野口五郎「グッド・ラック」【Classic Songs】
野口五郎といえば70年代に郷ひろみ、西城秀樹と共に、新御三家として持てはやされていた。何の御三家かというと、男性アイドル歌手のである。ちなみにデュラン・デュランやカルチャー・クラブが第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンといわれるからには、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどによるブリティッシュ・インヴェイジョンが存在していたように、新御三家というからには新ではない御三家もあり、それは橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦であった。とはいえ、1978年といえばニューミュージックの時代であり、最も旬な御三家は世良公則、原田真二、Charのロック御三家であった。
1978年9月28日は木曜日で、日本テレビでは世界初の音声多重放送を開始したようなのだが、TBSテレビでは普通に21時から「ザ・ベストテン」を放送していた。この年の1月19日に放送を開始し、すでに大人気番組になっていた。1位は世良公則&ツイスト「銃爪」で、他にも堀内孝雄「君のひとみは10000ボルト」、アリス「ジョニーの子守唄」、サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」がランクインしていて、ニューミュージックの時代を感じさせる。10位は研ナオコ「窓ガラス」なのだが、中島みゆきが作詞・作曲したニューミュージック路線の楽曲であった。研ナオコがテレビでこの曲を歌う時には、まだ無名だったTHE ALFEEが演奏で出演することもあった。当時はTHE ALFEEではなく、カタカナでアルフィーという表記であった。
坂崎幸之助は所ジョージの「オールナイトニッポン」によく遊びにきていて、パーマをあてた髪の毛がコウノトリの巣のようだったからかどうかはまったく覚えていないのだが、坂崎こうのとりなどと呼ばれがちであった。所ジョージがかぐや姫のコンサートの告知をやっている時に、ギターを弾きながら南こうせつのものまねで「妹」を歌っていたりもした。それで、この坂崎こうのとりというのはどんな顔をしているのだろうと、興味深く研ナオコ「窓ガラス」でのテレビ出演時には注目していたことが思い出される。
ニューミュージック全盛の時代とはいえ、山口百恵「絶体絶命」、沢田研二「ヤマトより愛をこめて」、さらには西城秀樹「ブルースカイブルー」、野口五郎「グッド・ラック」、郷ひろみは樹木希林とのデュエット曲「林檎殺人事件」で新御三家が全員ランクインしているなど、歌謡ポップスの人気もひじょうに根強かった。しかも、そこそこキャリアを積んだビッグスターばかりであり、フレッシュアイドルがブレイクするのはなかなか難しい時代であった。それでもこの年に「夏のお嬢さん」をヒットさせた榊原郁恵などはひじょうに健闘していた印象がある。個人的にはもちろんこの頃からミーハーであったため、部屋の壁に「明星」か「平凡」の付録に付いてきた榊原郁恵の水着ポスターを貼っていた。
野口五郎「グッド・ラック」を当時はちょっと気取った感じの曲だなと思いながら聴いていたのだが、後にひじょうにシティ・ポップ的でカッコいい曲でもあったということに気づかされた。「レコード・コレクターズ」2020年6月号の「シティ・ポップの名曲 1973-1979」でも、シュガー・ベイブ「今日はなんだか」と鈴木茂「LADY PINK PANTHER」の間の60位に選ばれている。そして、その解説文のようなものによると、「グッド・ラック」には「今日はなんだか」と同じコード進行が用いられているということである。「グッド・ラック」の作曲は筒美京平である。山川啓介による歌詞がまたとても良く、眠っている女性に黙って出ていく男のダンディズムのようなものがテーマになっているのだが、「男は心にオーデコロンをつけちゃいけない」というフレーズが特に印象的である。
しかし、こういったタイプのテーマは今日ではあまり流行らないというか、良いものとされないような気がしないでもない。沢田研二が「カサブランカ・ダンディ」で「ボギー ボギー あんたの時代はよかった 男がピカピカの気障でいられた」と歌ったのは、この約5ヶ月後のことである。
野口五郎といえば日本テレビ系のバラエティー番組「カックラキン大放送!!」でのキャラクターなどから、新御三家の中でもコミカルな印象もひじょうに強かった。「甘い生活」「私鉄沿線」といったヒット曲によって、歌手としての実力はじゅうぶんに認められた上ではあったのだが、足が短いといじられがちだったりもした。デビュー曲が演歌の「博多みれん」であったことなども、わりと話題になっていたような気がする。これよりも後になると、80年代の初めにものまねタレントとしてブレイクするコロッケの初期の代表的なネタとして、野口五郎や岩崎宏美の高速ものまねがあった。コロッケが歌を真似するわけではなく、高速で流したレコードに合わせて動きのものまねをおもしろおかしくやるというところがひじょうに新しかった。野口五郎のものまねの時には、1979年にリリースされる「真夏の夜の夢」が使われがちであった。
「グッド・ラック」は「ザ・ベストテン」で最高6位、オリコン週間シングルランキングで最高4位のヒットを記録した。「ザ・ベストテン」にはこれ以降もランクインするのだが、オリコン週間シングルランキングではこれが最後にトップ10入りした曲となっている。1982年に「ザ・ベストテン」で最高5位を記録した、やはり筒美京平によるAOR的な楽曲「19:00の街」もオリコン週間シングルランキングでは最高16位であった。
70年代の小学校ではお楽しみ会というのがあり、グループに分かれて様々な出し物を発表し合うのだが、個人的にも当時、小学6年であり、わりと親しげであった男子や女子をあつめて「ザ・ベストテン」のパロディーをやった。台本も書いたのだが、野口五郎「グッド・ラック」のところではやはり「男は心にオーデコロンをつけちゃいけない」のところでオーデコロンのようなものを振りかけて大暴れするという、ひじょうにありきたりなことをやっていた。榊原郁恵が個人的に好きだったからという理由だけで、オリコン週間シングルランキングで最高15位、「ザ・ベストテン」にはランクインしなかった「Do it BANG BANG」を1位にしたことには賛否両論あり、大声で喜んでいた快活なタイプの榊原郁恵ファンの女子もいれば、後から冷静に批判をしてくる松山千春ファンの男子もいた。それにしても、この「ザ・ベストテン」のパロディーのようなもののタイトルが「しっちゃかめっちゃかベストテン」だったことは当時の気分をなんとなく思い起こさせもするし、さすがにそのセンスはないだろうと感じたりもする。
とはいえ、「グッド・ラック」は時代を超えてカッコよく、シティ・ポップとして再評価されがちですらある。サウンドは確かにシティ・ポップ的なのだが、ボーカルが独特なビブラートも含め、いかにも野口五郎らしい歌謡曲的なところもとても良い。イントロが聴こえた瞬間に当時の気分が甦るのだが、聴き続けていると、当時は気づくことができなかった音楽的な良さがいろいろと感じられ、ひじょうに味わい深いのであった。