スウェードの名曲ベスト10(The 10 Best Suede Songs)

スウェードは80年代の終わりにロンドンで結成されたインディーロックバンドで、1992年にデビューシングルが発売される以前からメディアで大きく取り上げられるなどしていた。イギリスではマッドチェスタームーヴメントの流行が終わり、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒットをきっかけとしたグランジロックブームがアメリカから広まってきていた。当時のインディーロックシーンに欠けていたクールでセクシーなスタイルや音楽性が特徴であったスウェードはインディーロック系のメディアやリスナーにまずはとても受けて、それはすぐに一般大衆にも広がっていった。アメリカのグランジロックに対抗するいかにもイギリス的なインディーロックは、同時期に登場したりブレイクした他のバンドの音楽やスタイルと共に、やがてブリットポップというムーヴメントへと発展していく。

1994年の初めにおいて最も注目されていたバンドであったスウェードだが、ブリットポップブームの主役はやがてオアシスとブラーに引き継がれていく。スウェードはブリットポップを代表するバンドの1つではあるのだが、その享楽的なムードとは一線を画すというか本質的に異なっていて、基本的にはアウトサイダー的な立場から表現を行っている。それが根強いファンダムを形成しているといえる。1999年代にリリースされた4作のアルバムのうち「スウェード」「カミング・アップ」「ヘッド・ミュージック」は全英アルバム・チャートで1位、「ドッグ・マン・スター」は最高3位のヒットを記録するが、2002年にリリースした「ニュー・モーニング」は最高24位に終わり、バンドは解散することになった。

2010年に再結成し、2013年にアルバム「ブラッドスポーツ」をリリースすると、これが全英アルバム・チャートで最高10位のヒットを記録する。その後、「夜の瞑想」が最高6位、「ザ・ブルー・アワー」が最高5位とリリースを重ねるごとに最高位を上げていき、2022年9月16日にリリースした「オートフィクション」ではついに最高2位を記録した。その週の全英アルバム・チャートでは1位がBLACKPINK「BORN PINK」、3位がリナ・サワヤマ「ホールド・ザ・ガール」と、トップ3のうち2作をアジア出身のアーティストが占めることになったわけだが、その間の2位がいかにもイギリスらしいスウェードというのがまた味わい深い。

今回はそんなスウェードの楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選んでカウントダウンしていきたい。

10. Saturday Night (1997)

1994年にスウェードからバーナード・バトラーが脱退した時、もしかするとバンドはもうあまり良くなくなってしまうのではないかと思っていた人たちも少なくなかった。バーナード・バトラーは単にスウェードのギタリストというだけではなく、ブレット・アンダーソンとのソングライターコンビはたとえばザ・スミスのモリッシーとジョニー・マーのようなものだと考えられてもいたからである。ザ・スミスはジョニー・マーの脱退がきっかけで解散することになった。ところが、バーナード・バトラーの後にギタリストとして加入したリチャード・オークスがすごい才能を持っていた。当時まだ17歳で、スウェードからバーナード・バトラーが脱退するのを知ると、すぐに応募したという。

バーナード・バトラー在籍時の楽曲にあったエクスペリメンタルなところは薄まったのだが、よりポップでキャッチーな楽曲が次から次へと生まれ、それらが凝縮されたアルバム「カミング・アップ」からは、5曲のトップ10ヒットが生まれた。この音楽性の変化はブリットポップのムードにもひじょうに合っていたように思える。アルバムの最後に収録されたこの曲は3作目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高6位を記録した。ブリットポップブームに乗っていたとしても、スウェードの音楽には根底にいつも悲しみがある。土曜日の夜には少しでもましな気分になろうとすることに切実な人々の感情に訴える、とても美しいバラードである。ロンドンの地下鉄で撮影されたミュージックビデオもとても良い。

9. So Young (1993)

スウェードのデビューアルバム「スウェード」は1993年3月29日にリリースされ、全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。1984年のフランキー・ゴーズ・ハリウッド「ウェルカム・トゥ・プレジャードーム」以来、最も速く売れたデビューアルバムなどともいわれていたような気がする。その1曲目に収録されていたのがこの曲であり、後にシングルカットされ全英シングル・チャートで最高22位を記録した。タイトルがあらわしているように若さがテーマになっていて、ドラゴンを追いかけようなどとも歌われている。ありふれた若さこそが実は最もロマンティックでもありうるということが、ポップミュージックというフォーマットによって表現された、ひじょうに文学的でありながら欲望や衝動に肯定的な楽曲である。

