邦楽ポップス名曲のあゆみ 第15回(1980・後編)

青い珊瑚礁/松田聖子 (1980)

松田聖子の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では1位に輝いた。発売は1980年7月1日だったが、ランキングの順位を少しずつ上げていき、最高位を記録するまで約2ヶ月間を要した。「あー私の恋は 南の風を切って走るわ」という歌い出しのフレーズがあまりにも鮮烈であり、初期の代表曲として親しまれている。この曲も収録したデビュー・アルバム「SQUALL」もオリコン週間アルバムランキングで最高2位のヒットを記録した。

狂った果実/アリス (1980)

アリスのポリスター移籍1枚目にして通算18枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高6位、「ザ・ベストテン」では最高8位を記録した。「中途半端でなけりゃ生きられない それが今」と、変わっていく時代に対する違和感を歌ったこの曲が、アリスにとって最後のトップ10ヒットとなった。

パープルタウン/八神純子 (1980)

八神純子の9枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では1位に輝いた。この年の4月から54日間、アメリカに滞在した経験から生まれた曲で、ニューヨークの街について歌われている。日本航空の「I♡NY」キャンペーンのイメージソングにもなっていた。後に八神純子はイギリス人の音楽プロデューサーと結婚し、活動の拠点をロサンゼルスに移すことになる。

私はピアノ/高田みづえ (1980)

この年、サザンオールスターズは音楽制作に集中するためメディア露出を控えたことなどにより、デビュー以来初めてシングルがトップ10入りしなかったのだが、一方でアルバム「タイニイ・バブルス」はオリコン週間アルバムランキングでサザンオールスターズにとって初の1位に輝いていた。音楽的な評価が高まっている状況で、アルバム収録曲の中でも特に人気があった「私はピアノ」を高田みづえがカバーして、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。サザンオールスターズによるオリジナル版では、原由子が初めてリードボーカルを取ったことでも話題になった。昭和歌謡テイストの楽曲だが、歌詞にはビリー・ジョエルやラリー・カールトンも登場する。

シャドー・シティ/寺尾聰 (1980)

寺尾聰の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録するのは翌年になってからであった。ヨコハマタイヤのテレビCMに使われ、トゥットゥルトゥーンというようにちゃんとした歌詞がない歌の部分がわりと長めなことが特徴的であった。シティ・ポップというかジャパニーズAORの名曲としても、再評価されがちである。

さよならの向こう側/山口百恵 (1980)

山口百恵の31名目にして引退前に発売された最後のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位、「ザ・ベストテン」で最高3位を記録した。「Thank you for your everything さよならのかわりに」と感謝の想いが歌われた6分以上にも及ぶバラードで、1980年10月5日に日本武道館で行われたファイナル・コンサートではこの曲を歌った後でマイクを置いて、ステージを後にした。

恋人よ/五輪真弓 (1980)

五輪真弓の18枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」で共に3週連続1位に輝いた。永遠の別れを歌ったバラードであるこの曲は、五輪真弓がデビュー当時のプロデューサーの葬儀で夫人が慟哭する姿にインスパイアされて作詞・作曲したといわれている。当初は「枯葉」というタイトルだったということだが、1980年8月21日にリリースされ、秋から冬にかけてヒットした。

風は秋色/松田聖子 (1980)

松田聖子の3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで初の1位に輝いた。「ザ・ベストテン」では「青い珊瑚礁」に続き、2曲連続1位である。「La La La…Oh ミルキー・スマイル あなたの腕の中で旅をする」というキャッチーな歌い出しから、「泣き虫なのはあなたのせいよ」で切なげになるところなど、表現力の豊かさが感じられる。

あなたに熱中/浜田朱里 (1980)

浜田朱里の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高100位であった。デビュー当時は「ポスト百恵」の期待もかけられがちであり、糸井重里が作詞したこの曲は「好きよ あげたいの」のフレーズも印象的な性典歌謡テイストも感じられる。マイルドなエロスを秘めたボーカルも素晴らしいのだが、時代はもっとライトでポップな感覚を求めていたのかもしれない。

