マーサ&ザ・ヴァンデラス「ヒート・ウェイヴ」【Classic Songs】
1963年9月7日付の全米シングル・チャートで1位だったのは先週に引き続きエンジェルス「私のボーイフレンド」だったのだが、6位には先週の14位から8ランクアップしたマーサ&ザ・ヴァンデラス「ヒート・ウェイヴ」がランクインしていた。この曲は翌週から3週連続4位を記録し、結局はそれが最高位になった。エンジェルス「私のボーイフレンド」の次には、ボビー・ヴィントン「ブルー・ヴェルヴェット」が1位になっていた。
マーサ&ザ・ヴァンデラス「ヒート・ウェイヴ」はモータウンの人気ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドの代表曲でもあるのだが、ザ・フーやザ・ジャムもカバーしたモッズに大人気の曲としても知られている。日本ではザ・コレクターズも「恋はヒートウェーヴ」のタイトルでカバーしていた。福岡出身のロックバンド、ヒートウェイヴのバンド名はザ・ジャムによるこの曲のカヴバーバージョンに由来している。この曲が「恋はヒートウェーヴ」としても知られがちな理由として、原題が「(Love Is Like a) Heat Wave」でもあることが挙げられるのだが、最初にレコードが発売された時のタイトルはシンプルに「Heat Wave」だったようだ。
タイトルの「ヒート・ウェイヴ」を日本語に訳すと「熱波」ということになり、すなわち熱が波のように押し寄せてきている状態なわけだが、この曲の内容は誰かのことが好きになりすぎて、まるで熱波のようである、というようなものである。いわゆるモータウンサウンドと呼ばれる特徴をそなえた楽曲の中でも、わりと早いうちに発表されたものの1つでもあるという。マーサ&ザ・ヴァンデラスのリードボーカリストであるマーサ・リーヴスは元々はモータウンの秘書だったということだが、この曲と「ダンシング・イン・ザ・ストリート」などによって、ポップ・ミュージック史に名を残すことになった。ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャンはこの曲を参考にして、ヒット曲「魔法を信じるかい?」のイントロを編み出したという。1975年にはリンダ・ロンシュタッドによるカバーバージョンも、全米シングル・チャートで最高5位のヒットを記録している。