8. Killing of a Flashboy (1994)

90年代に発売されたスウェードのオリジナルアルバムで、「ドッグ・マン・スター」だけが全英アルバム・チャートで1位になっていないのだが、最も評価が高いのもこれだったりはする。スウェードの初期のシングルはカップリング曲にもとても良いものが多いことに定評があり、これらをまとめたコンピレーションアルバム「サイ・ファイ・ララバイズ」の特に1枚目などはひじょうに充実している。

「ウィ・アー・ザ・ピッグス」のシングルに収録されたこの曲は特に人気があり、ライブでもとても盛り上がる。「ドッグ・マン・スター」にこの曲が入っていたとすると、アルバムとしてさらにクオリティーが上がっていたのではないかというような気がするのだが、一方でこのダークでダーティーではあるのだが強すぎるこの曲が入ることによって、バランスがやや崩れたかもしれないというような気もする。

7. Stay Together (1994)

1994年のバレンタインデーにリリースされ、全英シングル・チャートで最高3位を記録したシングルである。オリジナルアルバムには収録されていないのと、バンドはその後、この曲をバンドであまりやらなくなった。ブレット・アンダーソンも気に入っていないと発言している。しかし、この時点において間違いなく最も注目されていたイギリスのインディーロックバンドがさらに新しい境地に達しようとした意欲がじゅうぶんに感じられ、このスケールの大きさもとても良い。短くエディットされたバージョンがラジオなどではかかっていたと思うのだが、ロングバージョンの方がよりこの曲の本質を感じ取ることができるような気がする。発売前にどうやらブレット・アンダーソンのラップが収録されているらしいというような噂が流れたりもしたが、あれはラップではなくモノローグのようなものであろう。エディットされたバージョンには収録されていない。スウェードが全英シングル・チャートで記録した最も高い順位がこの曲などによる3位なのだが、この時の上位2曲はマライア・キャリー「ウィズアウト・ユー」、D:REAM「シングス・キャン・オンリー・ゲット・ベター」であった。

スウェードのアメリカツアーにおいて、バーナード・バトラーとそれ以外のメンバーとの間に距離が生まれ、特に2度目のツアー時にはバーナード・バトラーの父が亡くなったことなどもあり、より塞ぎがちになったり孤立を深めていったりもしたという。この曲には当時のバーナード・バトラーの感情のすべてが込められているともいわれる。

6. We Are the Pigs (1994)

アルバム「ドッグ・マン・スター」からの先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートでの最高位は18位であった。この順位は当時のスウェードからしてみると、期待していたよりも低く感じられるものであった。この年のバレンタインデーに発売されたシングル「ステイ・トゥゲザー」からこの曲までの間にブラーがシングル「ガールズ・アンド・ボーイズ」とアルバム「パークライフ」を大ヒットさせ、オアシスがデビューするなり話題を独占するなど、ブリットポップが享楽的なムーヴメントとして勢いを増していった。ブリットポップのはじまりにはそもそもスウェードがいて、その中心的存在ですらあったわけだが、この頃にはバーナード・バトラーの脱退というネガティブな状況があった上に、発売されたこの新曲もひじょうにディストピア的でブリットポップの享楽的なムードとは相容れないようなものであった。ミュージックビデオは暴力的すぎる描写があるということで、一部では放送が禁止されたりもした。とにかくダークでシリアスであり、盛り上がりつつあったブリットポップの狂騒から意図的に距離を置こうとしたと捉えられても仕方がないのだが、これこそがスウェードの本質だったのではないかともいえる。

5. The Wild Ones (1994)

「ドッグ・マン・スター」から2作目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートでは最高18位を記録した。ブレット・アンダーソン自身が最も気に入っているスウェードの曲だともいわれるが、ひじょうに凝っているミュージックビデオについてはまったく好きではないらしい。「Oh if you stay」というフレーズの繰り返しが印象的な、ノスタルジックでセンチメンタルなバラードである。インディーロックの枠にとどまらぬ、このような美しいメロディーの曲もスウェードの大きな魅力の1つだといえる。

4. Trash (1996)

アルバム「カミング・アップ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高3位を記録した。「ステイ・トゥゲザー」と共に、スウェードが全英シングル・チャートで記録した最も高い順位だが、その週の上位2曲はスパイス・ガールズ「ワナビー」、ロビー・ウィリアムス「エンジェル」で、4位にはドッジー「グッド・イナフ」が初登場していた。

