ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」【Classic Albums】
ダリル・ホール&ジョン・オーツの10作目のスタジオアルバム「プライベート・アイズ」は1981年9月1日にリリースされ、全米アルバム・チャートで最高5位を記録した。1972年にデビューしたダリル・ホール&ジョン・オーツは全米シングル・チャートでは「リッチ・ガール」「キッス・オン・マイ・リスト」が1位に輝き、「シーズ・ゴーン」「サラ・スマイル」がトップ10入りを果たしていたが、全米アルバム・チャートで10位以内に入るのは、これがはじめてのことであった。
先行シングル「プライベート・アイズ」とその次の「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」が全米シングル・チャートで2曲連続1位に輝いたことが、アルバムのセールスを押し上げたようにも思える。そして、この2曲のNO.1ヒットの間には、オリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」の10週連続1位があった。歴代ではデビー・ブーン「恋するデビー」と1位の最長記録で並んでいて、もう1週続けば新記録だったのだが、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」に抜かれたのであった。この間、フォリナー「ガール・ライク・ユー」は10週連続2位の新記録をつくるのだが、結局は1位になれなかった。このことが当時の「全米トップ40」ファンには強く印象に残っている。
70年代にいくつかのヒット曲を記録したダリル・ホール&ジョン・オーツだが、少しの間、低迷していた時期もあって、1980年のアルバム「モダン・ボイス」から最初のシングル「ハウ・ダズ・イット・フィール」は全米シングル・チャートで最高30位だったが、次のライチャス・ブラザーズ「ふられた気持」のカバーが最高12位で、1977年の「リッチ・ガール」以来、久々に15位以内にランクインした。そして、その次の「キッス・オン・マイ・リスト」が1位に輝き、さらには「ユー・メイク・マイ・ドリームス」も最高5位を記録した。日本では「キッス・オン・マイ・リスト」と「ふられた気持」のカップリングでシングル・カットしていて、個人的にはこれを旭川のミュージックショップ国原で買った記憶がある。そして、「ユー・メイク・マイ・ドリームス」がヒットした翌月には「プライベート・アイズ」のシングルがリリースされたため、勢いのまま売れていったという感じではあった。
ブルー・アイド・ソウルなどと呼ばれ、ダリル・ホールのとても良い声のボーカルと、ジョン・オーツのよりソウルフルなコーラスなどがとても特徴的であり、さらにサウンドや曲の感じが明るくポップになったことによって、ひじょうに売れやすくなったということができるだろう。そして、1981年の夏にMTVが開局して話題になったのだが、「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」などのミュージックビデオもヒットに影響したと思われる。ダリル・ホールはルックスもとても良かったため、当時の洋楽好きの日本の女子にもわりと人気があったような気がする。そして、メロディーがとにかく親しみやすかった。ビリー・ジョエルなどと共に洋楽の入門編的なアーティストとして、80年代の前半までは機能していたような気がする。また、全米シングル・チャートにおいても、1984年までの時点では、80年代に入ってから「キッス・オン・マイ・リスト」「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」「マンイーター」「アウト・オブ・タッチ」と5曲が1位に輝いていて、これは他のどのアーティストよりも多かったのである。
「プライベート・アイズ」は「キッス・オン・マイ・リスト」と似たタイプのポップな楽曲だったが、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」のソウルっぽい感じはわりと驚きであり、白人アーティストの楽曲にもかかわらず、ソウル・チャートやダンス・クラブ・チャートでも1位に輝いていた。ダリル・ホールによると、USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングでマイケル・ジャクソンと話した時に、「ビリー・ジーン」のベースラインは「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」からインスパイアされたことを認めていたという。また、この曲はデ・ラ・ソウル「3フィート・ハイ・アンド・ライジング」に収録され、シングル・カットもされた「セイ・ノー・ゴー」など、ヒップホップの作品にもサンプリングされている。
「プライベート・アイズ」のアルバムからはその後、「ディド・イット・イン・ア・ミニット」が全米シングル・チャートで最高9位、「ユア・イマジネーション」が最高33位と、計4曲のトップ40ヒットが生まれた。個人的には1982年の春に高校受験が終わったので、自分へのご褒美的な意味合いで友人から聞いて気になっていた札幌のタワーレコードに行った。2022年に閉店した札幌ピヴォ店ではなく、五番街ビルという建物に入っていたタワーレコードの日本での1号店(2号店が宇田川町にあった頃の渋谷店)である。「全米トップ40」を参考にレコードを買っているミーハーな洋楽ファンでしかなかったため、リック・スプリングフィールド「アメリカン・ガール」、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「アイ・ラヴ・ロックンロール」、カーズ「シェイク・イット・アップ」ともう1枚を迷った末に、「プライベート・アイズ」のシングルは買っていたのだが、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」は持っていなかったので、このアルバムを買ったことが思い出される。当時のタワーレコードは輸入盤専門店で、邦楽のレコードは扱っていなかったので、その後で玉光堂に行って佐野元春・杉真理・大滝詠一「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を買ったはずである。