フリートウッド・マック「噂」
フリートウッド・マックの13作目のアルバム「噂」が、1977年2月4日に発売された。この年はポップ・ミュージック史的にはパンクとディスコが盛り上がった印象がひじょうに強いのだが、最もよく売れていたのはこのアルバムだったようだ。全米アルバム・チャートでこの年の年間1位だったのみならず、累計売上枚数も4,500万枚を超え、歴代10位以内に入っているという。全米アルバム・チャートで初めて1位になったのは1977年4月2日付でのことだったのだが、その後、イーグルス「ホテル・カリフォルニア」、バリー・マニロウ「バリー・マニロウ ”ライブ”」、リンダ・ロンシュタット「夢はひとつだけ」に抜かれては抜き返すなどして、1978年1月21日付で映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」のサウンドトラックアルバムに抜かれるまで、合計31週にわたって1位を記録していた。それだけではなく、1978年のグラミー賞では最優秀アルバム賞を受賞し、様々なメディアが発表している歴代ベストアルバムでは上位に選ばれていることがひじょうに多い。
2022年には発売45周年を迎えたこのアルバムだが、いまなおロック時代を代表する名盤の1つとして人気は高く、しかも2020年には収録曲でかつて全米シングル・チャートで1位に輝いたこともある「ドリームス」がTikTokで使われたことをきっかけにリバイバルし、全米アルバム・チャートの10位以内に返り咲いたりもしていた。
確かにいま聴いても驚異的なクオリティーのポップアルバムとしてひじょうに楽しむことができるわけだが、個人的にその良さが分かるまでにはわりと時間を要している。まずは発売当時にはすでに生まれてはいたものの、地方の小学生であり洋楽を主体的に聴いていなかったため、まったく記憶がない。この頃は森田公一とトップギャランの「青春時代」がヒットしていて、上級生が「青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり」などと歌いながら廊下を歩いているのに対し、クラスのひょうきん者が「うッ、胸にとげがささって痛いッ」などといっては羽交い絞めにされている光景などを覚えているぐらいである。
80年代に入り、モテたくて洋楽を主体的に聴くようにもなるのだが、全米ヒットチャートをチェックしはじめた1981年にはスティーヴィー・ニックスがソロアルバム「麗しのベラ・ドンナ」をリリースしていて、そこからシングルカットされた「嘆きの天使」がローリング・ストーンズ「スタート・ミー・アップ」、ジャーニー「クライング・ナウ」、フォリナー「アージェント」などと同時期にヒットしていた。この曲にはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズがゲスト参加していたこともあり、アーティスト名がスティーヴィー・ニックス・ウィズ・トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとやたらと長く、全米ヒットチャートを書き写していた大学ノートにやたらと小さな文字で書かなければならなかった。6週連続3位で、それが最高位になっていた。リンジー・バッキンガムのソロシングル「トラブル」も全米シングル・チャートで最高9位のヒットを記録して、「全米トップ40」で湯川れい子がわりと好意的に紹介していたような気がする。
1982年にはフリートウッド・マックのアルバム「ミラージュ」がリリースされ、全米アルバム・チャートでエイジア「詠時感~時へのロマン」を抜いて1位に輝いた。このアルバムは確か夏休みに札幌に遊びにいった時に五番街ビルにあった頃のタワーレコードで買った。シングルカットされて全米シングル・チャートで最高4位を記録した「ホールド・ミー」などは、ポップでかなり気に入っていた。その頃に1位だったのは、映画「ロッキー3」のテーマソングだったサバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」であった。
その頃、少し上の兄か姉がいる友人の家に遊びにいって、レコード棚で「噂」のジャケットを見かけたことが何度かあった。しかし、その頃にはどうやら全米ヒットチャートで人気の産業ロックのようなものなどよりも、イギリスのニュー・ウェイヴなどを好きになった方がモテそうだという感じにだんだんなってきていて、フリートウッド・マック「噂」なども旧時代のヒット作のような印象で主体的に聴こうという気にはなっていなかった。
その後、大学生になり過去の名盤などもいろいろ聴いていこうという感じになっていた頃にも、パンク/ニュー・ウェイヴやインディー・ロックなどに何らかの影響をあたえたものなどを中心に聴いていこうという感じがなんとなくあって、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやデヴィッド・ボウイなどは聴いていたのだが、フリートウッド・マックやイーグルスなどには食指が動かなかった。80年代後半にもフリートウッド・マックはアルバム「タンゴ・イン・ザ・ナイト」から「ビッグ・ラヴ」「リトル・ライズ」などをヒットさせ、チェックはしていたのだがのめり込むようなことはなかった。
