テレヴィジョン「マーキー・ムーン」

テレヴィジョンのデビューアルバム「マーキー・ムーン」は1977年2月8日にアメリカで発売されたのだが、当時の全米アルバム・チャートにはランクインしていない。イギリスでは少し遅れて3月4日に発売され、全英アルバム・チャートで最高28位を記録したのだが、これには「NME」の名物ライター、ニック・ケントによる2ページにも及ぶ熱いレヴューが影響したともいわれている。同じくニューヨークのライブハウス、CBGB出身であるブロンディとのツアーも盛況だったようである。

個人的にこの当時のことを知っているかというと、日本の地方で暮らす小学生としての空気感はなんとなく覚えているものの、このアルバムにアクセスするには少しハードルが高すぎたともいえる。その後、洋楽を主体的に聴くようになった頃には、テレヴィジョンはもう解散していた。

それで、80年代半ばぐらいになると新作だけではなく過去の名盤と呼ばれるものもいろいろ聴いてみようという気分になっていたのだが、その頃はちょうど世間がアナログレコードからCDに移行するタイミングであり、初CD化や廉価版など旧作にアクセスしやすい環境にもなっていたのだ。ワーナーが1800円だったか2000円だったかいまや覚えていないのだが、旧作の名盤といわれるタイトルの数々を廉価盤CDで発売したことがあり、その中にテレヴィジョンの「マーキー・ムーン」も入っていた。

現在のようにインターネットなどで手軽に視聴をすることなどができない時代なので、ラジオやテレビで聴くことができない音楽などについては、音楽雑誌や名盤ガイド的な本などといった活字での情報を参考にするというわりとリスキーな方法で次に買うレコードやCDを決めていた。テレヴィジョンの「マーキー・ムーン」については、まずバンド名がキャッチーでカッコいいと思っていたのと、ジャケット写真がなんだかとても良いと感じていた。特におそらくボーカリストだと思われる写真の中央あたりに写っているメンバーが、とても痩せているところがかなり気になった。活字媒体によって得た情報はというと、テレヴィジョン「マーキー・ムーン」はパンク/ニュー・ウェイヴの名盤であり、歌詞の文学性が特徴だというようなことであった。

「マーキー・ムーン」のCDはカーリー・サイモン「ノー・シークレッツ」などと一緒に町田のディスクユニオンで買ったものだとずっと思っていたのだが、つい数年前に当時の町田に詳しい方々からその頃にディスクユニオンはまだ出店していないというご指摘をいただき、いろいろお聞きしていくと、どうやらレコファンであった可能性がひじょうに高いということになった。ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」をはじめて買ったのもその店だったはずである。あとは町田の東急ハンズで当時は輸入盤のレコードを少し扱ってもいて、プリンス&ザ・レヴォリューション「パレード」をマイアミ・サウンド・マシーンやカルチャー・クラブのレコードと一緒に買った記憶があるのだが、本当にそうだったのかがひじょうに怪しい。

それはそうとして、小田急相模原のワンルームマンションに帰って、CDプレイヤーのトレーに載せたのだが、引っ込んでレンズが盤面の情報を読み取り、スピーカーから流れた音楽に驚愕した。当時はプリンス&ザ・レヴォリューション「KISS」のような曲が最もカッコいいと思っていて、RUN D.MC.やLL・クール・Jといったヒップホップにも手を出しはじめるなど、いわゆるギターロックにはひじょうに興味を失っていた頃なのだが、「マーキー・ムーン」のサウンドに当時の感覚においても新しさを感じた。

とはいえその頃、「マーキー・ムーン」が発売されてからおそらく10年経つか経たないかぐらいであり、長いポップミュージック史から見るとそれほど昔というわけでもないのかもしれないが、当時の大学生にとってリアルタイムでは聴いていなかった小学生の頃というのは遠い過去のように感じられていた。

まず、ギターロックでありながらそれまでには聴いたことがないようなタイプの音楽であり、ボーカルにもひじょうに個性が感じられる。パンクロックというとセックス・ピストルズやザ・クラッシュなどのイメージだったのだが、それらに比べるとやや複雑でもあり、かといって難解でマニアックでモテなさそうというわけではなく、あくまでアート的なセンスに溢れたまらなくクールなところがとても良かった。その頃、テレビ神奈川でよく流れていた「ダイナミック!ダイクマ」のCMでおなじみ、ディスカウントストアのダイクマで簡単なサンプリング機能のついたキーボードというのを買ってよく遊んでいたのだが、タイトルトラックである「マーキー・ムーン」のイントロのフレーズをサンプリングしては何度も再生したりしていた。

1972年にトム・ヴァーレイン、リチャード・ヘル、ビリー・フィッカがネオン・ボーイズというバンドを結成するが翌年には解散し、リチャード・ロイドを加えてテレヴィジョンが結成された。ニューヨークのライブハウスで活動するうちに人気を得ていくのだが、ステージパフォーマンスなどをめぐってトム・ヴァーレインと対立したリチャード・ヘルが脱退し、元ニューヨーク・ドールズのジョニー・サンダースらとハートブレイカーズを結成、さらに脱退した後はリチャード・ヘル&ヴォイドイズを結成した。

テレヴィジョンは後任のベーシストとして元ブロンディのフレッド・フリスを迎え、ブライアン・イーノのプロデュースでデモテープをつくるが、レーベルとの契約には至らなかった。その後、パティ・スミスの紹介などもあり、メジャーのエレクトラ・レコードと契約することになった。そして、発表されたのが「マーキー・ムーン」である。

ロマン派詩人などから影響を受けた知的で文学的な歌詞に加え、音楽にはロックの他にジャズからの影響も感じられる。特にアメリカではセールス的に苦戦を強いられてはいたのだが、批評家からは高く評価されていて、各メディアが選ぶ歴代ベストアルバム的な企画ではわりと上位にランクインしていることが多い。

2001年にザ・ストロークスがデビューアルバム「イズ・ディス・イット」をリリースすることにより、そのクールでスタイリッシュでありながらプリミティヴな音楽性で停滞していたロックミュージックに新たな息吹をもたらした時、多くの人々はテレヴィジョン「マーキー・ムーン」を引き合いに出した。ザ・ストロークスはテレヴィジョンなんて聴いたことがないというようなことをいってもいたのだが、ニューヨーク的なクールネスと研ぎ澄まされたポップ感覚は、間接的にせよ受け継がれているように感じられた。

2003年に「NME」が発表した歴代ベストアルバムのリストでは、「マーキー・ムーン」がザ・ストーン・ローゼズ「ザ・ストーン・ローゼズ」、ピクシーズ「ドリトル」、ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」に次ぐ4位という高順位に選ばれていた。

ポップミュージック史において、ギターロックは何度も死んだといわれては息を吹き返してもいるわけなのだが、いつの間にか発売45周年を迎えるに至った「マーキー・ムーン」をいま聴いたとしても、そのエッセンスはじゅうぶんに消費し尽くされたとはまだいえないのではないかと感じられるので、これからのギターロックにも可能性はあるような気がする。