送られたわけではなく、未完成のものがほとんどだったらしく、そのレコーディングされた時期もかなりバラバラだったという。「刺青の男」をトータルで聴いても特にそんなことは感じないのだが、それはミキシング・エンジニアを務めたボブ・クリアマウンテンの手腕によるものだったようだ。

アルバムの1曲目に収録され、その後、「サティスファクション」「ブラウン・シュガー」などと並ぶライブの定番曲となる「スタート・ミー・アップ」だが、「ブラック・アンド・ブルー」の頃には元となる曲は存在し、「女たち」のセッションで録音されていたという。元々はレゲエの影響を受けたタイプの曲で、なかなか形にならなかったのだが、試しにロック的なバージョンでレコーディングしてみたのが、最終的には採用されたようだ。「お前は大人の男を泣かす」というフレーズが、ベテラン・ロック・バンドらしく、印象的であった。

「ハング・ファイヤー」は後にアルバムから3枚目のシングルとしてカットもされるのだが、「エモーショナル・レスキュー」のセッションからということで、比較的新しかったようだ。「全米トップ40」に「坂井隆夫のジョークボックス」というコーナーがあり、洋楽の曲が日本語のように聴こえるものをおもしろおかしく取り上げていたのだが、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」における「この歌はこんな風に聞こえる」や「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」よりも早くからやっていた。そこで、いわゆるハゲネタが投稿されたのだが、オチがこの曲のイントロで聴かれる「ツールル、ツルッ、ツールルッ、ツルッ」とも聴こえるやつであった。トレンディエンジェルの先がけともいえるかもしれない。「刺青の男」を国内盤で買ったので対訳もついていたのだが、この曲の訳詞で「くすぶる」という日本語を覚えたような気がする。

「奴隷」は「ブラック・アンド・ブルー」のセッションかららしく、なるほどブルーズからの影響が感じられる。ザ・フーのピート・タウンゼントがバッキング・ボーカルで参加しているらしい。そして、この曲と「ネイバーズ」「友を待つ」で参加しているソニー・ロリンズだが、ジャズ界ではひじょうに有名なミュージシャンである。「刺青の男」の制作にあたり、サックスをオーバーダビングしようという話になったのだが、サックス奏者のことをよく知らないミック・ジャガーがジャズ通のチャーリー・ワッツにアドバイスを求めたところ、ソニー・ロリンズの名前が挙がったらしい。チャーリー・ワッツはまさかそんな大御所がオファーを受けてくれるはずもないと思っていたのだが、スタジオに実際にソニー・ロリンズがいるのを見て、ミック・ジャガーのすごさを思い知らされたという。

「ネイバーズ」はこのアルバムのために書き下ろされた新曲で、ミュージックビデオも制作されたのだが、シングル・カットはされなかった。

B面の最後に収録され、2枚目のシングルとしてカットされた「友を待つ」は「トップス」と共に、「山羊の頭のスープ」のセッションで録音された楽曲がベースになっているという。この頃はロン・ウッドがまだ加入していなく、2人目のギタリストはミック・テイラーだったようなのだが、演奏の音源はオーバーダビング時にカットされているという。

女性を待っているわけではなくて、心が通い合う友達を待っているのだという歌詞が印象的であり、大人のロックを感じさせられるしサックスも最高である。

「刺青の男」がリリースされた時点で、たとえばミック・ジャガーは38歳だったのだが、当時の感覚として、ロックをやるにはかなりの高齢という印象であった。このアルバムがリリースに合わせて行われたライブ・ツアーの模様は「スティル・ライフ(アメリカン・コンサート’81)」というライブ・アルバムとして発売されたり、「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」という映像作品として映画館で公開されたりもした。スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」はオリジナルよりも先にこの時のローリング・ストーンズのカバーで知った。映画は旭川でも公開されたので見に行ったのだが、ミック・ジャガーがとても健康的だなと感じた。ローリング・ストーンズのベテランのファンからするといろいろ思うところがあったようだが、これ以前のことをリアルタイムではよく知らない私は、エンターテインメントとしてかなり楽しめた。

黎明期においてロックとは若者の音楽であり、「大人のロック」などというのは語義矛盾的でもあったのかもしれないが、かつてロックを聴いていた若者の中には大人になってからも卒業しない者もいて、ジャンルはリスナーと共に大人になっていった。「刺青の男」以降のローリング・ストーンズというのは「大人のロック」のロールモデルにもなったような気がする。

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