ガラスのジェネレーション/佐野元春 (1980)

佐野元春の2枚目のシングルで後に代表曲として知られるようになるが、この時点ではオリコン週間シングルランキングにランクインもしていなかった(1988年にリリースされたライブ・バージョンは最高34位を記録している)。英語と日本語のフレーズが混じったシティ感覚の歌詞とキャッチーなサウンド、「つまらない大人にはなりたくない」といったメッセージ性が特徴的である。畑中葉子が主演していたにっかつロマンポルノ作品「モア・セクシー 獣のようにもう一度」で「NIGHT LIFE」と共に使われていたことはあまり知られていないかもしれない。

トランジスタ・ラジオ/RCサクセション (1980)

RCサクセションの11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高86位を記録した。授業をサボって学校の屋上で寝転び、煙草をふかしながらトランジスタラジオを聴いているというシチュエーションが歌われている。「ああ こんな気持 うまく言えたことがない」というフレーズが特に印象的である。

ペガサスの朝/五十嵐弘晃 (1980)

北海道美唄市出身のシンガーソングライター、五十嵐浩晃の3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。素朴で爽やかでありながらスケールの大きさが感じられ、とても良い。この翌年にリリースされた大滝詠一「A LONG VACATION」には「FUN×4」の月に吠える男役で参加しているのだが、実はナイアガラ・トライアングルに抜擢されるかもしれなかったが、この曲がヒットしたことによって別のアーティストになったともいわれている。

シャ・ラ・ラ/サザンオールスターズ (1980)

この前の年まではすべてのシングルがトップ10ヒットを記録していたサザンオールスターズだが、音楽制作に集中するためメディアへの露出を控えたことなども影響してか、この年には6枚リリースしたシングルすべてがトップ10圏外で、「わすれじのレイドバック」に至っては最高41位となっていた。とはいえ、アルバム「タイニイ・バブルス」はオリコン週間アルバムランキングで初の1位、高田みづえ「私はピアノ」のヒットによって、桑田佳祐がソングライターとしても注目されるのど、音楽的にはより評価が高まっていた。11枚目のシングルとして「ごめんねチャーリー」との両A面扱いでリリースされたこの曲は、年末の恋人たちをテーマにしたラヴソングで、桑田佳祐と原由子のデュエットで歌われている。「今年もなにゆえ さかのぼれば夢 二人でいて楽しけりゃなおのこと」というフレーズが心に沁みる。オリコン週間シングルランキングでは、最高29位を記録した。

恋人がサンタクロース/松任谷由実 (1980)

山下達郎「クリスマス・イブ」と並んでクリスマスの定番曲として知られているが、アルバム「SURF&SNOW」の収録曲で、シングルでは発売されていない。日本のクリスマスが家族で過ごすものから恋人同士の記念日というイメージに変化していく上で、ひじょうに重要な役割を果たしたともいわれる。80年代前半から松田聖子にカバーされるなど人気はあったのだが、1987年の映画「私をスキーに連れてって」で使われることによって、さらにポピュラーになったような印象もある。

スニーカーぶる~す/近藤真彦 (1980)

テレビドラマ「3年B組金八先生」の生徒役からブレイクした、たのきんトリオのうちトシちゃんこと田原俊彦に続いてレコードデビューしたのがマッチこと近藤真彦であった。田原俊彦が王子様的なイメージで洋楽的な曲を歌っていたのに対し、近藤真彦にはより硬派でマイルドにアナクロな印象があった。「Zig Zag Zag. Zig Zag Zig Zag」のところはアクションが真似しやすくて楽しかった。後に「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で近藤真彦に扮した片岡鶴太郎が「マッチで~す!」と自己紹介をするのがお決まりになるが、近藤真彦自身はそんなことを一度も言っていないらしい。