このシングルは1996年7月29日にイギリスでリリースされたのだが、スウェードはその前日、この年に開場したばかりの東京ビッグサイトでライブを行っていた。ヴァージン・メガストアが主催し、フジテレビ系の「BEAT UK」が告知していた「POPSTOCK」というライブイベントである。2日間にわたって行われたうちの2日目で、1日目はメンズウェアなどが出演していた。2日目はスウェードの他にスリーパー、プッシャーマン、日本のEL-MALOが出演していた。EL-MALOがものすごい轟音だったことが印象に残っている。

この曲はバーナード・バトラーが参加していない最初のアルバムからの先行シングルということで注目されていたが、発売前から評判は良かった。CDはまだ発売されていなかったので、ライブで先に聴くことになったのだが、ポップでキャッチーになってはいるのだがスウェードらしさはちゃんと残っていて、これはなかなか良いのではないかと思った。Tシャツやポストカードセットのようなものも買ったような気がする。

スウェードというバンドやそのファンダムが基本的にはアウトサイダー的であり、悲しみをベースにいだいていることについて深く通じ合っていることが、アンセミックに歌われているのだが、このような曲がバーナード・バトラーがいなくてもちゃんとできてしまったこと自体に感動を覚えた。

3. Metal Mickey (1992)

スウェードの2作目のシングルで、全英シングル・チャートで最高17位を記録した。すでにイギリスのインディーロック系メディアでは話題を独占という感じだったのだが、このあたりからアメリカや日本でもCDがリリースされるようになったような気がする。デビューシングルに較べるとよりアップテンポで、グラムロック的な分かりやすさも増したように感じられた。この曲のタイトルと同じ「メタル・ミッキー」という子供向けのロボットのキャラクターがイギリスにはあって、80年代前半にテレビシリーズも放送されていたようである。

バーナード・バトラーによると、曲はシェール「シュープ・シュープ・ソング」、ギターソロはザ・キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」にインスパイアされたようだ。また、ブレット・アンダーソンは、「ラヴ・ユア・マネー」をヒットさせていたインディーロックバンド、デイジー・チェインソーのケイティ・ジェーン・ガーサイドにインスパイアされたとも語っている。

2. Animal Nitrate (1993)

デビューアルバム「スウェード」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高7位、スウェードにとって初のトップ10ヒットとなった。タイトルは亜硝酸アミルというドラッグをもじっているが、歌詞でイメージしているのはまた違うタイプのドラッグだという。ミュージックビデオも含め、ひじょうにセクシュアルなイメージも強いが、これがヒットしたところに当時のバンドの勢いを感じる。この頃、雑誌のインタヴューでのブレット・アンダーソンによる「同性愛経験のないバイセクシャル」発言が話題になってもいて、デビューアルバムのジャケットアートワークでキスをしている人たちの性別についていくつかの憶測が飛び交ったりもした。イントロのギターリフはニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の影響を受けていることが、バーナード・バトラーによって秘かに告白されている。

1. The Drowners (1992)

スウェードの記念すべきデビューシングルであり、全英シングル・チャートでの最高位は49位であった。当時、すでに話題になっていたわりには順位が低すぎるのではないかという気もするのだが、需要に供給が追いついていなかったようにも思える。少なくとも当時、西新宿のラフ・トレード・ショップでやっと買えるまでには、少しの時間を要したことは確かである。当時はインターネットも普及していなく、日本で発売されていないイギリスのインディーロックバンドの曲を聴くことは現在よりもひじょうに難しかった。

やっとレコードを買うことができて、家に帰りステレオのターンテーブルに載せたわけだが、針が落ちスピーカーから最初の音が鳴って少しして、これはかなり良いことがすぐに分かった。グラムロック的なサウンドにのせて、どうやらセクシュアルなことが歌われているようなのだが、その感覚は当時のインディーロックシーンに欠けていて、欲望されているもののようにも感じられた。この曲がリリースされた当時、スウェードの音楽はニューグラムなどと呼ばれることもあったが、後に振り返った場合、ブリットポップははっきりとこの曲からはじまったという印象がひじょうに強い。

当時、働いていたCDショップにソニーの社員だという女性が来店し、スウェードのこのシングルの問い合わせを受けたのだが、在庫がなかったので個人的にレコードを録音したカセットテープを渡した。少ししてから、イギリスでスウェードのライブも見てきて、今度、ソニーからCDを出すことになったと聞いた。日本では「ザ・ドラウナーズ」「メタル・ミッキー」の2枚のシングル収録曲を1枚に収録したCDが最初に発売され、コメントカードをせっせと書いていたことが思い出される。