そして、90年代にはアメリカのオルタナティヴ・ロックやイギリスではブリットポップ、それと日本ではよく知らないのだが「渋谷系」なども流行っていて、上澄みだけをすくっていたのだが、スマッシング・パンプキンズ「1979」とかホール「マリブ」とか、オルタナティヴ・ロックのバンドが70年代後半のアメリカのFMラジオでよくかかっていたような音楽をやるようなことがあり、これが少し気になったりもした。スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンもホールのコートニー・ラヴもほぼ同世代であり、青春時代にヒットしていた音楽からの刷り込みはあるのではないかと思われる。
それからまた何年かして、リッキー・リー・ジョーンズの「恋するチャック」などを久々に聴いて、やはりこういうのも良いなという感じで、他にスティーリー・ダンやダリル・ホール&ジョン・オーツなど、それらに「FM Pop」なるサブジャンル名を勝手につけて、ひじょうに狭い範囲で楽しんでいた。それらは、パンク/ニュー・ウェイヴ的な価値観に自分自身をアジャストしていく過程で、なんとなく排除していたタイプの音楽ではあったのだが、おそらくそれらが流行っていた時代の空気感を体験してはいるので、曲名やアーティスト名を具体的に覚えていなかったとしても、なんとなく感じるものがある。
その頃に、フリートウッド・マック「噂」をやっとちゃんと聴いてみようかという気になっていた。CDではなくデジタルダウンロードで購入したので、すでに00年代半ばあたりだったのではないかと思う。2曲目の「ドリームス」が、特にガツンときた。当時、全米シングル・チャートで1位に輝いていただけあって、この曲はアーティスト名も曲名も知らなかったが、ラジオで聴いたことがあるような気がする。そして、個人的に勝手に盛り上がっていた「FM Pop」のコンセプトにもぴったりである。まずはこの曲がとても気に入り、それ以外にはあまりハマらなかったのだが、何度も聴いているうちにだんだん良くなっていった。
フリートウッド・マックは60年代に結成されてからしばらく、ブルースロック的な音楽をやっていて、「アルバトロス(あほうどり)」が全英シングル・チャートで1位に輝いたりもするのだが、メンバーチェンジなどを経て、音楽性がすっかり変わってしまったという。特にプライベートでも付き合ったり付き合わなかったりを繰り返していたという、リオンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスの加入が大きかったようである。新体制になってからはじめてのアルバム「ファンタスティック・マック(原題:Fleetwood Mac)」が全米アルバム・チャートで初の1位に輝き、シングルカットされた「セイ・ユー・ラヴ・ミー」「リアノン」もヒットした。
それならばもっと売れるアルバムをつくってやろうと意気込んだのではないかとも思えるような勢いのようなものが、「噂」からは感じられる。リンジー・バッキンガム、スティーヴィー・ニックス、クリスティン・マクヴィーというバンド内に3名のボーカリストでありソングライターがいることがやはり強すぎるわけだが、それによってバラエティーにとんでいながらクオリティーコントロールもしっかりとできているという、ひじょうに理想的な状態が実現できている。
それにしても尋常ではないクリエイティヴィティーの充実には、当時のバンドが置かれた状況が大きく作用しているといわれている。何せバンド内に2組のカップルがいて、そのうち夫婦であったジョン・マクヴィーとクリスティン・マクヴィーは離婚したばかりで、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスは破局したところであった。そのような状態で、同じバンドメンバーとして活動していたのである。そして、ミック・フリートウッドはバンドメンバーではない妻がいたのだが、実は親友と浮気をしていたことが発覚し、はげしく落ち込んでいた。さらには、ドラッグの影響もあったという。
このような状況にあるバンドがカリフォルニア州のサウサリートでレコーディングをしたのだが、当初、タイトルは「ドント・ストップ」の歌詞にもある「イエスタデイズ・ゴーン」になる予定もあったものの、各メンバーがお互いのことを曲に書いているようだということで、「噂」になったといわれている。
収録曲の内容には当時の各メンバーが置かれた状況が反映されてもいて、離婚したクリスティン・マクヴィーによる「ドント・ストップ」は未来に向けた明るいものである一方で、リンジー・バッキンガムによる「オウン・ウェイ」などは別れた元恋人のスティーヴィー・ニックスに対して、勝手にどこかに行ってしまえと歌っているようにも聴こえる。ミュージックビデオを見ると、このような内容の曲をスティーヴィー・ニックス自身もタンバリンを叩きながら歌っているのだが、かなりメンタルにきているように見えなくもない。大ヒットした「ドリームス」は、スティーヴィー・ニックスの方からリンジー・バッキンガムとのことについて歌われているようである。
それぞれの曲がいろいろなタイプでしかもクオリティーが高く、実に素晴らしいアルバムになっているのだが、当時のバックグラウンドを知った上で聴くとさらに味わい深いというものでもある。こういった各メンバーの当時の精神状態が、楽曲のクオリティーにも影響しているのではないかという分析も一般的なようである。
このように様々な要因によって生まれた奇跡的なアルバムだということもできるわけだが、こういったタイプの音楽としては本当に最高峰のクオリティーを誇っているのではないかと思えるため、ポップ・ミュージックファンならばとりあえず聴いておいた方がよいのではないかと、改めて感じたのであった。