ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」【Classic Albums】

ニルヴァーナの2作目のアルバム「ネヴァーマインド」は、1991年9月24日に発売された。それから31年後の2022年の時点において、この作品はたとえば60年代のビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、70年代のセックス・ピストルズ「勝手にしやがれ!!」、マイケル・ジャクソン「スリラー」などと同じぐらいかそれ以上にアイコニックなアルバムとして知られているわけだが、発売された時点においてはこれまでのことになるとはほとんど想像されていなかったような気がする。

確かに「ロッキング・オン」に掲載された「ネヴァーマインド」のアルバム・レヴューに付けられたタイトルは「売れそな殺伐」というようなものだったような気がするし、ニルヴァーナにとってメジャーレーベルに移籍して最初のアルバムということで、そこそこ期待されてはいたのだが、実際の結果とはレベルが違っていた。つまり、発売された翌年、1992年1月の時点でマイケル・ジャクソン「デンジャラス」を抜いて全米アルバム・チャートの1位に輝いたことや、こういったタイプのオルタナティヴなロックがメインストリームでもヒットする流れをつくり、ポップ・ミュージックの歴史を永久に変えてしまったことなどである。

しかし、その兆候がまったく無かったかといえば、必ずしもそうではなかったということも言えなくはない。たとえば、ラウドでヘヴィーなアメリカのオルタナティヴロックは80年代後半に少しずつ盛り上がってはいて、そのジャンルにおいてカリスマ的な存在であったソニック・ユースも1990年にはメジャーレーベルに移籍して最初のアルバム「GOO」をリリースして商業的に成功していたからである。そのレベルがどれぐらいのものだったかというと、全米アルバム・チャートで最高96位である。それまでにリリースしたアルバムは一度もランクインしていなかったことから考えると、これでもヒットしたと見なされていたのである。ロックジャーナリズムにおいてはそれ以前から高く評価され、ひじょうに人気があったわけだが、このようなタイプの音楽はメインストリームではそう簡単に売れるものではないと見なされていた。

ニルヴァーナはカート・コバーンとクリス・ノヴォセリックによって1987年に結成され、1989年にはシアトルのインディーレーベル、サブ・ポップからデビューアルバム「ブリーチ」をリリースしていた。この時点でアメリカのラウドでヘヴィーなオルタナティヴロックはすでに注目されてもいたわけだが、ニルヴァーナはサブ・ポップレーベルにおいても、マッドハニーやタッドなどに比べ、扱いがそれほど大きくはなかったような気がする。このラウドでヘヴィーなアメリカのオルタナティヴロックにおいては、ダイナソーJr.とピクシーズが音楽的に特に高く評価されていたのに加え、フロントマンのキャラクターが立ってもいたことから、日本の「ロッキング・オン」などでもおもしろおかしく取り上げられていた。特に「ロッキング・オン」では「殺伐系」などと呼んでいたわけだが、それはサウンドからくるイメージによるものであろう。

ニルヴァーナがメジャーレーベルのゲフィンと契約をしたのは、ソニック・ユースの薦めだったといわれているのだが、実は「ブリーチ」の次のアルバムもサブ・ポップからリリースするつもりで、1990年には制作に入っていたのだった。ところが、サブ・ポップそのものがどうやらメジャーレーベルと契約をするようだという話になって、それならばバンドが直接にメジャーと契約をした方が良いのではないか、となったのだという。そして、「ネヴァーマインド」が完成したわけだが、確かに「ブリーチ」と比べると、ひじょうにクリアで聴きやすいサウンドになっている。「ロッキング・オン」が「売れそな殺伐」などと評したのもそういった理由だったと思われるのだが、それでもまさかここまで売れるとは想像できていなかったであろう。

水中で全裸の赤ん坊が釣り針に引っ掛けた札束に向かって泳ぐという、ジャケットアートワークもインパクトが強かった。オルタナティヴロックらしく、拝金主義的なものを痛烈に批評しているようにも思えるのだが、これがメジーレーベルに移籍して最初のアルバムのジャケットというのも味わい深い。このようなアートワークになったきっかけとしては、当時、カート・コバーンが水中出産に興味を示したということがあったようである。モデルとして撮影された赤ん坊は撮影関係者の子供だといわれていたような気がするのだが、当時は赤ん坊だったとしてももちろん後に成長して大人にもなる。少し前に何らかの訴えを起こしていて、このジャケットも差し替えになってしまうかもしれない、というような話があったような気がする。

「ネヴァーマインド」はいきなりものすごく売れたわけではなく、全米アルバム・チャートの順位を少しずつ上げていった。それには、先行シングルでアルバムの1曲目に収録された「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のビデオがMTVでよく流れていたことも影響したという。個人的に「ネヴァーマインド」のCDは発売されてからまだそれほど経っていない頃に買った記憶があり、全米アルバム・チャートの順位が上がっていくのを痛快な思いで見ていたような気がする。渋谷でCDを買って、夕方にバスで六本木に行くということをよくやっていたのだが、「ネヴァーマインド」のCDも確かその流れの時に買ったのだったと思う。記憶がそれほど定かではないのだが、まだ渋谷センター街に面したONE-OH-NINEのビルにあった頃のHMVで買ったような気がする。同じ頃にレッド・ホット・チリ・ペッパーズ「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」がリリースされていて、これも買ってわりと気に入っていたのだが、HMVの店内でこのアルバムから「ギヴ・イット・アウェイ」がかかっていて、女性店員がリズムに腰を揺らしながら棚の整理などをしていた記憶がある。この売り場は90年代半ばにはいわゆる「渋谷系」コーナーとしてブームの中心となり、2022年現在はMEGAドン・キホーテ渋谷店のコスメティック売り場になっていると思う。

それはまあ良いのだが、ダイナソーJr.「グリーン・マインド」は1991年2月にリリースされていて、ラウドでヘヴィーなサウンドと脱力気味のボーカルとの組み合わせがとても良かった。それでなんとなくラウドでヘヴィーなのも良いのではないか、というような気分にはなっていたのだ。それ以前に、80年代の洋楽ファンにはパンクやニュー・ウェイヴが好きな人たちはハードロックやヘヴィーメタルをあまり良いと思ってはいけない、というムードがなんとなくあり、個人的にもそれに準じていた。そのため、ハードロックやヘヴィーメタルはほとんど積極的に聴いてはいなかったのだが、周囲にアースシェイカーとスターリンのコピーバンドを掛け持ちしている人などは普通にいたので、このなんとなくの対立構造もどれだけのものだったかは疑問が残るところである。

それからピクシーズのアルバム「世界を騙せ」や先行シングル「プラネット・オブ・サウンド」もラウドでヘヴィーだったり、パブリック・エナミー「ブリング・ザ・ノイズ」をスラッシュメタルのアンスラックスがカバーして、それにチャックDも参加したシングルがとてもカッコよかったりして、ラウドでヘヴィーな音楽に対する抵抗がどんどんなくなっていた。メタリカの通称「ブラック・アルバム」こと「メタリカ」までCDを買って好意的に聴いていたのだから、かなりのものだったといえる(同時にセイント・エティエンヌなども大好きだったりはしたのだが)。そこにきて、「売れそな殺伐」だったので、「ネヴァーマインド」のCDを買うのはごく自然な流れだったともいえる。それで、1曲目が「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」で、ガツンとくるのだが、ビデオもひじょうにやる気がなさそうでとても良かった。

ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の音楽性のことを、ビートルズ・ミーツ・レッド・ツェッペリンなどと評していた日本の音楽雑誌があったかと思うのだが、詳細についてはすっかり忘れてしまったし、もしかすると気のせいだったのかもしれない。とはいえ、ラウドでヘヴィーだがポップでキャッチーというのが「ネヴァーマインド」の最大の魅力であり、しかもメロディアスであったりもする。歌詞の内容はなかなかうまくいってなさそうであり、不平不満や嘆きや自殺願望めいたことなどが根底にありそうである。カート・コバーンの失恋が大きく影響していたなどともいわれたりしているのだが、この陰鬱さというのが、「ネヴァーマインド」の大ヒットをきっかけに流行したグランジロックの特徴としても知られるようになった。

ポップミュージックはそもそも若者の苦悩をテーマにしがちなものではあるのだが、それの当時における最新型ということもでき、その流行にはアメリカの経済情勢やそれを反映した社会問題も影響していたように思われる。「ネヴァーマインド」の大ヒットにより、ニルヴァーナの特にカート・コバーンはポップアイコン化し、世代の代弁者として祭り上げられるようにもなっていくのだが、それが精神的に追い詰めていく要因にもなり、やがて悲劇を引き起こすことになる。

ニルヴァーナの音楽はそのラウドでヘヴィーなサウンドによって、ハードロックやヘヴィーメタルのリスナーからも一部支持されるようにはなっていくのだが、カート・コバーンは思想的に反マチズモ的でフェミニズムに入れ込んでいたタイプでもあるため、そういった点において折り合わないところもあったようである。

「ネヴァーマインド」が発売された1991年の秋以降には、プライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン「ラヴレス」、ティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」といったオルタナティヴロックの名盤とされるようなアルバムがリリースされてもいるのだが、メインストリームではマイケル・ジャクソン「デンジャラス」、ガンズ・アンド・ローゼズ「ユーズ・ユア・イリュージョンⅠ・Ⅱ」、U2「アクトン・ベイビー」などが大きな話題となり、実際によく売れていた。とはいえ、話題性では本来はこんなにも売れるはずがないようなタイプの音楽で売れまくったことなどにより、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」が圧倒的だったような印象がある。

ティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」はスコットランド出身のギターポップ的なバンドによるアルバムということで、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」とはかなりタイプが違っているようにも思えるのだが、当時、ラウドでヘヴィーでありながらポップでキャッチーでメロディアスという特徴に共通するところがあったり、イギリスではプライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」やマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン「ラヴレス」と同じクリエイション・レコーズから発売されていたが、アメリカではニルヴァーナ「ネヴァーマインド」と同じDGCだったりして、次の「ネヴァーマインド」的に見なされることがないこともなかった。この年、イギリスの「Melody Maker」や「SELECT」はプライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」を年間ベストアルバムに選んだが、「NME」はニルヴァーナ「ネヴァーマインド」を選んでいた。2位がティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」で、プライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」は3位であった。これがアメリカの「SPIN」ではティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」が1位で、2位がR.E.M「アウト・オブ・タイム」、3位がニルヴァーナ「ネヴァーマインド」となっていた。

「ネヴァーマインド」の特異性というのは、オルタナティヴロックのシーンから生まれたがハードロックやヘヴィーメタルのリスナーにもアピールしかねないラウドでヘヴィーさがあり、それでいてパンク的なアティテュードやニュー・ウェイヴ的なポップ感覚、そして当時における若者の苦悩をヴィヴィッドに表現したポップソングとしての強度のすべてを兼ね備えていたことではないか、というような気もする。ニルヴァーナのメンバー自身は「ネヴァーマインド」のクリアすぎるサウンドが気に入っていなく、その反動は次のアルバム「イン・ユーテロ」にあらわれるわけだが、「ネヴァーマインド」をオルタナティヴロックの名盤であるのみならず、アイコニックなポップアルバムたらしめているのは、このサウンドによるところもひじょうに大きい。